紀州・和歌山城
徳川御三家紀伊和歌山城の回廊
2017年12月12日

★2017年11月四国お城巡り1を予定(予定外で追加した2箇所)、●初日・2017年11月06日・犬山城(64枚撮影70分)11箇所目~彦根城(151枚撮影78分)12箇所目。
●2日目・11月07日・瀬戸大橋と鷲羽山とあたごループ橋(51枚撮影5時間12分)~備中松山城(117枚撮影1時間19分)13箇所目~倉敷美観地区(40枚撮影33分)~しまなみ海道(121枚撮影2時間15分)~道後温泉と松山市路面電車(77枚撮影2時間03分)。
●3日目・11月08日・伊予松山城(180枚撮影110分)14箇所目~伊予宇和島城(67枚撮影45分)15箇所目~四万十川(33枚撮影108分)&土佐中村城(20枚撮影10分)16箇所目。
●4日目・11月09日・仁淀川(43枚撮影2時間44分)~土佐高知城(135枚撮影90分)17箇所目~讃岐丸亀城(81枚撮影60分)18箇所目~讃岐高松城・(128枚撮影71分)19箇所目。
●5日目・11月10日・紀州和歌山城(140枚撮影76分)20箇所目~高野山(123枚撮影2時間30分)で巡りました。
11月9日に大阪の友人宅に泊まり、阪神湾岸線で別の大阪の友人とミニオフしてから向かいました。
ただ高野山経由で関東の自宅に帰るし、最終日だったので、さっさと終わらせました。
2017年11月10日140枚撮影76分見学で満足感80点。
★2022年3月27~4月1日関西東海お城巡り16箇所のお城巡りしました。
●2022年03月27日但馬・竹田城再び(2回目・雲海は目指したが断念)(252枚撮影・3時間38分)56箇所目~播磨・波賀城史蹟公園(104枚撮影・1時間0分)179箇所目~播磨・姫路城再び(2回目・殆ど再撮影)(569枚撮影・3時間27分)5箇所目~。
●2022年03月28日播磨・池田城跡公園(109枚撮影・1時間8分)180箇所目~摂津・大坂城再び(3回目・七番櫓跡他)・(508枚撮影・4時間2分)5箇所目~大和郡山城再び(3回目・極楽橋/二の丸櫓跡他)(229枚撮影・2時間41分)124箇所目~。
●2022年03月29日大和高取城再び(2回目・本丸周りの曲輪)(508枚撮影・5時間04分)123箇所目~紀州和歌山城再び(全体的再撮影・100名城スタンプゲット)(683枚撮影・3時間26分)20箇所目~那智勝浦まで約167km(一般道100km)。
●2022年03月30日那智大社、那智の滝~紀伊・赤木城(161枚撮影・1時間20分)181箇所目~銚子川・一般道メイン約70km~伊勢・田丸城(349枚撮影・2時間0分)182箇所目~伊勢神宮外宮(66枚撮影・35分)~安土城キングダム・ばったもん城・夜景(20枚撮影・29分)・183箇所目~。
●2022年03月31日伊勢亀山城再び(2回目・博物館と周辺の門跡)(168枚撮影・1時間37分)91箇所目~伊勢・桑名城再び(2回目・二の丸他前回暗くて再撮影)(241枚撮影・2時間8分)161箇所目~尾張・岩崎城(209枚撮影・1時間20分)211枚・184箇所目~長篠設楽原SA。
●2022年04月01日三河・長篠城再び(2回目・設楽原と前回暗くて再撮影)(410枚撮影・4時間53分)146箇所目・一般道約60km~三河・田原城(209枚撮影・1時間46分)185箇所目と巡りました。
まだ2018年当時初心者なので本丸一直線だから、中級者の2024年なら4時間でしょう。
大手門北の約250m市堀川前大和証券前にに京橋門跡、物見櫓跡に京橋門跡の碑が有ります。
更に北の真田堀に面したところに本町門跡の位置は不明。
平城なのでアップダウンは少ないし、お城内の階段が広いので楽勝です。
一応、堀の周りを一周し愛車とお城セット撮影して終わりです。
普通なら120分コースです。
鉄筋コンクリート造りですが、流石は徳川御三家の和歌山城は、回廊が美しい。
和歌山市役所側から入ると庭園が迎えてくれる、戦国の戦いのお城と言うより、人をもてなすお城へになっています。
無論当初は、豊臣秀吉の弟が建てた戦いのお城でしたが、徳川幕府の平和の時代に合うように変化したようです。
