出羽・秋田城(高清水公園)
奈良時代の古いお城(秋田の平城京的外交施設)
2020年04月21日

2019年7月末、3月末の吹雪で行けなかった東北地方日本海側のお城巡り3に行ってきました。
●初日・7月27日・盛岡城(252枚撮影・2時間21分)94箇所目~久保田城(171枚撮影・1時間20分)95箇所目~秋田城(97枚撮影・67分)96箇所目~五城目城(53枚撮影・31分)97箇所目。
●2日目・7月28日・横手城(180枚撮影・1時間30分)98箇所目~山形城(199枚撮影・1時間40分)99箇所目~上山城(156枚撮影・1時間33分)100箇所目~米沢城(115枚撮影・57分)101箇所目。
●3日目・7月29日・新発田城(186枚撮影・2時間20分)102箇所目~春日山城(260枚撮影・2時間27分)103箇所目~高田城(164枚撮影・1時間35分)104箇所目。
●4日目・7月30日・松代城(海津城)(251枚撮影・1時間30分)105箇所目+川中島古戦場+善光寺と12箇所行けました。
さて、皆さんは現在の北朝鮮からロシア南部日本海側に存在した「渤海国」を知っているだろうか?。
唐から独立した国である。
当時、日本海側の鳥取県・石川県・秋田県などに、渤海国との外交目的で港が築かれたが、今で言う領事館のような施設が、秋田城です。
資料は無いようですが、渤海との交流を示す排泄物で証明らしい。
イメージとしては、平城京の機能をした支城です。
よって、戦国時代のお城が好きな自分としては、あまり期待はしていない状況での見学でした。
門跡や復元門、空堀、土塁、土塀は解るけど、水洗トイレには驚きました。
違う意味で楽しめました。
日本100名城なのは知っていたが、上記理由と遠いので後回しにしていたお城です。
97枚撮影(興味無い証拠)67分・満足感80点です。
盛岡城を12時過ぎに出発して、約130km3時間移動~久保田城見学~17時到着・秋田城見学終了時には、道を挟んだ歴史資料館が閉館していましたが、見学無しでお金を払い100名城スタンプとパンフレットをゲットしました。
アップダウンも少なく楽な見学でした。
ただ、上記の通り戦国時代のお城ではないので、石垣や櫓門を期待しないでください。
ガッカリしない為にも、理解したうえで見学の事。
久保田城と同じ市内で近いので、セットで見学がお薦めです。
自分は、次にバッタモン城の五城目城に向かいましたが。
東北中央道は部分開通ですが、ナビを頼りにせず山形県のお城と合わせて二日間+移動もお薦めです。
関連リンクよりフォトギャラリー検索より写真を見て下さい。
==============HPより==============
秋田城の創建は、733年(天平5年)に出羽柵が庄内地方から秋田村高清水岡に移転したことにさかのぼり、その後天平宝字年間に秋田城に改称されたものと考えられている。
秋田城は奈良時代の創建から10世紀中頃までの平安時代にかけて城柵としての機能を維持したと考えられている。
出羽国北部の行政・軍事・外交・文化の中心地としての役割を担った。
また、秋田城の発掘調査結果からは渤海との交流を伺わせる複数の事実が指摘されており、文献史料による確たる証拠はない。
また津軽・渡島の蝦夷との交流や渤海との外交の拠点として、重要な位置にあった。
秋田城は、秋田平野の西部、雄物川(秋田運河)右岸河口近くにある、標高40mほどの丘陵地上に造営された城である。
城柵の基本構造は、築地塀などで囲われた外郭と、政庁を囲う内郭との二重構造からなり、外郭の東西南北に城門が配置されていた。
政庁の配置は、正殿の南面に広場を設け左右に脇殿を配する「コ」の字型の施設配置となっている。
秋田市観光文化スポーツ部 秋田城跡歴史資料館
〒011-0907 秋田市寺内焼山9-6
電話:018-845-1837
住所: 秋田県秋田市
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