私にとっての自転車競技は90年代にある。
90年春、イタリアは長い冬から抜け出した。欧州プロレースの始まりを告げるク
ラシックレース・ミラノ~サンレモで、ジャンニ・ブーニョがイタリア人として6年ぶり
に勝利した。そして5月のジロ・ディ・イタリアで、初日から最終日までマリア・ロー
ザを守り通して優勝した。ブーニョは控えめな性格で、なんと優勝した多額の賞
金を全てチームスタッフに差し出して分け与えてしまった。UCIワールドカップも
総合優勝し、イタリア中が英雄の出現に沸いた。
91年のジロは3位だったけど、カメラマンを乗せるオートバイの運転手の一人が
「明日にも死にそうな90を過ぎた老人で、君の熱狂的なファンがいるんだ。一度
会ってくれないか」と頼んだら、なんとジロが終了した翌日にマリア・ローザを持っ
て行ってプレゼントした。老人が亡くなったのは2日後だった。
国内選手権で優勝してイタリアチャンピオンとなり、ドイツのシュトゥットガルトでの
世界選手権でついにマイヨ・アルカンシェルを手に入れた。そして92年、スペイン
のサンセバスティアンで行われた世界選手権で、劇的な2連覇を達成した。
だが93年辺りから、ブーニョの力に陰りが見え始めた。妻との不仲も発覚してファ
ンは心配したが、翌94年のツール・デ・フランドルで優勝してその復活を強く印象
付けた。しかしその後は目立った成績を残せなかった。
Polti~MG-Technogymを経て、97年最強チームMAPEIに移籍した。でもブー
ニョの力はピークを過ぎていて、自らアシストで走ることを明言した。若いエースの
為に身を粉にして働くその姿は、まるでかつてのチャンピオンの誇りを捨てたかの
ようだった。
数年前までブーニョのアシストとして働き、この年のジロで優勝したイバン・ゴッティ
は、チームが違うにもかかわらず「偉大だったブーニョのあんな姿はもう見たくない。
もう引退してほしい」とインタビューで洩らした。そしてそれは、失望した多くのファン
の気持ちも代弁していた。
だけどブ-ニョは98年のシ-ズン終了まで、アシストとして走り続けた。
「自分が勝つために走るだけが自転車競技じゃない」…そう言って、ブーニョ自身の
哲学を貫いた。
イタリアで一番愛された選手だった。ブーニョの人気の特徴は、同じプロ選手からも
羨望の的だったことだ。イタリアの新人はプロになる時、(信じられないことだが)殆ど
の選手が「憧れの選手はブーニョ」と言った。
心優しき孤高のチャンピオン。
97年に引退した私にとっての自転車競技は、憧れのブーニョと共にあった。
Posted at 2008/06/12 21:31:47 | |
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