2021年02月02日
当然で有る。
確かに飲食店や旅行業者や観光地には、大打撃だろう。
しかし、鼠算式に2乗ペースで広がる感染者には、極少数まで下げないと直ぐに感染爆発してしまう。
だから、東京都で500人を切ったら解除では、早過ぎるのです。
50人を切るまで落とせば、一月以上は増えるに時間を要するので、長い目で見れば再び緊急事態宣言する頻度が減るから、我慢するしか無い。
2020年3月には、志村けんさんと言う著名人が亡くなったインパクトの大きさで、本来真面目な日本人が自粛に対して、日本中で取り組んだ。
4月に岡江久美子さんも亡くなり、より一層身近に感じたのだろう。
2020年5月には、東京都でも感染者一桁を記録するまでになり、7月まで第2波が発生しなかった。
しかし、慣れてしまい年末年始には、東京都で2000人以上の感染者に、それまで羽目を外していた者まで自粛したお陰で、2020年4月並のペースで減少している事実。
と有る有識者が昨年と今年の感染者ペースを予測して当たっていた凄い方が言っていたが、東京都で感染者1名まで落ちた事は驚きだったが、終息するには限界近くまで落とすのが、長期的見て大事だと。
2021年2月末医療従事者、3月4月に65歳以上の高齢者のワクチン接種。
5月以降❓実際は6月以降となりそうな、65歳未満のワクチン接種までは、感染者爆発を押さえ込む必要が有るのが事実。
今年こそは、GWに出掛けられるように皆で今、自粛生活しようではないか。
日本人なら出来る、2020年に出来たのだから。
オリンピック開催出来る?なんて言っているが本当だろうか?。
俺は難しいと思うがどうだろう。
無論、オリンピック開催して欲しい。
先進国は良いにしても、アメリカやブラジル、イギリス等ヨーロッパの現状を見ても?としか、思えない。
取り敢えず、開催国の日本では開催可能な条件を整え、空港検査を出発国にも求めて、入国時には感染者が出ない対策をしないといけない。
磯田先生が言っていたが、先人に学べである。
かつて日本では船で戦争より帰還時に、感染防止出来たので有る。
よく歴史を見るのは後ろ向きなんて言う分からず屋が居るが、決してそんな事は無い。
武田信玄が築いた、信玄堤は現在は自然を制御しようと、土手を過去を照らして高く築いているが、信濃川然り、最上川や阿武隈川や高梁川で氾濫したでは無いか?。
信玄堤は氾濫逃げを用意した作りだった。
津波に対してもそうだ。
明治時代とチリ地震での先人の戒めを守らず、入江の低地まで住宅を建て浸水した。
広島県の山崩れもハザードマップで危険度高いのに、住宅建設にokを出していた。
やはり、危険な地域地区は移設する事が、将来的にも、危険や修復費用の点でも安く安全性が高いのではないでしょうか。
無論、お年寄りの先祖代々の土地を大事にしたい気持ちも解る。
現在、空き家が多く空いている危険度の低い田舎が沢山有る。
そんな場所へ集団で引っ越す等、考える時期では無いだろうか?。
地区全体で行けば、寂しい事無く老後を安全に過ごす事が出来るではないか。
政府も柔軟性を持って政策を立てるべきだ。
他にも、河川脇の道下に土管を埋めて洪水対策も出来るではないか。
当然国道なら国有地だから、購入は不要なので決めてしまえば、直ぐにも実施可能だ。
将来を見据えて、温暖化が進むのは間違え無いから、予想外なんて言い訳は聞きたくない。
果たして考えている議院は居るのだろうか?。
頑張れ議院。
次の緊急事態宣言の目安を予め、発表しておけば国民も自覚を持って受け入れる事が出来るだろう。
後手後手過ぎる自民党与党政策、予め道標を解りやすく示して下さい。
Posted at 2021/02/02 20:34:19 | |
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感染病(ウィルス他) | 日記
2021年02月02日
2017年11月7日に四国お城巡り前に立ち寄りアップしましたが、当時は初心者で撮影枚数も少なくて、調べ方も疎かで有った。
因って、米子城写真編集前にその時の分を一度編集し直した。
しかし、今回2回目の2019年11月16日鬼ノ城を訪れようと米子城の後に疲れて就寝したのが、高梁市で有った。
朝一なら雲海に浮かぶ備中松山城が撮影出来ると思い、急遽追加したお城でした。
前回は一桁目で今回は117箇所目の後で、中級者になって訪れたのであった。
前回80枚撮影から400枚以上撮影と格段に増した写真。
備中松山城(小松山城)まででも見過ごしていた、櫓跡や門跡を多数撮影。
