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ゆーさく@アリスタント⑨州支部のブログ一覧

2011年05月26日 イイね!

ちょっとマイナーな銃その2

ちょっとマイナーな銃その2ちょっとマイナーな銃シリーズ??の2弾目ww ということで今回紹介するのは九二式重機関銃です。

前回のZB26の紹介でも登場した本銃、本銃は1933年昭和8年に採用された重機関銃で三年式重機関銃の後継ととして誕生しました。 構造はや外見は三年式重機関銃とさして変わらず形式は空冷のホッチキス式を引き続き採用し比較的無難に纏められました。

開発の背景には6.5mm×50弾の遠距離での威力不足ならびに航空兵力への攻撃力不足(曳光弾)等の問題のため6.5mm×50弾→7.7mm×58SR(セミリドム式)へ口径増が計られ遠距離射撃での威力の向上並びに非常に高い命中率を誇った。

運用は九二式重機関銃1挺を持つ「戦銃分隊(定数:下士官1名、兵10名、馬2頭)」と「弾薬分隊(定数:下士官1名、兵10名、馬8頭)で運用する。 4個戦銃分隊と1個弾薬分隊で1個小隊を編成し、3個小隊で1個「機関銃中隊」となる(1個歩兵大隊につき、1個機関銃中隊がつく)。そのため1個歩兵小隊に対し九二式重機関銃1挺配備に相当する。当時の歩兵戦の主力火力は機関銃であり九二式重機関銃は正に歩兵戦闘の花形でした。

本銃は支那事変より実戦投入されその後の太平洋戦争にいたるまで日本軍の行く戦場で活躍しました。特に抜群の命中率は敵に非常に恐れられ米軍から「ウットペッカー(きつつき)」と呼ばれ攻撃の第一目標とされました。その命中率に対し連射速度が遅く発射数が明確に数えられたららしい(ウッドペッカーの意味はその発射音から)しかし其れが幸いしオーバーヒート等の銃身加熱にはあまり悩まされなかたようです。

九二式は日本軍だけではなく同盟国(満州国やインド国民軍)に供与されたり八路軍や日本敗戦後の地元ゲリラ等にも仕様され1960年代まで仕様されていたそうです。 因に陸上自衛隊でも採用する案もあったとか??

弾薬はクリップやベルト式ではなく保弾板で保弾板上の弾が減ると発射速度が上がったそうである、三年式から発射式が引金式ではなく親指で押す押鉄式に改められた。

総じて信頼性が高く終戦まで日本軍の主力重機関銃として活躍したが、空冷にしたら重い(55.3 kg(三脚含む))やセミリドム式の弾丸が後の九九式小銃等と互換性が無い等の問題もあったが最後の最後まで兵士達の頼れる存在だった事に間違いは無い。

Posted at 2011/05/26 20:18:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2011年05月25日 イイね!

一服の間

一服の間 仕事終了後珈琲買い足しのため行きつけの店でアイス珈琲用も含め400グラム購入し帰ろうとするとシフォンケーキの直売にふらりと立寄り・・・・・買ったww

 まぁ家族でわけるとあっというまに完売ww 味は紅茶☆ 紅茶の香りとふんわりしたシォンケーキと珈琲の取り合わせは中々上々♪ 

 珈琲啜りながら一曲
紅薔薇へ捧げる小夜曲

Circle:りすとら(Liz Triangle)
Vocal:lily- an
Album:B1
Arranger:kaztora , Misaki Nakajima(MiddleIsland)
Original Tune:亡き王女の為のセプテット(東方紅魔郷より)
カリスマで前が見えんww やはりお嬢様は「カリスマ」が似合うね〜

Posted at 2011/05/25 20:48:01 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2011年05月25日 イイね!

冷戦の幕開けと悲劇の序章〜第一次インドシナ紛争 ディエンビ・エンフーの戦い〜

 1945年8月15日、大日本帝国の降伏をもって第二次世界大戦は終結した、しかし東南アジアの日本軍占領地域には再び宗主国である欧州諸国が再び統治のため舞い戻ってきた。だがその再統治に反攻する風潮、民族独立の気運は高まりつつあった、インドシナ半島、宗主国であるフランスの再統治に対しホーチミンを主とするグループとの対立は深まり遂に武力衝突へと発展、後の第一次インドシナ紛争であった。

 1946年末より全面武力衝突へと発展しフランス軍は都市などの各要所を確保しベトミン軍は山岳地帯の農村部へ撤退するも徹底抗戦の構えをみせる。 1947年10月には北部山岳地帯に籠るベトミン軍撃滅のためフランス軍は15000人を基準とした機械化部隊で攻勢をかけるも大敗を喫しフランス軍とベトミン軍は攻守が逆転した。

 戦局は徐々にベトミン側へ傾き始めフランス軍は都市部を保持するも大部分お農村部はベトミン軍の統治下にあり中越国境地帯やトンキンデルタ地帯での攻防は一進一退の激戦を極め、次第にフランス軍は劣勢に陥っていった。

 1949年戦況の悪化に追いうちをかける様に中華人民共和国の成立、翌50年にはソ連の核実験の成功もあり共産圏からのベトミン軍への支援が大きくなりフランス軍は更に守勢にたたされることとなった。

