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ゆーさく@アリスタント⑨州支部のブログ一覧

2011年05月17日 イイね!

支那事変に思う

昭和12年1937年7月7日の盧溝橋事件を発端に日中双方間で8年にわたり行われた戦い。

高校卒業してから個人的に1番熱を入れて調べたのがこの「支那事変」だった、其れまでは主に太平洋方面の戦い特に海戦&独ソ戦を調べていたがその二つに比べると世間的印象の薄い支那事変について改めて調べてみることにしたのは何かの偶然だったのだろうか?

まず何故此の戦いが起こったのか? 当時の中国は蒋介石が率いる中央政府(南京政府)が地方軍閥を平定をおしすすめ国家統一を急いでいた。日本はやっと世界恐慌による不況を脱しつつあった頃でもあった。

昭和6年に起きた満州事変により大陸北部に満州国が建国し当時の中国中央政府もこれに対して無論批判的であったものの未だ国内統一が済んでいない中で先ずは統一を最優先事項とし北伐支援の見返りに容認の姿勢をみせた。 中央政府は一応の統一は果たすも中共のゲリラや欧米諸国や日本の利害関係等もあり完全な統一とは言いがたかった。

そんな中での盧溝橋での1発の銃声が後の戦いになるとは誰が想像しただろうか?

それからはあれよあれよと両国の不拡大路線をあざ笑うかのように戦火は広がり上海にての両軍衝突により本格的な戦闘へ移行し中央政府首都南京陥落にて勝負がつくと思われたがトラウトマン工作の失敗、近衛文麿首相の「国民政府(蒋介石政権)を相手とせず」の声明と中央政権の徹底抗戦の意思と欧米諸国(米 英 ソ連)等の支援により此の戦いは終わりの無い泥沼へと進んで行く事となる。

その後、徐州 武漢両作戦をして日本軍は攻勢限界点に達し中央政府も首都を重慶に移し未だに戦意旺盛にて徹底攻勢の構えをみせ更なる泥沼へと進む、日本軍もどうにかこの状況打開のため諸外国からの援助物資の遮断を優先事項とするが此れが凶とでた、1940年の仏印進駐は対米関係の決定的悪化を招き、徹底的経済封鎖に加えハルノート等により1941年12月8日に米国と開戦これをもって支那事変は「大東和戦争」へ組み込まれることとなる。

緒戦の快勝もあり其れに合わせ大陸戦線(支那事変)で首都重慶攻略の準備も行われたがガダルカナル島攻略失敗等の損害により止むなく中止に至る。 その後戦局は徐々に不利へ、支那派遣軍(支那事変勃発において編成された軍)は次第に戦力を南方戦線へ割かねばならず中央政府への決定的打撃をあたえられずにいた。

1944年には悪化する戦況にかんがみ南方資源地帯との陸路輸送 米空軍基地の占領 中央政府の交戦意欲粉砕という多くの目標を掲げた「大陸打通作戦」が行われ2000キロ以上の距離を経て一応の成功をみたもののそれ以上の戦況の悪化(マリアナ陥落 フィリピン陥落 連合艦隊の全滅)によりほぼ意味をなさぬ結果となった。

それでも更に奥地の米航空基地攻略(老河口作戦)や対米戦へ向けての準備等のが行われる間に終戦のいたりとなった。


日本の敗北ににより終わった支那事変、無論支那事変という中国大陸での戦い事態は未だに攻勢を行うなど戦術的には未だに勝っていた(色々と諸事情もあるが)のです。

しかし負けた事は負けたのに変わりはない、しかし此の戦いにおける新の勝者とは? 此れは個人的意見だが現中国を牛耳る中国共産党こそがこの戦いの勝者で此の戦いを裏から操作したと思う。

盧溝橋事件で発砲したのは中央政府軍に紛れ込んだ共産党員であった可能性が非常に大きく、ほぼ壊滅状態だった共産党が西安事件をへて国共合作比較的戦闘が少なかった華北にて勢力を拡大、日本軍との戦いにて疲弊した中央政府軍は終戦間際には戦力的には共産党を圧倒していたものの内部組織は腐敗しきっており次第に劣勢に追い込まれ1949年の台湾への遷都で中国共産党の勝利による中国統一で幕を下ろした。

しかし此れはあくまでも政治的国家的にみての勝利であり一民衆にとっては関係ない事だったと思われる。民衆にとってその様な駆け引きや陰謀は知る良しもなくただただその流れにみを委ねるしかなかったのではないだろうか?

戦争とは生まれ故郷を離れ見知らぬ土地で見知らぬ人達と血と硝煙に塗れた命の奪い合いを演じなければならない。 無論その戦いが見知らぬ地の場合もあればその逆もあり得る。

その争いは一言「悲惨」に尽きる、確かに政治的、経済的な大義名分の元であるのは確かだがそれでも平時ならなそれぞれの職に勢を出し、家族と又は友人と食事や遊びごとに興じるのが人間の正しい姿だと思う、其れが一度戦争となれば一兵隊として相手の土地を奪い相手を殺さなければならない。 なんとうい愚かな行為であろう、幾度戦記を読み返して英雄的英断を観ても最後にはこのような感情しか浮かんで来ないものだ。

調べれば調べる程、この「負」の感情は尽きる事無かった。 この戦争を通じて日本は自ら破滅への道を歩いた、そして0からのスタートをし今に至る。 その身を滅ぼして行く過程の中で中国大陸にて多くの民衆に大変な迷惑をかけたことは違いないと思う。 別に虐殺をしたとかしなかったとかそういう問題ではないのだ。

