錦帯橋
木で作った半丸が連なる造形が美しい
2017年04月29日

2017年GW04月23日姫路城(86枚撮影・1時間37分)+好古園(17枚撮影・21分)~湯原温泉~境港。
~4月24日松江城(156枚撮影・50分)~出雲大社(92枚撮影・1時間20分)。
~4月25日マツダミュージアム(95枚撮影・4時間)~宮島(91枚撮影・140分)~広島の友人とプチオフ。
~4月26日岩国城/錦帯橋(107+56枚撮影3時間半)~秋芳洞(62枚撮影40分)~関門大橋(25枚撮影・20分)~博多屋台村(13枚撮影・60分)。
~4月27日吉野ケ里遺跡(53枚撮影・40分)~唐津城(41枚撮影・40分)~呼子のイカ(26枚撮影・1時間30分)。
~4月28日佐世保から平戸観光。
~4月29日長崎市観光~クラッチが滑った愛車を置いて飛行機で帰宅でした。
100名城スタンプを当時集めていなかったけど、80箇所集まったので九州お城巡り3ついでに、広島/島根/山口県と四国の新規と再びでスタンプとパンフレットをゲットの予定を立てました。
●2021年05月01日(曇)安芸・吉田郡山城(346枚撮影・3時29間分)165箇所目~石見・浜田城(247枚撮影・2時14間分)166箇所目。
●5月02日(雨)石見・津和野城・167箇所目(295枚撮影・4時間41分)~周防・大内氏館跡/高嶺城(続100名城)(241枚撮影・3時間36分)168箇所目~長門・萩城・169箇所目(351枚撮影・2時間50分)。
●5月03日周防・岩国城再び(424枚撮影・2時間50分)7箇所目~筑前・福岡城再び(舞鶴公園)再び(637枚撮影・3時間56分)75箇所目。
●5月04日筑前・大野城(97枚撮影・3時間9分)170箇所目~大宰府天満宮(45枚撮影・30分)~吉野ケ里遺跡再び(169枚撮影・1時間39分)8箇所目~肥後・熊本城(171枚撮影・1時間56分)171箇所目。
●5月05日肥後・八代城(357枚撮影・2時間19分)(続100名城)172箇所目~肥後・人吉城(281枚撮影・1時間56分)173箇所目~薩摩・鹿児島城(鶴丸城)(119枚撮影・1時間23分)174箇所目。
●5月06日日向・飫肥城(225枚撮影・2時間57分)175箇所目~高千穂峡(52枚撮影・19分)~豊後・岡城(547枚撮影・2時間45分)176箇所目。
●5月07日豊後・府内城再び(76枚撮影・52分)81箇所目~別府温泉地獄巡り再び(137枚撮影・2時間12分)~伊予・大洲城再び(95枚撮影・52分)59箇所目。
●5月08日伊予・宇和島城再び(449枚撮影・4時間1分)15箇所目~伊予・湯築城(199枚撮影・1時間8分)177箇所目~伊予・松山城再び(358枚撮影・2時間59分)14箇所目。
●5月09日土佐・高知城再び(745枚撮影・3時間52分)17箇所目~備後・片刈城(因島水軍城)(168枚撮影・58分)178箇所目。
●5月10日播磨・赤穂城再び(278枚撮影・2時間32分)120箇所目と10日間23箇所お城巡り。
2回目も5月3日に岩国城とセットで見学しましたが、前回同様福岡城再びに急いでいたので橋を渡らず数枚撮影しただけでしたが満足です。
山口県岩国市に有る、日本で三本指に入る橋です。
2010年に計画しておじゃんになった、どうしても見たい橋でした🎵
雨さえ降らなければ、もっと最高でした。
上を歩くには通行料金が必要です。
次に向かう必要も有ったし、雨で滑るので止めました❗
錦帯橋HP
http://kintaikyo.iwakuni-city.net/
関連リンクのフォトギャラリー検索に貼った、URLより写真を見てください(写真は岩国城とセットです)。
===============HPより==================
錦帯橋(きんたいきょう)は、山口県岩国市の錦川に架橋された、木造のアーチ橋である
