1945年8月6日、広島に対して世界初の核兵器が使用された更に3日後には長崎にも・・・・・・ 発進されたのはマリアナ諸島のテニアン島、無論そこで製造された訳でなくアメリカ本土より持ち込まれたものだ。
その輸送において日米両国のある艦艇2隻は運命という名の定めなのだろうか太平洋上で相見えることとなる。
輸送を担当としたのはポートランド級重巡洋艦2番艦「インディアナポリス」

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排水量 9,800トン
全長 610 ft (186 m)
全幅 66 ft (20 m)
吃水 17 ft 4 in (5.28 m)
機関 ホワイト・フォスター式重油専焼水管缶8基+パーソンズ式ギヤード・タービン4基4軸推進
最大速力 32 ノット (59 km/h)
乗員 1,269
兵装 55口径8インチ3連装砲3基、25口径5インチ単装砲8基、40ミリ機関砲、20ミリ機銃(最終時)
搭載機 2機
この艦は太平洋戦争前は大統領を乗せ太平洋横断やニューヨークでの観艦式でも大統領自ら乗り込み関越し各種旗艦としても使用され非常に誉れ高い歴を持ち、更に太平洋戦争に突入してもスプルーアンス中将(後に大将)の旗艦としても使用され多くの戦場に赴き武勲を上げていた。
特攻機の攻撃を受け修理を受けある任務を任される。 それは後に広島長崎を焼き尽くすこととなる原子爆弾の心臓部たる「ウラン235」だった。
無論この荷物の内容は艦には知らされずインディアナポリスは艦長チャールズ・B・マクベイ3世大佐の下、7月16日、世界初の核実験が成功したと同時に三フランシスコを出発した。 奇しくも同日、呉基地からも昨年竣工したばかりの最新鋭潜水艦伊58が出向した。
伊58潜水艦
排水量: 基準排水量:2,140t(水上)/3,688t(水中)
全長: 108.7m
全幅: 9.3m
吃水: 5.19m
機関: 艦本式22型10号ディーゼル機関×2(2軸、水上4,700HP、水中1,200HP)
最大速: 水上:17.7kt
水中:6.5kt
航続距離: 水上:38,850km(21,000海里)/16kt
水中:194km(105海里)/3kt
兵員: 約94名
兵装: 25mm連装機銃1基
53cm魚雷発射管6基、魚雷19本
水上偵察機1機
橋本以行少佐指揮のした人間魚雷回天(合計6基搭載)を搭載しグアムとレイテ湾を結ぶ航路に向け出発した。
マックベイ大佐指揮のもとインディアポリス快速を持ってまるで死神を振り払うかの様な速度で航行、何事もなかったかのように7月26日には無事に到着し積み荷を降ろして任務を完了した。
しかしインディアナポリスは死神を振り切ってはいなかった・・・・・・・
積み荷が下ろし終わるとすぐさま別命が下りレイテへ向かう事となる。 それがこの誉れ高い艦の最後の航行となろうとはだれも思っていなかっただろう。
未だに極秘任務の為必要な情報を得られていなかったインディアナポリスは伊58が待つ海域へと速度15ノット前後で進入、対潜水艦行動のジグザク航行もそのときは止めていた。
そして7月30日0時15分、北緯12度02分 東経134度48分の地点で日本海軍の潜水艦伊58(回天特別攻撃隊・多聞隊、艦長:橋本以行少佐)はインディアナポリスを発見し、九五式酸素魚雷を 初回発射3本、数秒おいて2回目発射3本の計6本を全門発射したうちの3本が右舷に命中、船体を鋭く貫いた魚雷が爆発。
特に時差発射した2回目の魚雷が、1発目が船体に開けた穴に入り込み奥で爆発、艦内第二砲塔下部弾薬庫の主砲弾を命中と同時に誘爆させ、同艦は夜空に大きく火柱を吹き上げると、艦前半部を海に突っ込みながら暫く浮いていたが、12分後に転覆、沈没した。
米軍関係の記録や話では、破孔が2つだったため命中2発としているが、生存した乗組員の間でも、また伊58の記録でも、魚雷爆発音(こもったような振動するような短い音)は3回とされている。
正に全てこれは運命の仕業かというように誉れ高い艦「インディアナポリス」はその船体を太平洋の海に没した。 更に極秘任務のため正確な艦位置を司令部が特定出来ず救助は大幅に送れた。
乗員1,199名のうち約300名が攻撃で死亡し、残り約900名は8月2日に哨戒機によって初めて発見されてから5日後に救助が完了するまで、救命ボートなしで海に浮かんでいたが、水、食料の欠乏、海上での体温の低下、これらからおこった幻覚症状、気力の消耗などで多数の乗組員が死亡した。
それに加えサメによる襲撃が心理的圧迫を強くした。その後映画およびディスカバリーチャンネルの番組等で、サメの襲撃が演出として過剰に語られたため、大多数がサメの襲撃の犠牲者になったかのように思われているが、おもな原因は救助の遅れと体力的限界が死亡の原因といわれている。救助された生存者は わずか316名だった。
撃沈後伊58はアメリカ側が大騒ぎしていることを間接的に知ることとなった。大和田通信所からの無線情報で重要艦船の遭難と、その救助に関する通信が多くなっているという情報を受けたのだ。
アメリカ側はこの撃沈で極秘事項が日本側に漏れているのではないかと相当思ったようであるがこれは「偶然」の出来事であった。
その後インディアナポリス艦長マックベイ大佐は軍法会議にかけられ異例の有罪判決をうけた ・・・・・ その時証人として来ていた、伊58艦長橋本以行元少佐はジグザグ運動をしていても撃沈できたと証言したのにも関わらず、事件の責任を全てマックベイ大佐に擦り付けようとするアメリカ海軍上層部の思惑があったとしか言いようのない判決であった。
その後恩情で無罪となったもののインディアナポリスの遺族から責め立てられたマックベイ大佐は1968年に自ら命を絶った。
伊58艦長橋本以行元少佐は戦後は神職の資格を取り、梅宮大社の神職となる。図らずも回天特攻隊員を運送する任を負っていた事・回天搭乗員を出撃させ戦死させた事・もっと早く哨戒海域に着いていれば、広島・長崎への原爆投下を防げたのでは(テニアン島入港前の『インディアナポリス』を撃沈できたのではないか?)と云う自責の念から、太平洋戦争で亡くなった全ての御霊の鎮魂を祈る日々を送ったと云われる。
運命に誘われた二隻の艦、インディアナポリスは多くの乗員を失いマックベイ艦長は言いがかりの様な判決を受け自ら命を絶った。 無事に帰還した伊58もその後回天搭乗員を失い橋本行元艦長もその真相を知り自責の念と葛藤に最後まで悩まされ続けた。
ナニが正しかったのか・・・・・・・ アノ戦争とは何だったのか?? この2隻の物語もその中の小さな出来事の一つ・・・・・・ でも歴史にIFがあったとしたら・・・・・・ そう思ってしまった今日この頃。
それと軍法会議から50年後、マクベイ大佐の名誉回復運動に広まり、米国国会にて彼の汚名を返上する決議が採択され、当時のビル・クリントンアメリカ大統領も『インディアナポリス沈没の責任において、マクベイ大佐は無罪である』とする書面にサインを行った。 これによりマックベイ大佐は名誉を取り戻している。
Posted at 2013/11/25 20:08:21 | |
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