鉄筋コンクリート作りは残念ですが、我が町には天守がないので無いよりはシンボルしても嬉しいものです。
老朽化に伴い木造化の計画が有るみたいですが、早くて2035年頃でしょう。
関西以外の方は高野山や那智勝浦セットでお泊りが必須です。
撮影した写真は、関連リンクよりフォトギャラリー検索に貼ったURLより見てください(2022年分は2024年6月頃アップ予定)。
===================HPより=============================
和歌山城(わかやまじょう)は、和歌山県和歌山市一番丁にある日本の城(平山城)で、徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城である。
和歌山城は和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)山頂に建造され、北部を流れる紀の川を天然の堀とする。
本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の丸が配された、梯郭式平山城である。
その他、特徴としては時代によって異なる石垣の積み方などがある。それに、豊臣・浅野時代の石垣には刻印された石垣石がある。
模様は約170種類、2,100個以上の石に確認されているが、その大半が和泉砂石である。
現在は、本丸と二の丸が市立和歌山城公園となっており、本丸南西部には和歌山縣護国神社があり、南の丸には和歌山城公園動物園がある。
主に三の丸跡等には和歌山県庁舎、和歌山市役所や和歌山市消防局、和歌山地方裁判所・和歌山家庭裁判所・和歌山地方検察庁をはじめ公的機関や学校、商業施設、オフィス街、和歌山中央郵便局、県立近代美術館・県立博物館などがある。
遺構として石垣、堀をはじめ、公園内には岡口門と土塀、追廻門が現存している。中でも岡口門と土塀は国の重要文化財に指定され、二の丸にある大楠は和歌山県指定天然記念物である。
また、大小天守群とそれに続く櫓・門、大手門・一之橋が復元されている。
安土桃山時代
豊臣秀吉の弟・秀長は、1585年(天正13年)の紀州征伐の副将として参陣し、平定後に紀伊・和泉の2ヶ国を加増された。
当時は「若山」と呼ばれたこの地に秀吉が築城を命じ、自ら「吹上の峰」を城地に選定し縄張りを行った。
普請奉行に藤堂高虎、補佐役に羽田正親、横浜良慶を任じ、1年で完成させた。
この際に「若山」が「和歌山」と改められている。
江戸時代
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの後、東軍に属した桑山一晴は正式に紀伊和歌山に2万石を与えられたが、まもなくして大和新庄藩に転封となった。
その後、同じく東軍に属した浅野幸長が軍功により37万6千石を与えられ紀州藩主となり入城した。
本丸御殿は、虎伏山の頂上付近にあったため、藩主は二の丸御殿に住むようになっていった。
1850年(嘉永3年)再建当時の大天守は3重3階で、天守台平面が菱形であるため、初重に比翼入母屋破風を用いて2重目以上の平面を整えている。
南面に入母屋出窓があり、初重には曲線的な石落としが付けられていた。
天守は国宝(旧国宝)に指定されていたが、和歌山大空襲で焼失し、現在のものは、1850年(嘉永3年)の天守再建時の大工棟梁・水島平次郎の子孫である栄三郎が所蔵していた天守図と『御天守御普請覚張』を参考にして1958年(昭和33年)に再建されたものである。
復元には東京工業大学名誉教授藤岡通夫の指示を受け、鉄筋コンクリート構造による外観復元とされた。
焼失した文化財
以下の建造物は、国宝保存法に基づく国宝(文化財保護法における「重要文化財」に相当)に指定されていたが、1945年(昭和20年)7月9日、戦災で焼失した。
●重要文化財
岡口門(附:土塀)
●市指定文化財
追廻門
●焼失した文化財
大天守
小天守
北西隅櫓
西南隅櫓
楠門(櫓門)
北東多門(単層櫓)
北西多門(単層櫓)
西多門(単層櫓)
南多門(単層櫓)
東倉庫
西倉庫
住所: 和歌山県和歌山市一番丁
関連リンク
タグ
関連コンテンツ( 観光スポット☆ の関連コンテンツ )
地図
関連情報