若狭・佐柿国吉城
鉄壁のお城・金ヶ崎の退き口の戦い
2023年06月23日

●2021年3月26日大坂城再び(233枚撮影・2時間4分)4箇所目~勝竜寺城公園再び(154枚撮影・1時間47分)142箇所目~亀山城(84枚撮影・52分)154箇所目~黒井城(199枚撮影・2時間13分)155箇所目。
●3月27日鳥取城再び(333枚撮影・2時間52分)116箇所目~有子山城再び(240枚撮影・3時間18分)115箇所目~園部城(113枚撮影・1時間3分)156箇所目。
●3月28日天橋立再び(21枚撮影・42分)~田辺城(167枚撮影・1時間16分)157箇所目~小浜城再び(資料パンフレット捜し3箇所)(13枚撮影・61分)139箇所目~金沢城再び(286枚撮影・2時間8分)25箇所目。
●3月29日鳥越城(本丸直下迄車+資料館・市庁舎分署・10km離れた観光センター)(190枚撮影・1時間52分)158箇所目~佐柿国吉城(162枚撮影・1時間31分)159箇所目~金ヶ崎城(131枚撮影・1時間4分)160箇所目~小谷城・山頂/別尾根(前回4時間22分大手道は整備・清水谷は未整備多い、今回3時間20分清水谷~山頂~山崎丸ルート・未整備でNo.1)125箇所目。
●3月30日彦根城再び(344枚撮影・2時間39分)12箇所目~観音寺城再び(246枚撮影・2時間37分)138箇所目~水口城再び(173枚撮影・59分)144箇所目~水口岡山城(30近い曲輪だけど遊歩道整備)(249枚撮影・1時間50分)161箇所目~桑名城(118枚撮影・1時間8分)162箇所目。
●3月31日玄蕃尾城・主郭(最初の500m急坂)(178枚撮影・2時間52分)163箇所目~賤ヶ岳の戦い・玄蕃尾城砦/東野山城砦(砂利道林道等登城口が判らず頓挫・もし制覇していたらNo.1)~美濃金山城(森蘭丸公園として遊歩道整備で楽)(342枚撮影・3時間36分)164箇所目と追加3箇所と諦めた砦跡2箇所を入れて21箇所訪れました。
見逃しや低画質場所の再撮影で「福井/関西お城巡り2023」を計画。
●1日目・2023年04月24日・若狭・小浜城再び(3回目)(90枚撮影・1時間53分)139箇所目~若狭・佐柿国吉城(2回目)(137撮影・2時間2分)二ノ丸跡/連郭曲輪群/麓郭群~丹後・田辺城(2回目)(105枚撮影・1時間32分)157箇所目(南門跡/大内門跡/船着門跡/大手門跡/南西櫓跡等)。
●2日目・4月25日・丹波・園部城(2回目)(108枚撮影・1時間55分)156箇所目(南門跡/東門跡/下台所跡/釘貫門跡等)~丹波・篠山城(2回目)(60枚撮影・45分)114箇所目~丹波・黒井城(2回目)(30枚撮影・1時間24分)155箇所目(西の丸/北の丸/東出丸等)~丹波・亀山城(2回目)(127枚撮影・3時間34分)154箇所目(城下町の門跡等)。
●3日目・4月26日・石清水八幡宮(88枚撮影・1時間31分)~山城・淀城(2回目)(22枚撮影・35分)・143箇所目(南曲輪門跡)~真言宗総本山・東寺(79枚撮影・1時間24分)~二条城(2回目)(215枚撮影・1時間54分)(二の丸南門内側/本丸御殿?修復済なら/鳴子門/桃山門/南仕切門跡)~丹波・園部城(移築太鼓櫓)。
●4日目・4月27日・西本願寺~東本願寺~清水寺~三十三間堂~鉄道博物館~天龍寺~大覚寺の写真はパー。
●5日目・4月28日・遠江・高天神城(263枚撮影・2時間59分)203箇所目~遠江・諏訪原城(173枚撮影・1時間39分)204箇所目~駿府・駿府城(2回目)(223枚撮影・2時間52分)128箇所目(外堀/発掘中天守台跡)。
●6日目・4月29日・駿府・久能山/日本平(147枚撮影・1時間47分)205箇所目~沼津・Aqoursゆかりの地(128枚撮影・1時間48分)~伊豆・山中城(2回目)(104枚撮影・50分)129箇所目(本丸下の神社)。
国吉城は1日早めて資料館が見学出来ずですが満足感90点。
登城路は大変ですが本丸まで35分、伝二ノ丸5分、連郭曲輪群・Ⅱ郭~Ⅵまで往復15分、麓の城下町20分で2時間20分で周りました。
本丸には僅かですが石垣も有り曲輪も残り良い状態です。
関連リンクよりフォトギャラリー検索で写真を見て下さい。
===============HPより===============
国吉城は、美浜町東部の「佐柿」にあった山城で、戦国時代は若狭国と敦賀国の国境を守る「境目の城」でした。
若狭国守護大名武田氏の重臣、粟屋越中守勝久が、弘治2年(1556)に古城を利用して築いたと伝わります。
国吉城の勇名を轟かせた「国吉籠城戦」は、永禄6年(1563)、越前朝倉氏の侵攻を撃退したのが始まりで、朝倉氏が滅亡する天正元年(1573)まで、ほぼ毎年襲来する朝倉勢を、粟屋勢が国吉城に立て籠もって迎え撃ち、一度も落城しませんでした。
この戦いの様子は、粟屋勢に参加した地侍、田辺半太夫安次の昔語りが、軍記『国吉籠城記』として世に広まりました。
因みに、城は当時「佐柿城」と呼ばれていましたが、『国吉籠城記』の広まりで「国吉城」が定着してしまいました。
元亀元年(1570)には、朝倉氏攻めに向かう織田信長率いる3万の軍勢を迎え入れました。
木下藤吉郎(豊臣秀吉)や徳川家康、そして今年の大河ドラマの主人公、明智光秀らと共に国吉城に入城した信長は、籠城戦を戦った勝久と地侍たちと謁見し、褒め称えたと『国吉籠城記』には記されます。
その後、天正11年(1583)には豊臣秀吉の家臣、木村常陸介が城主となり、城下町を開きました。
現在の佐柿集落の起源であり、江戸時代は丹後街道の宿場として繁栄しました。
町並みには当時の面影が色濃く残ります。
城は、江戸時代前半の寛永11年(1635)に京極氏に代わり酒井忠勝が小浜藩主となった折に廃城となり、代わって城跡の南に佐柿町奉行所が建てられました。
その跡地には、平成21年(2009)に若狭国吉城歴史資料館が開館しました。
住所: 福井県美浜町
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