「何で今頃、愛車変歴?」
って思った皆さん、実は先日行ったフロムセブンミーティングで↓のクルマを見つけたからです。

フォトギャラのコメントでも書きましたが、亡父が最初に買ったクルマでした。
物心付いた時に家に有ったエンジン付きの乗り物は、ホンダのカブでした。
カブについての思い出は、妹が生まれた時にカブに乗せて貰って病院に行く途中に亡父が転倒して堤防に放りだされた事です(何故か今でもこの記憶だけが有ります)。
そんな亡父が4輪の免許を取って買ったクルマが、空冷のパブリカでした。
よくよく思い出してみると、フロムセブンに来ていたパブリカは後期型の800で、亡父が買ったのは前期型の700でした。フロントのウインカー?やグリルの形状が違います。

当然写真等残っていないので、拾いものです。
このパブリカをボクはとっても気に入ってました、フラットツインのエンジン音で亡父のパブリカが帰ってきたのをいち早く分かりました、もしかしてこの時の水平対向のエンジンの記憶がケイマンに繋がったのかも、唯一の不満は2ドアなことでした。
で、次のクルマの購入の話が出た時には、「こんどは絶対に4ドア。」と主張した事は当然でした。
購入の候補に挙がったのは、当時のファミリーカーの2トップ、カローラとサニーでした。
結果は「プラス100ccの余裕。」のキャッチコピーのカローラ(KE10)に当然4ドアでした。

一番右の白のクルマです。
グレードは、SL・Hiデラックス・デラックス・スタンダードのうち、ダブルホワイトリボンタイヤを履いたHiデラックスを押すもあえなく却下されデラックスでした。(T_T)
買って直ぐにマイナーチェンジでエンジンが1100ccから1200ccになり、もっとガッカリしました。
その後買い替えの理由は覚えてませんが、3台目もカローラ(TE20)1400Hiデラックスで中古車でした。
だた、クーラー&ステレオ付きで、亡父がミョーにウキウキしてたことを覚えてます。

ボディカラーは茶色のメタリックでした。
当時はACでなくクーラーで、助手席の前のダッシュボードにつく吊り下げ式。またステレオも8トラックの物でテープも亡父好みの演歌のテープが2~3本有るだけで、殆ど聞いた覚えがありません。
ちなみにこのカローラがボクが初めて運転したクルマになります(当然教習車は除くです)。
このカローラは、ある日追突事故(三重追突の真ん中)に遭い廃車に。修理代で買えるクルマとして来たのが、唯一(軽トラを除く)トヨタ車以外のクルマ、スバル・レオーネでした。

このレオーネ、値段が値段だったので1年程して買い替えの話が出てきました。
その時亡父の口から出たクルマの名前は、何んと「スプリンター・カリブ」でした。
当時、県庁を退職した後の55歳過ぎの亡父の選択には驚きましたが、当時スキーに嵌っていたボクには反対する理由は何も有りませんでした(当時のボクのクルマはアコードHB)。

ボディカラーは白でした。
カリブにした理由は、お世話になっているクルマ屋さんの社長(スキーがめっちゃ上手い)が、スキー用に「(発売されたばかりの)カリブを買うけどスキーのシーズンが終わったら買わないか。」って父に言ったことが発端でした(亡父が買わなければ、ボクが買うと社長には言ってありました)。
このカリブは父の山歩きへの御供、ボクのスキー行きの足、秋には刈り取った籾の入った袋の運搬と大活躍でした。ある時、妹の結婚相手の”聞き合わせ”に行った時にカリブで義弟の実家の前を通ったため、”聞き合わせ”に行ったことがバレバレだっなんて事がありました。
このカリブも酷使(時には田んぼの中を走ったりした)が祟ってか買い替えの話がでて、次もワゴンタイプのクルマかなって思っていたら、同じスプリンターでも普通のセダンでした。せめて5ドアの「シエラにしたら。」と勧めたんですがあえなく却下されました。
亡父にとっては、乗用車最後の新車となったスプリンター(AE82)セダン、グレートはなんと予想外のトップグレート(GTは除く)のSE、でも亡父の拘りでミッションはMT。ATであれば在庫有りで納期1週間なのにMTは注文生産で納期1ヶ月でしたが、亡父はとても気に入ってました。

これはGTです。

ボクがプッシュしたシエラ
ところが、その後新車に乗り換えた軽トラック(スズキ・キャリー)の方が使い勝手が良かったのか、3人以上乗る時以外はスプリンターの出番は無くなり、いつしか車庫で惰眠をむさぼる様になり車検から車検までの走行距離が1000kmなんて時もありました。
でもボク(チェイサーに乗っていたころ)が、中津川市に単身赴任になったので中津川までの足にするために車庫から引っ張りだしました。当然バッテリーは上がってましたが、年式の割には距離を走ってなかった為かエンジン等は問題無く2年間毎月1000kmを走ってくれました。
一度オルタネーターが壊れて、Dラーから修理に7~8諭吉掛かると言われ廃車を覚悟しましたが、カリブを売ってくれたクルマ屋さんの社長の「中古のオルタネーターを使えば1~2万で治る。」と言われて、見事2万円弱で復活しましたが。
しかし、ボクの単身赴任が終わると再び車庫にこもる日々に逆戻りし、車検満了とと共に廃車になりましたが、7年間での走行距離は3万キロ以下でした。
亡父の車歴は、パブリカからスプリンターまでの乗用車6台+軽トラック2台というものですが、スプリンター・カリブを除けば普通のファミリーカーばかりを乗りついてましたが、決して車に興味が無かった訳ではなく「金が有ったらもっと良い車に乗りたい。」と話していたそうです。
実際ボクが初めて輸入車の新車のBMW320i(E46)を買った時は納車後直ぐにBMWの所にきて、
「やりゃがったな。」と言って自分の事の様に喜んでいて、その後何度か父を乗せて走りました。
今までボクがスポーツカーやスポーティカーを乗りついで来たのは、実家のクルマがファミリーカーばかりだった反動かもしれませんね。
天国の父は今のケイマン&Z4という無謀な体制をどう思ってるかな?
「あいつの車馬鹿は、いくつになっても治らないな。」って笑ってるでしょかね。
「オヤジ、心配しなくても車馬鹿は神様2号(長女)に遺伝してるよ。」って言っておきましょうかね。(^o^)
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