
先週講義を終え、学生たちが去ったあと、
静けさの中にプロジェクターの余光だけが残っていました。
窓の外では秋風が柔らかく吹き抜け、
遠くから軽いエンジン音が聞こえてきます。
明日は文化の日。大学祭で久しぶりの🎌日の休講!
先週はこの静かな教室で、“
Rethinking Writing Education in the Age of Generative AI”という本を開いていました。
生成AI時代における「書くこと」の意味を問い直す――
それは、まるでハンドルを握る者が、自分の運転を見つめ直すような問いです。
🚗 教室と愛車、どちらも思考を深める“コクピット”
クルマの運転と授業は、
私にとってよく似ています。
エンジンをかける代わりにページをめくり、
アクセルを踏む代わりに、言葉を少し前へ進めていく。
授業の最中でも、学生の表情や一言に「ここだ」と感じる瞬間があります。
その刹那、心の中でエンジンがかかり、思考が一気に昇華していく――
まるでコーナーを抜けた先に新しい景色が広がるような感覚です。
その瞬間があるからこそ、教室という空間が、
単なる学びの場を超えて“知のドライブフィールド”になるのだと思います。
🌿 文化の日に、AIと共に考える
AIは、今やクルマにも教育にも欠かせない“共走者”です。
車線維持や衝突回避を支えるAIがドライバーを導くように、
生成AIもまた、書き手の思考を支え、広げてくれる。
けれども、最後にどの道を選ぶか――その判断を下すのは、やはり人間です。
先週、授業後の教室の静けさの中で、AIが人の創造力をどこまで高めるのか、そして人がAIとどう共に走っていけるのかを考えていました。エンジンをかけなくても、心の中では遠くまでドライブしている――明日はそんな文化の日にします。
Posted at 2025/11/02 19:32:51 | |
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