2011年03月26日
償いの郷土再建 相馬市長「ろう城」決意 メルマガ再開 市民と共に…
産経新聞 3月26日(土)15時13分配信
緊迫した状況が続く東京電力福島第1原子力発電所から約45キロの距離にある福島県相馬市の立谷秀清市長(59)が、東日本大震災の発生以来中断していたメールマガジンの配信を再開した。
放射能への不安が市民に広がっていることを伝える一方、地震と津波で犠牲になった市民や消防団員への「償い」として郷土の再建を約束。
「市民とともにこの相馬市を離れるつもりはない」とつづり、見えない恐怖におびえる市民の不安を払拭するように、復興に向けた決意を示した。
再開したメルマガ3月24日号のタイトルは「ろう城」。
相馬市は大きな被害を受けたが、原発の事故で一部が避難指示や屋内退避圏内となった隣町、南相馬市からの避難民を受け入れている。
メルマガではそうした動きを目の当たりにした市民たちの間に「遠くに逃げ出そうという気分が広がっていった」とつづる。
しかし、文面に弱音や救いを求める声はない。
「米と味噌(みそ)と梅干しがあれば、生きてはいける。(中略)よってろう城をしながらここで頑張る」と、市民に冷静な対応と団結を求めた。
漠然とした不安で、郷土の再建を遅らせることは「津波から被災集落住民の命を守って殉職した(消防団の)分団長や団員に申し訳がない」からだ。
取材に対し、立谷市長は「市民に向けたメッセージとして書いた。
『何で市民を市外に避難させないのか』という声もあるが、ここで逃げたら相馬市はなくなってしまう。国が逃げろっていうまで、俺たちは絶対に逃げない」と話した。
「ここで生活の不便さや原発の恐怖心に負けてしまったら、相馬地方は将来ともに復興が出来ない」-メルマガの文面は広報誌の号外としても市民に配布された。
避難所では涙を流しながら読む被災者の姿もあったという。
相馬市によると、放射能への警戒から市内の物流が一時止まったが、立谷市長が個人的につながりが深い全国各地の首長にメールを送って支援を要請。今や数十トンの米が集まり、梅干しも大量に届いた。
最低限の「兵糧」は整っている。
市内にとどまることを強制しているわけではないという。
立谷市長は「逃げる人を責めることはできない。もちろん、帰ってきたら優しく迎えるつもりだ」と話し、「市民とともに頑張るよ」と笑った。
避難所を回り、市民に団結を呼びかけ続けているという声はかれていた。
男気あふれる市長さんにエールを!
気合いと根性!
相馬市を必ず復興させてください!
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Posted at
2011/03/26 21:37:27
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