
あらかじめお断りしておきますが、どうでも良い私の思い出話で長いです。
お車に関して何かお調べの方にとって、なんの知見を得るような内容とはなっておりませんのでご了承のほどお願いいたします。
ここで一度立ち返って、フォルクスワーゲンの思い出を綴ってみたい。まずはゴルフ4ワゴンから。
都内で独り暮らしをしていた私は、クルマが欲しいと思っていたが、まだ20代の私の給料では、クルマを所有することは難しかった。
家の家賃、お付き合いの飲み代(お酒を呑むのは好きなので、自分から進んでという事でもあったが)、クルマ以外の趣味(オーディオやMacintoshなどのPC関係)等でいつも火の車だった。
結婚して、お互いの持ち物がほとんど被らず、黒モノ系は私、白モノ系はかみさんが二人暮らしには十分なものを持っていた。クルマもその内の一つ。
関東周辺の郊外に住んでいたかみさんはクルマ通勤。学生時代に免許だけは取っていた私も、これでやっとクルマのある生活となった。とはいえ、ほぼペーパードライバーだった私は、はじめはおっかなびっくりの運転で思い出すと懐かしい。
程なくして子供にも恵まれ、娘との三人暮らしが始まる。まだ若い(と云っても30代半ば)家族には、かみさんが乗ってたクルマ(カローラセレス)は必要十分だったが、娘を後席のチャイルドシートに乗せるにあたって、安全度が高いクルマにしたいと思うようになった。
マンションも購入し家計はそれほど豊かではなかったが、当時たまたま持っていた「ユニクロ」株が、フリースブームに乗り大きく株価を上げており、クルマを買い換えるに十分な利益を得る事が出来そうだった。
という訳で、自分でクルマを初めて買うというシーンが訪れる。
当時頑丈そうなクルマという事で、ボルボがすぐに頭に浮かぶ。ディーラーは歩いてでも行ける距離にたまたまあった。
Volvo 850
ボルボといえば、輸入車であり超高級で私なんかには買えないというイメージがあったが、メルセデスやBMWに比べ「比較的」リーズナブルな価格で販売され、なんと云ってもその頑丈さは昔のボルボCMを見たことのある50代以降の方ならよくご存じであろう。娘と遊びに出かける際、荷物もたくさん積めそうなエステートワゴンはボルボの象徴的クルマであり、その箱形のシルエットは憧れだった。
検討を始めた頃V70シリーズも発表され、ISOFIX対応のチャイルドシートが装着出来る新装備は、「買うに値するクルマ」と私にアピールしてきた。
ただ、四角四面(良い意味で)の850に比べ、流線型的でサイドが少し内側にくびれたV70のフォルムはあまり好みではなかった。
いくつかのディーラーを巡り、ボルボ(V70ではなく、旧型の850)に決めようか?と思っていた矢先、ふと訪れたフォルクスワーゲンディーラーの店頭に展示されていたゴルフ4に乗り込んでみた。国道沿いで喧騒な通りに面していたが、乗り込みドアを閉めた途端、
「シーン…!」
五月蠅かったハズの音が全く聞こえない。
徳大寺有恒氏が「ゴルフこそ世界のスタンダード」と大絶賛をしていたという話はよく聞いていたが、見たことはあっても乗ったことはなく、誰から聞いたか覚えていないが「割高なクルマ」という風説を、一方的に信じ込んでいた当時の私のイメージを一掃するほどの衝撃だった。
試乗もせずに「イメージを一掃!」とは少々大袈裟に聞こえるかもしれないが、プライスタグにはボルボを遙かに下回る金額。「割高感」は一掃されてしまったのである。
ワゴンもラインナップされており、サイズもお手頃。楕円の形をしたお目々は、なんとも可愛らしい感じに見えた。当時のカタログには家族との幸せな生活をイメージさせるような写真にあふれており、その愛くるしいフロントフェイスと共に私のココロを大きく揺さぶるのだった。
空冷ビートルの比ではないが、4気筒SOHC 2000ccで116馬力しかないエンジンは、閉めたドアの静粛性に対し五月蠅かった。カタログ燃費に至っては、9.7km/L! 当然ハイオク仕様!!
