陸奥・二本松城(霞ヶ城・白旗城)
山の上の立派な石垣に圧倒された
2018年12月04日

福島県二本松城です。
東北お城巡り1で、2018年GWに東北お城巡り1に組込み観光しました。
●4月28日・花巻城(78枚撮影・34分)42箇所目~中尊寺(96枚撮影・1時間40分)~毛越寺(93枚撮影・37分)~瑞巌寺(55枚撮影・42分)~松島(72枚撮影・50分)(松島と瑞巌寺で1時間30分)。
●4月29日・仙台城(122枚撮影・1時間35分)43箇所目~白石城(151枚撮影・1時間37分)44箇所目~★二本松城(109枚撮影・60分)45箇所目~会津若松城(177枚撮影・2時間1分)46箇所目~さざえ堂(103枚撮影・32分)。
●4月30日・日光東照宮(125枚撮影・1時間45分)&二荒山神社(31枚撮影・40分)~宇都宮城址公園(77枚撮影・1時間10分)47箇所目~関宿城(58枚撮影・45分)48箇所目です。
2018年04月29日訪れ、表題のように山に聳える立派な石垣に圧倒されました。
天守や櫓等はありませんが、石垣好きなら是非行ってもらいたい。
麓の居館部分に行かなかったのが後悔しきりです。
よって2019年3月末東北お城巡り2で再訪問。
●3月29日・白河小峰城(136枚撮影・1時間36分)66箇所目~★二本松城再び(138枚撮影・1時間59分)45箇所目。
●3月30日・堀越城(43枚撮影・13分)67箇所目~弘前城(235枚撮影・2時間42分)68箇所目~三戸城(96枚撮影・53分)69箇所目(三戸城から吹雪で秋田山形県のお城を諦めトイレストップ2回で茨城県まで強行軍走行)。
●3月31日・袋田の滝(58枚撮影・50分)~水戸城(174枚撮影・1時間42分)70箇所目/偕楽園(65枚撮影・1時間6分)~関宿城再び(88枚撮影・1時間26分)48箇所目に組込み、100名城スタンプゲットを含めて再訪問しました。
2022年GW北海道東北お城巡りに急遽追加(桑折西山城と三春城の間)してオマケで再訪問。
●2022年04月26日~27日大洗~苫小牧フェリー18時間+待ち時間3時間半~車移動332km6時間。
2022年04月28日蝦夷・福山城(松前城)(452枚撮影・4時間7分)186箇所目~蝦夷・五稜郭(456枚撮影・3時間38分)187箇所目~青函フェリー待ち時間込7時間。
●4月29日陸奥・浪岡城(139枚撮影・1時間48分)188箇所目~陸奥・弘前城再び(362枚撮影・3時間34分)68箇所目~三内丸山遺跡(256枚1時間21分)。
●4月30日陸奥・根城(420枚撮影・2時間33分)189箇所目~陸奥・三戸城再び(385枚撮影・2時間55分)69箇所目~陸奥・九戸城(301枚撮影・1時間41分)190箇所目。
●5月01日陸奥・多賀城(235枚撮影・2時間24分)191箇所目~陸奥・仙台城再び(194枚撮影・2時間51分)43箇所目~出羽・山形城再び(165枚撮影・1時間43分)99箇所目。
●5月02日出羽・米沢城(上杉神社)再び(313枚撮影・2時間8分)101箇所目~越後・村上城(428枚撮影・4時間43分)192箇所目。
●5月03日越後・新発田城再び(178枚撮影・3時間36分)102箇所目~陸奥・会津若松城再び(2回目スタンプと北出丸メインに)(460枚撮影・3時間58分)46箇所目。
●5月04日陸奥・向羽黒山城(233枚撮影・2時間30分)193箇所目~陸奥・桑折西山城(194枚撮影・1時間51分)194箇所目。
●5月05日★陸奥・二本松城再び(3回目)(310枚撮影・2時間20分)45箇所目~陸奥・三春城(253撮影・2時間3分)195箇所目~陸奥・白河小峰城再び(311枚撮影・2時間47分)66箇所目。
●5月06日上野・岩櫃城(156枚撮影・3時間10分)・196箇所目~上野・箕輪城再び(251枚撮影・3時間15分)133箇所目~上野・一郷山城・模擬天守(お城と無関係のばったもん)(59枚撮影・16分)197箇所目(100名城以外)~上野・高崎城再び(53枚撮影・39分)36箇所目(100名城以外)とお城23箇所巡れました。
駐車場東下に2022年4月9日会館の博物館が会館。
)急遽増やした陸奥・二本松城再び(310枚撮影・2時間20分)45箇所目は博物館が今年4月にオープンしたうえ2箇所知らない遺構を撮影出来たので満足感90点。
関連リンクよりフォトギャラリー検索で、写真を見てください(2022年写真は2024年5月頃アップ予定)。
=========HPより========
二本松城(にほんまつじょう)は、室町時代初期の興国2年/暦応4年(1341年)、室町幕府より奥州探題に任ぜられた畠山高国が塩沢・殿地が岡(「田地が岡」とも)に最初の居を構え、地名を二本松と改称し、畠山氏7代当主・二本松満泰が応永21年(1414年)もしくは嘉吉年間(1441年 - 1443年)にこの地に二本松城を築いた。
政宗は片倉景綱、次に伊達成実を二本松城代としたが、天正19年(1591年)に政宗が葛西大崎一揆の戦後処理で豊臣秀吉の命令により岩出山城に転封されると、二本松城は会津若松城主蒲生氏郷の支城となった。
二本松城は二本松市街地の北に位置し、麓の居館と、標高345mの「白旗が峰」に築かれた城郭からなる梯郭式の平山城である。
山の頂上の本丸が置かれ、本丸と平地の比高は約120mである。
本丸から北西・東・南にそれぞれ尾根が伸びており、東と南の尾根にそれぞれ曲輪が築かれている。
唯一他の山につながっている北西の尾根は堀切で遮断されており、北方の尾根伝いに敵が侵入するのを防ぐ形となっている。
天正19年に蒲生氏郷が入部すると、城域は拡大され、梯郭式の城へと変貌した。
平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(11番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
住所: 福島県二本松市
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