武蔵・八王子城跡
武田信玄に備えた北条氏のお城
2021年02月10日

2018年と2020年に行きました。
2018年03月17日相模国・小田原城●(198枚撮影・2時間46分)33箇所目として八王子城跡(130枚撮影・2時間1分)・34箇所目と2箇所見学。
2回目は、2020年12月09日相模・石垣山城(一夜城)(228枚撮影・1時間45分)、相模・小田原城再び(317枚撮影・2時間32分)、相模・河村城●(200枚撮影・1時間35分)、武蔵・八王子城再び●(141枚撮影・45分)と2回行きました。
最初は日本百名城スタンプを集めていなかった為、パンフレットに押印していたので、100名城本に押印のため再訪問。
北条氏のお城なので、石垣が無いと思いきや館跡に、シッカリとした石垣が有りました。
山城は旧道を登りましたが、10分程で鼓動がドキドキと心拍数が上がり5分休みを2回入れました。
対した距離では有りませんでしたが、ハードでした。
中腹に僅に石垣が有る程度。
本丸手前に神社、本丸には小さな祠有るだけの残念。
拘りが無いなら館跡だけで充分です。
途中での眺望も八王子市街地が見渡せますが、圏央道上に有ると言う立地上、圏央道からは10分ですが中央道からだと、20分掛かります。
滝山城跡や武田神社、小田原城とセット観光がお勧めです。
関連リンクよりフォトギャラリー検索で、写真を見てください。
=================HPより=========================
八王子城は北条氏の本城である小田原城の支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点であった。
標高445 m(比高約240 m)の深沢山(現在の城山)に築城された中世山城である。
縄張りは北浅川と南浅川に囲まれた東西約3 km、南北約2 - 3 kmの範囲に及び、山の尾根や谷など複雑な地形を利用していくつかの地区に分けられ、山頂に置かれた本丸、松木曲輪や小宮曲輪など何段もの曲輪を配置した要害地区、城山川沿いの山腹に御主殿と呼ぶ館を構えてその東側にアシダ曲輪で防衛している居館地区、城山川に沿った麓に城下町を形成した根小屋地区、などで構成されていた。
要害地区にはいくつもの砦を配し、それらを結ぶ連絡道の要所には深い堀切や竪堀、兵舎を建てるための曲輪などが造成されていた。
北条氏康の三男・氏照が1571年(元亀2年)頃より築城し、1587年(天正15年)頃に本拠とした。
氏照は当初、大石氏の滝山城に拠っていたが、小田原攻撃に向かう甲斐国(現在の山梨県)の武田信玄軍に攻められた際、(廿里古戦場、三増峠の戦い)に滝山城の防衛の限界を感じて本拠を八王子城に移した。
このとき、織田信長の築城した安土城を参考に石垣で固めた山城構築を行った
山頂付近には、八王子神社などの建物、トイレ、ベンチ等があるが、売店などの有人管理の施設や自動販売機や照明はない。
八王子城址に行くまでに、北条氏照の墓や、私設の八王子城址歴史資料館(有料)がある。
八王子城跡ガイダンス施設に100名城スタンプが置いて有ります。
住所: 東京都八王子市
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