
コマンダンテ チェ・テバラはこう語る・・・
2009年7月5日の襲撃は・・・
成功するか、微妙な状況だった・・・
しかし、天気も含め神は我々に味方した・・・
チェ・テバラの回顧録である。
2009年6月中頃、我々の諜報員から一つの情報が入った。それは、浜名湖フルーツ公園という場所で、浜松軍による大規模な作戦がおこなわれるというものから始まった。
それに対抗し、我々はゲリラ&ドッキリを仕掛けるべく、全国の戦士達に秘密裏に連絡を送った。
数週間後、我々の浜松急襲隊は9台11名の戦士達により実行されることとなった。しかしながら、名誉のヘルニアにより離脱した、
戦士「伯爵」、そして、急襲よりも女子?の
KAZU1122、さらに、マシン不良、なぜか
右腕不良のMini02と多くの戦士も離脱することとなった。
そして、さらに我々の状況を不安にさせるのが、天気である。当日の確立は30%程度。作戦が決行されされなければ、我々の急襲は成功せず。しかし、天気は我々に味方した。
さらに作戦の成功を高めるためにも我々は内密者を探した。そこで、候補に挙がったのが、207勢の上位部隊である308勢の
_kiyo_氏、そして、同じく308勢ではあるものの、車の所有者は夫、そして使用者は妻というなにやら、
おなじ匂いの感じるtasasako夫妻、そして、浜松軍の大本営である、
プジョー浜松本間氏、我々はこの3名を取り込むことに成功した。
そう、この大規模作戦は、「浜松の変態」と呼ばれる
この男を急襲しドッキリさせるものであったのだ。
暁の急襲作戦当日の日・・そう、その日は曇りで朝は涼しい日だった。作戦の始まりは早朝7:00、場所は足柄SAといわれる場所。東から急襲を仕掛ける部隊だった。ここでは7台9名の兵士が集うこととなった。
我々はさらにさらに作戦を成功させるため、仲間では
先生と呼ばれる男にもドッキリを仕掛けることにした。先生はすでに浜松で行われる作戦に
参加表明をしていたため、急襲軍には加えることができなかったためである。
実際の作戦現場においては、さまざまな状況変化があり、即時建て直しを計ることを視野にいれている。そう、今回ももしかしたら?という事態が起きてしまった。この足柄SAで我々急襲軍と、先生がはちあわせをしてしまったのである。そこで、我々は先生に先に行ってもらい、後で現場で合流することにした。
そうそう、我々の部隊にはいろんな戦士たちがいる、特に注目すべきはカメラにはからなずピースをする
ひわこ&ツンデレ。愛すべき仲間達である。
その後作戦は、西からやってくる部隊と最前線の都田公園での集合であった。ここは敵の目に触れる危険な場所であったし、事実、我々の内密者やターゲットに発見されていた模様であったが、なんとかやり過ごすことができた。しかし、ターゲットはこの日の朝のことを考えれば、我々の急襲に気がつくはずであったが、おそらく
自分達の作戦の指揮官であったためそれどころではなかったのであろう・・
そして、いざ、突入の時がやってきた。作戦は無事に成功するのか?我々の歴戦の戦士たちは興奮と不安を抱きながらの突入であった。
作戦は大成功であった。
いくつか史料にも記載されているはずであるが、ターゲットはまさしくびっくりドッキリであった模様だと後に聞いている。これにより我々のミッションは達成したのであり、その存在もしらしめたであろうと思われる。
その後は、浜松軍とも仲良くなり、食事をしたりイベントをしたりと大盛り上がりであったことは間違いがない事実である。これからも我々は浜松軍と親交を深めていくことになるだろう。
そして、日は落ち夜になると、我々はtasasako夫妻と共に名産のうなぎを喰らい無事にそれぞれの帰路につくこととなった。もちろん
うなぎを食べれないこの男も同行したと記憶している。
私の人生の中で、忘れられない1ページが増えたのである。
~回顧録完~
長文最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
幹事のKiyoさん、tasasakoさん、そしてプジョー浜松の本間さん、浜松のみなさん、そして、急襲隊のみさなん。思いつきの企画に付き合っていただいて本当にありがとうございますっ!
おかげさまで、楽しい一日になりました!
また、機会がありましたら、遊んでくださいね~
そうえいば、かえりながら、なんか走った記憶あるな・・・と思っていましたが、1月に浜松に来てたんだ・・・・
Posted at 2009/07/06 15:20:57 | |
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