今ほどガソリンは高く無かったが、高速に乗れば15km位まで伸びるものの、街乗りでは7-8km/Lはざらだったし、5km台(メーター読み)になってしまう時も時々あった。ガソリンだけで無く、エンジンオイルもよく食べる性質だったので、時々気をつけてオイル追加をしてあげる必要もあった。
当時駐めていた駐車場は日当たりが良い立体駐車場のパレットの上、真夏の間はまるで風邪を引いた時の鼻水の様なオイル(ドア内側のさび止めと思しきモノ)が流れ、拭き取るのが大変だった。確か10年を過ぎた頃、ゴルフ界隈では有名な「窓落ち」も経験した。自分のは大丈夫と勝手に思い込んでいたが、見事突然窓が上がらなくなってしまった。どう対処したのかあまり覚えていないのだが、透明なシートを内側からテープで止め、なんとも「閉まらない」格好で部品待ちをしていたような気がする。他にもマイナーであるが、結局原因が判らない(直らない)、又は機能的にあまり影響がなかったため放置したトラブルもあった。
しかし当時まだ運転歴の浅い私からしても、怒濤の如くまっすぐ進み、ハンドルを切れば思い通りに舵取りが出来る、この人馬一体感。堪らなかった!
丁度良いステアリングフィール、程よい堅さのシート、ドアの開け閉めの重厚感(少し大きくなった娘でも重すぎたのだが…)、ワゴンのため当然なのだが、大概の荷物を放り込んでも大丈夫、どれをとっても「おもちゃ感」の無い質実剛健なクルマ作りのお手本。ドイツ人はクルマってこうあるべきという哲学を持ち合わせているに違いあるまい。
一時停止を無視したクルマの土手っ腹に突っ込む事故を一度だけ起こしてしまったが、幸いエアバッグが作動する程のスピード・衝撃ではなく、運転席の私だけ軽い鞭打ちがあったが、後席のかみさんと娘をしっかり守ってくれた。
細かなトラブルはあったものの、13年間走行に支障を来す故障はほとんど無かった。最後の頃、ABSのエラーなどが発生したり、かみさんと娘が出先で車のエラーシグナルに遭遇し、トレーラーで搬送して貰う事があった。その時何が悪かったのかは覚えていないが、出先のガソリンスタンドで見ていただき、安全のため自宅までトレーラー手配はしたものの、修理のため私がディーラーまで運転をしていった事を考えれば、それほどクリティカルな問題ではなかったんだと思う。
この時の点検で見つかったのだが、ラジエーターの大きい方のファン(ゴルフ4には、大小2つのファンがあった)が回っていないという指摘を受けた。そろそろ次を考えないといけないかな?と思っていたタイミングで、ゴルフ7がリリースされる。
ゴルフ5以降のエクステリアデザインは好みではなかったが、新型は各部のエッジが立ち、マスクがなによりカッコいいと感じた。運転支援も当時はアイサイトの独壇場だったが、機能面ではほぼ互角に思えた。国産車はACCのスピードを115kmまでしか設定出来ないが、アウトバーンを走る事を前提とした欧州車はそんな制限などない。ゴルフ5の時代から、ダウンサイジングターボが主流となったエンジンは、1.2Lであっても私の使用速度域では十分であったし、7速の乾式DSGはなめらかにかつ電光石火の如くギアを上げていく。素晴らしい!16バルブのDOHCターボと云ったら、
「ニューマン・スカイラインRSと同じぢゃないか!」
私が学生の頃、男の子ならおそらく誰もが憧れたであろうクルマ。排気量はたった1200ccではあるが、胸が高鳴った。
ゴルフ7の見積をいただき、いざ契約となった際、
「ファンの修理代はいただきません(きっぱり!)」
という嬉しい提示を頂戴する。この代金、実は26万円という請求であったのだが、アイサイトが気になりスバルXVと天秤に掛けていた私の気持ちは一気にゴルフ7で決まるのであった。
ゴルフ4ワゴンとのお別れの日、自分で初めて買ったクルマでもあったためか、ディーラーの営業(店長でもあった)から、
「綺麗にお乗りでしたね。」
と声を掛けてもらった時、不意に目頭が熱くなった。家族との思い出がつまったクルマ。次はどんな人に出会うのであろうか?
娘を嫁がせる父親の気持ちが少しだけ判ったような気がした。
写真は、お別れ前の最後の洗車場にて
次回、フォルクスワーゲンの思い出 ゴルフ7編につづく。