この戦いで双方は多大な犠牲を払った、特に主戦場となった中国大陸は凄惨を極めた事は疑いはない。 その戦いで双方は出来る限りを尽くし国の理念又は愛する者の為に戦った、其れは決して否定する事の出来ない事実である。

此の様な戦いが終わって敗戦国となって捕虜となった日本兵達、しかし中国での捕虜達は満州でのソ連の様な過酷な抑留や捕虜虐待に悩ませることなくスムーズに復員が進んだそうだ。 なぜ8年もの間戦ったのに?という疑問が頭を過る、そこで支那事変に従軍し5年8ヶ月に及ぶ戦いを生きぬいた佐々木春隆氏の著書に書かれていた一文を紹介する。

これは終戦後ある地の警備を請け負った著者の部隊がその任を全うし他の地へ行く前の別離の宴での県長の挨拶「東洋平和の基礎は日中の連携にある。不幸にも日中は十四年戦争(満州事変〜支那事変)を戦い、その内輪もめに乗じて西洋列強の介入を招き、今日の事態に至った。 内にせめげれば外侮りを受ける。・・・・戦争の第一義的責任は日本にある、しかし中国が内戦に明け暮れ、自らが禍を招いた責任を認めざるを得ない。それが人類の歴史の摂理であるからだ。だから両国が早く自立して連携し、東洋人のアジアに復さねば、アジアに未来はない。・・・・日本人の勤勉と団結力と才能をもってすれば、おそらく20年も経たずして前以上に復興するだろう。軍事国家としてではなく、文化国家として再生すると信じている。・・・・中国の将来は予断しがたいが、いつかは必ず平和な国になる。しかも世界に重きをなす国になる。その時こそ日中が連携し、世界の平和に貢献しなければならないと思う。 皆さん一路平安を祈る。文化国家の建設に尽くし、また中国に来て下さい、今度は鉄砲を持たずに平和の使徒として、友好の印として遊山にきてください。記念に竹の絵を贈ります。内地に帰れば、辛い事、憂きことが当分続きましょう。だが百折不撓、この竹の絵を思い出して頂き、屈せず、節を曲げず、すくすくと新しい日本の再出発に尽くしてください。これが一中国人としての願いです。」 さらに付け加えて「以上は日本人を日本をよく知っていると自負している一中国人の偽らざる気持ちです。勝敗は兵家の常と言い伝えられます。どうか挫けずに、にほんを立て直してください。それが中国のためにもなります。 ところでこの考えは私一人の考えではありません、実は蒋介石総統が中国百年の計を案じて「日軍の暴に報いるに怨をもってすること勿れ、徳を持ってせよ」と言われました。暴をもって報いれば、彼我ともに恨みだけ残り、結局東亜に恒久平和は訪れないからです。中国人は、日本人に反省は求めます。しかしけして報復はしません」と・・・・・

此の文を読んだ時、自分が表現したかった事を全て駄弁しているようで・・・・ 読んでいて少し視界が霞みました。 そう悲劇は戦争の常であり歴史の常である、一度その流れに乗ってしまえば中々抜け出す事は出来ない。 それで双方報復を続ければ残るのは恨みだけ、それではまた同じ事が起こってしまうのは避けられない。 だからこそ双方がお互いの非を認め双方を認め合う、これが無くして真の平和がおとずれることはないと一個人としても思う次第です。

しかし両国は現在本当に良く連携し世界平和に貢献しているのか、そこには「疑問符」が出る。 その後中国は共産党が支配し反日教育を施しているし領土問題等々理想道理になっていないのもまた事実。

お互いを認め合う平和な世界、確かにそれが理想ですがそれはあくまで理想、現実はそううまく進まないもです。

だからこそ国土を戦場にする愚だけは犯してはならないと思う、それは戦争に巻き込まれない様に用心するのが最優先だが、不幸にして巻き込まれる場合に備えて領空 領海外で国土を防衛する手段を整えておくのを欠いてはいけないと思う。なぜなら戦火に巻き込まれる場合は大抵弱みに付け込まれるか、侮られる場合がらうからで、支那事変において中国が受けた戦禍は中国が弱く、かつ内戦と地域感情のために一致協力しなかったがゆえに日本軍部に侮られたためだとおもわれる。 面として戦争を避けようとするなら戦争に備えるほかないのが世界の常であることを心に刻んでおかなければならない。

ここに全ての表す事は到底無理だが、此の出来事が起こって早74年次第に風化しつつある事実を決して忘れる事なく又これを教訓とし日中両国間の理解と友好、恒久平和に役立てる事を此れからの自分達世代が担っていくしかないと思い、大陸の地で散った日中両国の人々に哀悼の意をささぐ。
Posted at 2011/05/17 23:00:43 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年05月17日 イイね!

後続が

後続が 後続の「東方バイオリンロックⅡ」が到着☆ この東方バイオリンロックシーリズは中々おすすめですよ♪ バイオリンの音色とその他楽器のロックは聴きごたえありです♪

東方バイオリンロック 全曲デモ
 

東方バイオリンロックⅡ 全曲デモ
Posted at 2011/05/17 20:13:32 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年05月17日 イイね!

一日で

 本日も操漁中暇だったため「大陸打通作戦 日本陸軍最後の大作戦」を持ち込み読みふける・・・・・ 心地よい潮風を受けつつ読書・・・・・・

 なんと1日にて総計260ページ1冊丸々読破しましたww 総計4時間ほど読み更けていましたからな〜 でもちゃんと仕事はやっているんですよ(汗)

 さて明日は「長沙作戦 緒戦の栄光に隠された敗北」でも読もうかね〜
Posted at 2011/05/17 19:55:46 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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