日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、名勝に指定されている。
藩政史料には「大橋」と表記されることが多く、また「凌雲橋(りょううんばし)」、「五竜橋(ごりゅうばし)」、「帯雲橋(たいうんばし)」、「算盤橋(そろばんばし)」などとも呼ばれていた。
「錦帯橋」という美名は、完成後に定着した説が有力とされている。文書による初出は宇都宮遯庵の記述した文書内である。
5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3メートル、幅員5.0メートルで、主要構造部は継手や仕口といった組木の技術によって、釘は1本も使わずに造られている。
石積の橋脚に5連の太鼓橋がアーチ状に組まれた構造で、世界的に見ても珍しい木造アーチ橋として知られる。
また美しいアーチ形状は、木だけでなく、鉄(鋼)の有効活用がなされて初めて実現したものである。
杭州の西湖にある堤に架かる連なった橋からヒントを得て、1673年に創建された。
西湖の錦帯橋とは2004年に姉妹橋となっている。
現在、そのほとりには、錦帯橋友好の石碑が建立されている。
1950年(昭和25年)の台風で全て流失したため、現在の橋は1953年(昭和28年)、建造当時のまま復元されたものである。
桜の名所として、吉香公園と共に日本さくら名所100選に選定されている。
錦帯橋は1673年(延宝元年)に、岩国藩主吉川広嘉によって建造されたものである[2][4]。
初代岩国領主の吉川広家が岩国城を築城して以来、岩国城と錦川を挟んだ対岸にある城下町をつなぐ橋は数回架けられているが、錦川の洪水によりたびたび流失していた[4]。
3代領主の広嘉は、洪水に耐えられる橋を造ることに着手する。
橋脚をなくせば流失を避けられるとのアイデアのもと、大工の児玉九郎右衛門を甲州に派遣し、橋脚がない跳ね橋(刎橋)である猿橋の調査を命じた。
しかし、川幅30メートルの所に架けられている猿橋に対し、錦川の川幅は200メートルもあるため、同様の刎橋(はねばし)とするのは困難であった。
広嘉がある日、かき餅を焼いていたところ、弓なりに反ったかき餅を見て橋の形のヒントを得たという[4]。
また、明の帰化僧である独立性易から、杭州の西湖には島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知り、これをもとに、連続したアーチ橋という基本構想に至ったともいわれている[5]。
アーチ間の橋台を石垣で強固にすることで、洪水に耐えられるというのである。
延宝元年(1673年)6月8日に基礎の鍬入れが始められ、児玉九郎右衛門の設計により、石で積み上げられた橋脚を川の堤防に2個、中間に4個の計6個築き、その上から片持ちの梁をせり出した木造の5連橋を架けた。
広嘉は近くに住居を構えて自ら架橋工事の監督を行い、扇子を開いてアーチ橋の湾曲の形を決定したという。
同年10月、錦帯橋は完成し、地元で家内睦まじいことで評判の農家清兵衛の一家12人による渡り初めが行われた。
しかし、翌年の延宝2年(1674年)、洪水によって石の橋脚が壊れ、木橋も落ちてしまったので、同年、家来に石垣の研究をさせて橋台の敷石を強化し再建した。
この改良が功を奏し、その後は昭和期まで250年以上流失することなく定期的に架け替え工事が行われ、その姿を保った。
なお、橋は藩が管理し、藩内では掛け替え・補修の費用のために武士・農民など身分階級を問わず「橋出米」という税が徴収されていた。
ただし当時、橋を渡れるのは武士や一部の商人だけで、一般の人が渡れるようになるのは明治に入ってからであった。
住所: 山口県岩国市
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