前回に続いてタルガ・フローリオ3日目、10月1日の足跡を写真と動画を駆使して追ってみましょう。
メルザリオさんに押し掛けを手伝ってもらってTaorminaを出発した僕らの1957年フィアット1100TVは、やがて北海岸に面した街Acquadolciに入り、旧市街のこんな狭い街路をゆっくりと進むことに・・・。
そう、前をいくのはディーノ246GTでありますが、それにも負けず僕らのフィアット1100TVの人気が高いのが、こちらにカメラを向ける地元の皆さんの熱い視線からも理解できるのではないでしょうか。
クルマの意外性に加えて、そのなかにいるのが東洋人という意外性も、高い注目度の秘密かも。
Acquadolciを出ると右に地中海を望む海岸道路が待っていましたが、そこでわれらが非力なフィアット1100TV、生意気にもフェラーリ400とディーノ246GTを追走するという暴挙に出たのであります。
その海岸通りのディーノ追走劇も無事に愉しくこなして次に辿り着いたのは、初日にスタートしたあのタルガ・フローリオ伝統のスタート&フィニッシュ地点、Floriopoli=フローリオポリでありました。
フローリオポリでしばしの休息をとるヒストリックカーとそのパイロットたち。手前のブルーは僕のかつての愛車だったアルファロメオ・ジュニアZ、その奥の白は1951年アルファロメオ1900カブリオレ。
かつてのピットロード下には新旧フェラーリ軍団が整列。なかでもヒストリックカー好きが注目するのは右から3台目のフロントエンジンクーペ、1957年250GTベルリネッタ、通称“ツールドフランス”。
午後4時半、再びフローリオポリをスタートしたコンペティターたちは、ピッコロマドニエのコースを辿ってCollesano=コッレサーノを目指す。撮影中の1100TVの横を1953年ランチア・アウレリアB20GTが。
街のなかにあるヘアピンでタルガ通に知られたコッレサーノでは、想像以上の歓迎を受けました。
なんと今やタルガ・フローリオの博物館まで出現。その名も「ムゼオ・タルガ・フローリオ」。Via Rome=ローマ通りに面した上階の歩道の横にあるので、コッレサーノを訪れたらぜひ立ち寄ってください。
<photo=Yuko Noguchi>
博物館の前で再び記念撮影。右のメルザリオさんはかなりお疲れの様子で、真ん中の僕も少し疲れた表情、にもかかわらずニコやかな左の人物は、ここコッレサーノの町長さんなのでありました。
「Collesano」の発音やイントネーションには諸説があるため、町長さんに正しい呼び方をお尋ねしたところ、「コッレサーノ」とのお答えが。町長さんがそういうのだから、これが正解に違いありません!
そうこうするうちクラシッククラスのクルマも次々と出発、僕らも慌ててフィアットに飛び乗ります。
コッレサーノを出たのが午後7時前、そこからタルガのコースを辿って海辺に出たところでアウトストラーダに乗ると、初日から僕らについてきてくれた青バイのポリッツィアの先導で一路パレルモへ。
パレルモの街中を青バイによる信号無視のイタリア式先導で嵐のように駆け抜け、中心地の繁華街の目抜き通りを占拠するようにクルマを停めたときには、時間はもう9時近かったと記憶しています。
そうするとこうやって、街の人々がクルマの周囲に集まってきます。みんなクルマ好きなんですね。
パレルモの目抜き通りに停めた1957年フィアット1100TVの角の丸いウインドシールド越しに、1973年カレラRSのテールを望むの図であります。その前の左はアルファGTか、右はXK140でしょうか。
ここからまた少し動いてフィニッシュの壇に上るセレモニーがあり、そこからさらに走って港近くのパーキングに1100TVを収め、フェンダーを撫でて御苦労さんをいったあと、バスに揺られてホテルへ。
こうしてタルガ・フローリオ2011の長~い3日間は、すこぶる愉しくも無事に終わったのでありました。
Posted at 2011/11/29 19:00:53 | |
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