 中華人民共和国成立で自由主義陣営と社会主義陣営との対立の様子を濃くし米国もフランスへ対し本格的な軍事支援を行うなど更なる激戦、泥沼の様子をみせることとなる。

 50年代初頭よりベトミン軍は各地で本格的な攻勢を開始しフランス軍の小規模陣地を攻略していった。 フランス軍は防戦一方となりながらもかろうじて都市部の保持は続けていたがそれも危うい状況となりつつあり52年には隣国ラオスへとも戦火は飛び火した。

 フランス軍は戦局打開を目指しナバール計画を発動( 山岳地帯に入り拠点にしべトミン軍を誘引撃滅する方針。1953年4月のべトミン軍ラオス進攻によりフランス軍は広域に展開せざるを得なくなったが、それはべトミン軍も同じだった。補給能力を比較すれば、ベトミン根拠地の東部ラオスと中国国境からの補給路を断ち、航空機が使えアメリカの援助が期待できるフランス軍が有利であるとし、べトミン正規軍主力を逐次遠隔地に誘引し撃滅することが計画された。適地として北西部山岳地帯とラオス平原地帯が選ばれ、ラオス国境に近い盆地帯のディエンビエンフーを拠点とし、べトミン軍がこの攻撃に現れたところを砲爆撃で粉砕し、周囲数十km一帯やラオス平原地帯に空挺部隊を降下させ、べトミン正規軍を撃滅する計画)両軍は決戦を覚悟した。

  1953年11月20日、ついにフランス軍が動きだす、カストール作戦が実施され、ディエンビエンフーに3個空挺大隊が降下、同地を占領し12,000人の兵力と火砲が配備され、地上設備・空中補給および近接航空支援態勢が整えられた。 それを察知したベトミン軍も各所より兵力を集めディエンビ・エンフーへの攻撃準備へと入った。

 1954年3月13日からベトミン軍が攻勢を開始、持ち込んだ火砲(旧日本軍の山砲など)での猛烈な砲撃と損害を惜しまぬ人海戦術で次々とディエンビ・エンフー要塞の陣地を占領していく。 3月末には滑走路を使用不可にしフランス軍の劣勢はもはや絶望的となった。 それでも航空支援等でかろうじて持ちこたえるも4月からの天候不順による航空支援の激減と雨による衛生環境の悪化などの副次的産物もあり遂に1954年5月7日にティエンビ・エンフーは陥落し生き残った多数のフランス軍兵士達は捕虜となった。


 此の戦いの後フランスはインドシナより撤退を決定、ベトナム民主共和国と和平交渉を開始し、関係国の間でジュネーヴ協定が締結された。 此の戦いにて多くの犠牲を払い独立したベトナムだがフランスの後を引き継いだアメリカによる南ベトナム共和国が未だ存在し後の第二次インドシナ紛争(ベトナム戦争)への遺恨となった。

 此の戦いは民族独立に目覚めたベトナムの独立戦争と中華人民共和国などの成立などで台頭してきた社会主義陣営と資本主義陣営との一種の代理戦争の風をみせ社会主義化を画策する社会主義陣営と社会主義のドミノ化現象を危惧する資本主義陣営との冷戦構造の一端をかいまみえる事が出来る。

 先に書いた様に此の後に第二次インドシナ紛争(ベトナム戦争)となりさらなる犠牲を生む事となるのはそう遠い話ではなく世界情勢の無慈悲さをひしひし感じることとなる。









Posted at 2011/05/25 19:35:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2011年05月24日 イイね!

ウ〜ム何故だ・・・・

ウ〜ム何故だ・・・・ 又買ってしまった・・・・・しかもまだ一枚別口で買ってるんだからどうしようもないねwww

とりあえず親から「毎回何買ってるん?」と言われ「CD」の一点張りで通しました(汗) しかし全く衝動買いというのかな・・・・・

 今回この「B1」の購入に踏み切ったのはyuoutubeで此れに入っているWho Killed U.N.Owenがツボにはまったからですwww

Who Killed U.N.Owen

Original / U.N.オーエンは彼女なのか?
Vocal / lily-an
Lyric / azuki
Arrange / kaztora

無邪気なようでものすごいシリアスな歌詞に惹かれたね〜 無論他の曲も魅力的な曲が多いのでおすすめの一枚ですね♪

Posted at 2011/05/24 19:13:49 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2011年05月24日 イイね!

よもやの2日連続

 の網を入れずに帰港・・・・・・いやね魚探を観て昨日より更にヒドい・・・・・ もうどうしようも無い、出て10分で「こりゃ今日も撤退だな〜」て独り船内で呟いたし・・・・・

 別に自然を恨んでもどうにもならん、好転する訳で無し、潮の流れが変わるとか大雨が降るとかしないと改善はみられんだろうな・・・・・

 こういう事が続くと世間を恨んだりするかもしれんが自分の場合何も出来ん無力な自分に腹が立ってくるね・・・・・ 世間が悪いやらいう考えは下の下だと思う、もはやそんな考えしか出来ん自分になったらそれこそ「生きる価値」は無い・・・・・ そういう自分にはなりたく無いと何時も心の中で思っているが何時それすら見失ってしまうかわからん。


 人間只管理想を追うか現実に生きるか・・・・・二社択一の世界なのか?と思ったりするが実際どちらも選べず両者の狭間で板挟み状態のが現状、もはやちっぽけな理想など捨て去ってひたすら現実と付き合っていきたいがどうもにもそのちっぽけな理想が捨てられない・・・・・全く愚かというか哀れというか・・・・・ 何時になったら答えが出るのやら先行きは不透明なり。

Posted at 2011/05/24 18:35:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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「カロスポももうじき三万キロが近い」
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