陸奥・仙台城(青葉城)

副将軍独眼竜政宗の居城として有名なお城です。
東北お城巡り1で、2018年GWに東北お城巡り1に組込み観光しました。
4月28日・花巻城(78枚撮影・34分)~中尊寺(96枚撮影・1時間40分)~毛越寺(93枚撮影・37分)~瑞巌寺(55枚撮影・42分)~松島(72枚撮影・2時間14分)。
~4月29日・仙台城(122枚撮影・1時間35分)~白石城(151枚撮影・1時間37分)~二本松城(109枚撮影・60分)/後日(138枚撮影・1時間59分)~会津若松城(177枚撮影・2時間1分)~さざえ堂(103枚撮影・32分)。
~4月30日・日光東照宮(125枚撮影・1時間45分)&二荒山神社(31枚撮影・40分)~宇都宮城址公園(77枚撮影・1時間10分)~関宿城(58枚撮影・45分)/後日(88枚撮影・1時間26分)です。
2022年GW北海道東北お城巡りに追加して訪問。
2022年地震の影響で伊達政宗像が傾く等で見学可能か不安であったが何とか見学出来ました。
●2022年04月26日~27日大洗~苫小牧フェリー18時間+待ち時間3時間半~車移動332km6時間。
2022年04月28日蝦夷・福山城(松前城)(452枚撮影・4時間7分)186箇所目~蝦夷・五稜郭(456枚撮影・3時間38分)187箇所目~青函フェリー待ち時間込7時間。
●4月29日陸奥・浪岡城(139枚撮影・1時間48分)188箇所目~陸奥・弘前城再び(362枚撮影・3時間34分)68箇所目~三内丸山遺跡(256枚1時間21分)。
●4月30日陸奥・根城(420枚撮影・2時間33分)189箇所目~陸奥・三戸城再び(385枚撮影・2時間55分)69箇所目~陸奥・九戸城(301枚撮影・1時間41分)190箇所目。
●5月01日陸奥・多賀城(235枚撮影・2時間24分)191箇所目~陸奥・仙台城再び(194枚撮影・2時間51分)43箇所目~出羽・山形城再び(165枚撮影・1時間43分)99箇所目。
●5月02日出羽・米沢城(上杉神社)再び(313枚撮影・2時間8分)101箇所目~越後・村上城(428枚撮影・4時間43分)192箇所目。
●5月03日越後・新発田城再び(178枚撮影・3時間36分)102箇所目~陸奥・会津若松城再び(460枚撮影・3時間58分)46箇所目。
●5月04日陸奥・向羽黒山城・(233枚撮影・2時間30分)193箇所目~陸奥・桑折西山城(194枚撮影・1時間51分)194箇所目。
●5月05日陸奥・二本松城再び(310枚撮影・2時間20分)45箇所目~陸奥・三春城(253撮影・2時間3分)195箇所目~陸奥・白河小峰城再び(311枚撮影・2時間47分)66箇所目。
●5月06日上野・岩櫃城(156枚撮影・3時間10分)・196箇所目~上野・箕輪城再び(251枚撮影・3時間15分)133箇所目~上野・一郷山城・模擬天守(お城と無関係のばったもん)(59枚撮影・16分)197箇所目(100名城以外)~上野・高崎城再び(53枚撮影・39分)36箇所目(100名城以外)とお城23箇所巡れました。
確かに高石垣は迫力はありますが、復元櫓が一つと寂しいのが残念。
100万都市なんだから、せめて二つは欲しい処だ。
戦争で焼失とGHQの接収で壊されてしまったのが勿体ない。
天守台跡は神社で入れず二の丸は余りに変わり過ぎて行く価値が有るかは各自に任せるしかない。
まぁ青葉城恋唄で有名で一応一回は訪れるつもりだったので、いいでしょう。
あまり大きな期待を持たないで行く事デスネ。
戦争で破壊された櫓や、進駐軍に接収され壊された櫓や門が無いのが残念です。
次の白石城/二本松城/会津若松城/さざえ堂に向かうため、当時集めていなかった日本100名城スタンプとパンフレットをゲットを諦め、青葉城資料展示館見学をパスしましたが、多賀城見学に行く時にゲットしようと思います。
青葉城資料展示館 個人:大人700円、中高生500円、小学生300円/団体(20名以上)大人630円 中高生450円 小学生270円
関連リンクよりフォトギャラリー検索で写真を見てください。
2023年までには再び訪れて写真を追加します。
================HPより===============
仙台城(せんだいじょう)は、現在の宮城県仙台市青葉区(陸奥国宮城郡)の青葉山にあった日本の城(平山城)である。
雅称は「青葉城」で「五城楼」の別名もある。
慶長年間に伊達政宗が築城してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。
二代藩主伊達忠宗の代に完成した仙台城は約2万坪で、大藩にふさわしい大規模な城であった。
政宗が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが天守は持たなかった。
これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は、ビスカイノをして「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」と言わしめるほど、同時代に比類ない堅城となった。
しかし、山上にある本丸は街への往来が不便であったため、世が泰平になると伊達忠宗は1637年(寛永14年)二の丸の造営に着手し、翌年完成させた。
本丸と同じく広瀬川の内側にあるが、土地は平坦な場所である。
伊達家の当主はここに居住し、政務もここで執られた。
時期は不明だが、これと前後して大手門脇、青葉山の麓に三の丸が作られた。
これ以降、本丸が使われることは少なくなり二の丸が仙台城の中枢になった。
初代伊達政宗期に造営された青葉山の本丸、西の丸、二代伊達忠宗期に造営された青葉山山麓の二の丸、三の丸(東の丸)と、それに付随する櫓、門からなる。広瀬川を城の防衛線としている。
住所: 仙台市青葉区川内1-11
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