伊賀・上野城
忍者の里に建つ木造の天守と高石垣が美しい
2020年04月16日

三重県真ん中に有る伊賀上野市に建つ木造の天守が美しい。
無論、かなり昔から知っていたし、関西に1年半住んだ時に国道163号から東名阪で中部RX-8オフ会に行く時に見えた姿は忘れられない。
当時、お城巡りに嵌まっていれば、関西のお城巡りは楽だったろうに。
さて、2019年GWに九州お城巡り2で、初日・2019年04月26日福知山城再び(88枚撮影77分)。
~2日目・4月27日・津山城(243枚撮影3時間11分)~福山城(273枚撮影1時間43分)~広島城(172枚撮影1時間58分)。
~3日目・4月28日・小倉城(194枚撮影2時間13分)~福岡城(266枚撮影1時間50分)~唐津城再び(172枚撮影2時間0分)~名護屋城(218枚撮影75分)。
~4日目・4月29日・平戸城再び(264枚撮影2時間0分)~島原城(240枚撮影90分)~原城(166枚撮影2時間1分)。
~5日目・4月30日・佐賀城(185枚撮影1時間47分)~中津城(247枚撮影1時間21分)~府内城(174枚撮影1時間33分)。
~6日目・5月1日・延岡城(179枚撮影1時間38分)~佐伯城(382枚撮影2時間50分)~臼杵城(296枚撮影2時間4分)。
~7日目・5月2日・川之江城再び(201枚撮影79分)~川島城(57枚撮影23分)~徳島城(309枚撮影3時間3分)~撫養城(88枚撮影47分)。
~8日目・5月3日・岸和田城再び(224枚撮影2時間33分)~法隆寺再び(186枚撮影64分)~伊賀上野城(390枚撮影2時間21分)~伊勢神宮(100枚撮影62分)。
~9日目・5月4日・松坂城(384枚撮影2時間50分)~津城(163枚撮影1時間43分)~亀山城(120枚撮影61分)~吉田城(171枚撮影1時間20分)と回った時に訪れました。
2019年11月14日・福知山城再び(39枚撮影19分)~兵庫県・篠山城(289枚撮影1時間57分)~出石城/有子山城(197枚撮影・2時間6分)~鳥取県・鳥取城(265枚撮影・1時間40分)。
~11月15日・島根県・松江城再び(266枚撮影・1時間42分)~月山富田城(411枚撮影3時間24分)~鳥取県・米子城(234枚撮影・1時間52分)。
~11月16日・岡山県・備中・松山城再び(413枚撮影・3時間46分)~備中・鬼ノ城(294枚撮影・2時間15分)~兵庫県・赤穂城(254枚撮影・1時間57分)。
~11月17日・龍野城(364枚撮影・3時間24分)~大阪府・千早城(126枚撮影・1時間55分)。
~11月18日・奈良県・高取城(394枚撮影・2時間51分)~大和郡山城(232枚撮影・1時間30分)~伊賀上野城再び(65枚撮影・45分)のお城巡りに組み入れました。
又、鍵紛失捜索で2019年11月に再び行きました。
結局、エコバッグ内に有ったのを発見は、12月でしたがぁぁ!。
本題のお城攻略ですが、忍者列車が通る駅前に駐車し、軽い鉄オタの俺は、忍者列車を堪能後に目の前の学校横の門下を通り本丸を目指す。
木造天守を堪能したら、本丸周りを散策してから高石垣を堪能の為、水堀をほぼ一周し他の曲輪を堪能。
平城と思いサンダルでの観光が失敗の元。
転んだ時にキィーホルダーを落としたらしい❓(車を降りる前に100名城本を取り出す時にエコバッグ内に落ちていたを2019年12月発見)。
一通り周りを一周して車に戻るがキィーホルダー紛失に唖然するが、以前伊豆で海水浴した時に海に落とした失敗から、必ず予備キィーを持っているから、次の伊勢神宮に向かう。
本丸に戻る体力が無かった。
家に帰ってから上野城と上野警察署に紛失届けを提出。
再び時は、本丸と派出所に確認後に転んだ場所に行き捜索。
一応軽く撮影しましたが、多分不要撮影だろう?。
やはり木造天守内は素晴らしく、直前に行った法隆寺同様木造建築の良さにうっとり。
日本1・2を誇る高石垣の壮観な眺めは、仙台城・大坂城・江戸城と並ぶ景色である。
満足感90点です。
約400 x 400mの敷地と沢山の石垣に、404枚撮影に約2時間半掛かりました。
奈良県や滋賀県や伊勢湾岸道からのアクセスも100km圏内です。
組合わせの観光は中間地点なので方向を考えて決めてください。
写真は、関連リンクのフォトギャラリー検索に貼った写真を見てください。
===============HPより===============
上野盆地のほぼ中央にある上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である。
北には服部川と柘植川、南には久米川、西側には木津川の本流が流れ、城と城下町を取り巻く要害の地にある。
高虎が家康の信任が厚く、築城の名手でもあり、大坂・豊臣方との決戦に備えるための築城でした。
筒井定次の城が大坂を守る形をとっていたのに対し、高虎は、大坂に対峙するための城として築きました。
慶長16年(1611)正月、本丸を西に拡張し、高さ約30メートルの高石垣をめぐらして南を大手としました。
五層の天守閣は、建設中の慶長17年(1612)9月2日、当地を襲った大暴風で倒壊しましたが、外郭には、10棟の櫓(二重櫓二棟、一重櫓八棟)と長さ21間(約40m)という巨大な渡櫓(多聞)をのせた東西の両大手門や御殿などが建設されました。
慶長19年(1614)の大坂冬の陣、その翌年の夏の陣で豊臣方が敗れました。
その後、幕府は城普請を禁じたため、伊賀上野城では天守閣が再建されないまま伊賀国の城として認められ、城代家老が藩政をあずかりました。
幕末まで国替えなく、この地を収めました。
現在の復興天守閣は、木造三層の大天守と二層の小天守からなる複合式天守の”昭和の城”は、伊賀地域の文化と産業の振興の拠点として「伊賀文化産業城」と名付けられました。
施設情報
開館時間
午前9時-午後5時
(入館は午後4時30分まで)
休館日
12月29日-31日
入館料
大人500円、こども200円
住所: 三重県上野市
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