2009年02月27日
救命ボートが満員のとき、指揮している船員がなんと言えば救命胴衣をつけて飛び込むか。
英国人には「紳士でしょう?」、ドイツ人には「命令だ」、イタリア人には「飛び込むと規則違反ですよ」と言えばよい。
ちなみに、日本人には「皆さん、飛び込んでおられるようですよ」と言えばよいらしい。
「フランスでは、禁止されていること以外は何をやってもよい。ドイツでは、許可されていること以外やっちゃいけない。イタリアでは、禁止されてはいても、やってもよいことが結構ある。」
Posted at 2009/02/27 09:49:32 | |
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2009年02月27日
在外研究を終えて―根付いたキリスト教とイタリア人の気質について― 手塚奈々子
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在外研究制度によりイタリアのパドヴァで、パドヴァのアントニオ研究をしてきました。彼は、13世紀のフランチェスコ会士で司祭・説教者・同会初の神学教師、そして聖人とされ教会博士ともされています。彼は日本ではほとんど知られていませんが、ヨーロッパと中南米ではフランチェスコ以上に知られています。その研究の中心地・パドヴァで研究でき、イタリア語で雑誌に論文を投稿できたことは、私にとって本当に恵みでした。
さて、今は私が体験した「根付いたキリスト教」の有様と「イタリア人の気質」について書きます。パドヴァはイタリアでは中堅都市です。紀元前からある古い街で、パドヴァ大学は13世紀に創立され、大学と聖アントニオ大聖堂とジオットによるキリストの生涯が描かれたスクロヴェンニ礼拝堂で知られる街です。パドヴァに日本人は住んでいません。
パドヴァの聖アントニオ大聖堂には、毎年500万人の巡礼者が来て、聖アントニオの棺に触り(棺桶が祭壇になっており、それに触って祈ると願いがかないます)、腐らない舌を見ます。(1231年に死んだアントニオの舌が残っています。説教者としてその舌で神を讃えたから舌が腐らないと言われています。他に声帯も残っています。)ミサは平日で9回、祝日で11回あります。巡礼者だけでなく、一般の町の人も、朝6時半のミサにでもよく参加しています。(他の町ではそんなに多くの人はミサに来ません。)そして大聖堂ではたくさんの典礼行事があります。ノヴェナ(ある祈願を込めて9日間祈る)を祝日の前に皆で祈ったり、皆でロザリオを唱えながら回廊を歩いたり、大祝日には御聖体や像を担ぐ御神輿のようなものが出ます。町の人々にとってキリスト教は日常のことで、他の教会も100メートル毎位にあります。文化全体にキリスト教が根付いていると感じました。
また、私が体験して感じたイタリア人の気質は、一言で言って“Va bene”(ま、いいでしょう)の言葉に尽きます。イタリア人は、よく会話の中で“Va bene”と言い、彼らが日常一番使う言葉だと思います。驚いたのは、約束事が実行されていない事態の折でも“Va bene”と言うのです。例えば、電車の故障で特急が来ない時でも、お客も車掌も“Va bene”でした。日本でしたら、駅員はお客にあやまり、当然料金の差額分は払い戻しされるのに。また、電車が遅れるのは当たり前です。(日本では90秒遅れただけでも事故が起きるくらい、「遅れてはならない」という強迫観念があります。)イタリアにあるこの“Va bene”は、日本の神経質な社会(決められていたことを必ずきちんと敏速に実行しなければ変な人に思われ非難されるから、必死に時間やいろいろな約束事に従って生きている社会だと思います)に慣れていた私にとっては、最初大きなカルチャーショックでした。でもすぐに“Va bene”はとても良いなあと思いました。この何でも“Va bene”で通ってしまう社会において、誰かに怒られるとか失敗したらどうしよう等の恐怖はありません。さすが、シエスタ(昼寝)のある国だと思いました。私は実感したのですが、この“Va bene”の良いところは、自分の力に頼らず、すべてを神様にお委ねするという気質が育つということです。自分で何とかしようと思っても、それは無駄な努力、その人だけの問題であって、この“Va bene”のまかり通るところでは成り行きに任せるしかありません。こちらも“Va bene”で生きていく他ありません。しかし、それはとても楽でした。一生イタリアにいたいと思えるくらい、気を使わないで生きていくのは、楽でした。私は日本の社会の方が生きるのに苦しいと思いました。日本でももう少し気楽に生きたいものです。
Posted at 2009/02/27 00:49:38 | |
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