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ゆーさく@アリスタント⑨州支部のブログ一覧

2011年05月20日 イイね!

甘さと苦さの境界を

甘さと苦さの境界を てなわけで本日の一服はエスプレッソを久々に作ってみた☆ エスプレッソの原液は酒でいえばウォッカみたいばもので最高に濃い、普通は30ccとかの小さいので店ではだすのだが・・・・普通の珈琲カップでやるのだからその刺激たるやww

お供はハーゲンダッツのマカダミアナッツ濃厚なクリームとマカダミアナッツとの取り合わせが堪らない☆

 一口飲めば思わず顔を顰める程濃いエスプレソを飲みながら濃厚でクリーミーなアイスクリーム・・・・・此れ以上の取り合わせ無いな♪

 某氏より摂生と言われるが・・・・・さてなんのことかな??? さて多分将来は・・・・・

Posted at 2011/05/20 21:26:42 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2011年05月20日 イイね!

驕りと怠慢その代償は・・・・・ 第2次長沙作戦

 1941年12月8日に開戦した日米両国、真珠湾、マレー半島 そして太平洋の島々へと戦禍は飛び火していった、日米開戦以前から泥沼の戦いを続けていた大陸方面も例外ではなかった。

 国湖南省の省都。古い歴史をもつ国家歴史文化名城であり、経済的にも湖南省の中心の長沙市、実は同年9月18〜10月6日にかけ日本陸軍軍第11軍 - 阿南惟幾中将。第3 4 6 40師団(45個歩兵大隊と26個砲兵大隊)が基幹が侵攻し一時は長沙を占領するも戦略上撤退していた。

 此の撤退を中国側は日本側の敗走 長沙は難攻不落を謳い戦意高揚につとめ日本軍部内でもこの戦火に不満(特に軍司令部司令官阿南中将)も噴出していた。 日米開戦をへて英領香港攻略の牽制作戦として再び長沙方面への攻勢が決定された、これが思わぬ悲劇を生む事となる。

 攻勢にいたり戦力は前回と同じく 第11軍の4個師団が参加することとなるも前回の参加数の半分程度の22個大隊で更にまだ全作戦からの補充や療養も完全いは済んでおらず戦力的には不安があった。 しかし軍内部ではあくまでも牽制なので長沙攻略まではおこなわず旧水北岸あたりまでの侵攻(現時点より40キロ)だろうと・・・・ しかし後々此の判断が裏目にでることになる。

 作戦は順調に進んだ、兵力や弾薬は不足しがちであったが旧水北岸までとの噂を信じ(軍作戦も最初は同じ様な内容だった)各部隊は火力を駆使し中国軍を撃破し年も暮れた12月30日あたりには旧水北岸を確保しここで作戦は終了、引き上げるとおもわれた・・・・・

 しかし31日未明各部隊に長沙攻略の命が下った、各部隊は驚きを隠せずも命令に従い長沙方面へ攻勢を開始した、だが上記に書いた様に元から物資弾薬が不足しがちでありそこに輪をかけた様に消費していたのでどの部隊も物資弾薬が不足していたのである。

 しかし中国軍は前回を戦訓「天炉戦法」という後退戦術を徹底させ焦土化と通行路への障害物設置、誘撃及び伏撃地区の縦深配置等で日本軍を決戦地へ誘い込み補給等が遅れ弱体化したところを四方より殲滅する構えであった。

 その罠に日本軍はまんまとハマった、元から物資弾薬不足に悩まされていた日本軍は長沙付近にて激しい反撃を受け攻勢は頓挫さらに包囲されかけ危うく全滅の危機に落ちいった。正に天炉の中で溶かされかかっていたのだ。

 しかし弾薬の無い中各部隊は決死の抵抗を続けなんとか包囲網を突破し命からがら照撤退した、その激しさは第40師団師団長青木成一中将が「第2次長沙は恐怖の一言に尽きる」といわらしめた程だった。 何故軍は物資弾薬が不足しているとわかりながら何故攻勢を行ったのか?いや牽制目的ははたしたのに何故長沙攻略に個念したのか? そこが問題だろう。

 その無謀な突撃には第11軍司令官 阿南中将の私情が混ざっていたではないのかという意見がある、前回の第1次長沙作戦はそれなりに目的は達成されたものの中国側は日本軍の撃退と長沙不落を謳い、支那派遣軍司令官畑俊六大将の「反転はあまりにも早すぎた」の発言が阿南中将の心に響き本作戦の悲劇に繋がったのではないのかと。

 そう人間誰しも神ではない、だから見誤ることもある、しかし軍司令官となれば10数万の将兵を率いる身、その一つの見誤りが数千人もの将兵の犠牲となったのでればそれは到底許される事ではない。 確かに神ではないだが多くの将兵を率いその命を預かる事の重大さを理解しているならば更に慎重に私等を挟まず命令をくださなければならいのではないのだろうか? その何時の誤りは将兵の血で払わなければならいのだから。

 結局,此の作戦で戦死1591名 戦傷4412名 此の数は戦死者で第1次長沙お2倍、戦傷者で第1次長沙の3倍に上った。 一つの誤りで数千人の命が奪われる・・・・・なんと痛ましいことだろう、これが更に大きいものでインパールやスターリングラード等がある。 特に此の二つは指揮官(指導者)の単なる意地が巻き起こした悲劇である。 此の悲劇で一番の被害者は一般兵士達で彼等は上の命令のおもむくままにそれを只実行し散っていったのだ。

 作戦終了後、支那派遣軍総司令官畑俊六大将が第40師団所属歩兵第236連隊を視察に訪れた際、連隊長の亀川良夫大佐は畑司令官に「あんな無茶な作戦を閣下はなぜ止めてくださらなかったのですか。 大隊長以下、8人の中隊長を含めて百数十柱も失いました.弾丸も持たせずに突っ込まされるなんて、今回が初めてでした。なぜ香港が陥落し、敵の南下部隊が反転を始めた時点で、作戦の打ち切りをお命じにならなかったのですか?」と涙を流し訴えたという、それに畑司令官は「軍司令官がゆくというのを止める訳にはいかんしね」と一言言ったそうだ・・・・・・

 ならなんの為の総司令官なのだ? それを止めるためにあるのじゃないのか? そう言う疑問が頭を過るがもはや過ぎてしまった事、もう修正はきかない、だからこそ上層部は慎重に慎重をきして作戦は行うべきだと改めて思う。
 
 最後に昭和59年6月29日に92歳にて天寿を全うされた亀川良夫大佐の遺稿より

戦没勇士に捧ぐ
一 いかにせん 山はた海になほ うかびかねてむ戦友(とも)の思ひを
二 国の為 たをれし戦友(とも)の勲こそ 国の栄の 基ならめや
三 海山に 屍をさらす亡き戦友は 遠の祈りを いかに聞くらむ

 
Posted at 2011/05/20 20:34:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

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