オマケに最近は山城を攻略していたので、大松山城まで制覇したので往復55分の山岳ルートは、なかなかハードでした。
気になっていた大松山城跡でしたが、石垣等の遺構も少なく残念な感想ですが、後悔は有りません。
ただ、次の鬼ノ城も山城でヘトヘトになりました。
さて、肝心の写真編集ですが、折角編集した2017年分も含めてシャッフルする事になりました。
因って、本格的に資料収集しての編集だと、米子城前に行った写真編集に不備が見つかり、結局全て修正となりました。
因って、今後写真アップは、前回分も全て上書きしてアップする事にしました。
前回分80枚は、おすすめスポットよりフォトギャラリー検索より捜して上書き。
2019年分は、別途アップしますが、フォトギャラリー検索に追記しますので、判り易いように繋がりを持ってアップとなります。
現状では、小松山城まで80%編集完成、これから山城部分の大松山城跡までの往復ルート編集に入ります。
1月26日から8日間で備中松山城(小松山城)が終わり、大松山城跡往復を2月6日までに終らせる予定です。
次の鬼ノ城も400枚以上なので、2月16日まで掛かりそうだ。
赤穂城は当日疲れていたが、龍野城を翌日にまわしたので、かなりの枚数撮影となり辺りが暗くなってしまう程の広さが有ったのを思いだした。
一応予定では赤穂城まで2021年2月中に終らせるつもりだ。
龍野城も山城まで攻略しましたが、ここは麓のお城だけで充分でした。
山城は江戸時代に放棄しただけに、一度整備したが現在は入山出来ないようにテープが貼って有りました。
自己責任で攻略してみましたが、山頂付近に僅に石垣が残る程度です。
もし攻略するなら、遠回りですが整備されているコースから登る事をお勧めします。
次の千早城までは兵庫県南部と大阪を通り抜け、奈良県境の千早城に到着が15時頃になり、NHKの美人巨乳アナがヒーハーしながら登っていたのを思いだした。
実際、自分も龍野城山城で足を使い過ぎてヘトヘトでノンビリ登っていて途中でスレ違った人に後何分位か尋ねたら、その歩き方では60分掛かると言われ、ギヤを上げて遠回り楽チンルートから、急勾配ルートに変更したのを思いだした。
楠木正成公が築いた難攻不落の千早城。
帰り道は別ルートで降りてきました。
お陰で麓の道を1.5kmを歩く羽目に遇いました。
神社しか無い1300年代の古いお城だけに、石垣は殆ど無く戦国時代のお城を期待するとガッカリします。
しかし、100名城スタンプが置いて有る向かいの豆腐屋さんは有名らしく、賑わっていました。
自分も購入して後で食べましが、なかなかでした。
その場や100名城スタンプ設置場所で食べる事が出来ないのが残念でした。
当日は、2つの山城制覇でヘトヘトでしたが、翌日に行く奈良県の高取城が下道1本に近い状態で70分で行けると言うので、大和郡山城と順番を入れ替えました。
道の駅で就寝して朝一から攻略しましたが、NHKで難攻不落で選ばれただけに、本丸往復だけなら対した事は有りませんが、二の丸から分岐した石垣が崩れた一ノ門跡まで攻略は、降りてから登る2時間越えの大変な思いをしました。
次の大和郡山城が平城で助かりました。
月曜日でスタンプとパンフレットが貰えず、2020年再訪問する羽目に遇いました。
実際は、大和郡山市役所に置いて有るが、何処にも記載していない。
これから行かれる方は、大和郡山市役所にも展示物が僅に有るので、寄る事をお勧めします。
現在は本丸への橋を建築中です。
自分は、堀周りを1周しました。
二の丸の施設は閲覧が限られているようで、私は見学出来ませんでした。
しかし、直ぐ裏に遺構が有り撮影は可能でした。
当初は4連休が、急遽5連休になり予備日でしたが、全て見学出来た満足感一杯の2019年11月山陰・兵庫県・大阪・奈良県のお城巡りでした。
この後帰宅の途につきましたが、東名阪国道~伊勢湾道~東名高速~圏央道で帰りましが、翌日朝一到着で仕事は大変でした。
たまたま午後から仕事だったので、お風呂に入り6時間寝られたので助かりました。
龍野城~千早城~高取城~大和郡山城で1200枚以上撮影したから、2021年4月まで写真編集に掛かる見通しだ。
緊急事態宣言は解除されそうだから、九州・東北・近畿地方・四国の中で選択してGWを楽しもうと思います。
残り46箇所のうち何箇所制覇出来るか楽しみです。
Posted at 2021/02/02 18:42:56 | |
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お城巡り | 日記