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悠翔のブログ一覧

2011年08月01日 イイね!

「働けば自由になる」 

「働けば自由になる」   旅ネタ続きで、恐縮ですが・・・・・・・・・(汗) 

  旅の動機のひとつに、ナチス・ドイツが犯した戦争犯罪の跡地を自分の
    目で確かめたいと云うのもありました。
  北欧から、南下する途中にオランダ アムステルダムに立ち寄りました。
    目的は、「アンネ・フランクの隠れ家」を見学する事 現在は年間
   100万人以上の観光客が訪れる アムステルダムいちの名所に
  なってるようですが、その頃はそれほど有名でもなく待ち時間も無く
   入館できました。 こんな狭い場所で、総勢8人が隠れ住んでた事に
 驚きでした。  また、現在の内部写真を見るとかなり改装されてるようで
   ワタシが訪れた頃は、ホントにアンネ一家が住んでいたまま との
     説明書きが有ったのを覚えてます。
  トイレの便器も、綺麗とは言えず 経過した歳月を感じさせました。

  密告により、ゲシュタポに逮捕され 1945年3月上旬 アウシュビッツ
    ベルゲンベルゼン強制収容所内にて、その僅か15年の短い生涯
   を終えています。 生還出来たのは、父親 オットー・フランクのみで
  後に オットーの手によって あの有名な「アンネの日記」が
    世に出ることになります。 見学した後の、気持ち何ともやるせなく
  なったのを今でも覚えています。

  さて、タイトル画ですが 各地にあった 強制収容所の門に必ず表示
    してあったのが、 「働けば自由になる」  との文言です
  ナチスが何をやってたか !? 知れ渡ってる現在からすると
     こんな白々しい スローガンは無いですよね ! 
   死なない限り「自由」なんてなかったワケですから・・・・・・・・・

   訪ねたのは、ミュンヘン郊外にあった 「ダッハウ強制収容所」 でした。  収容棟のバラックは、戦後解体されたのですが
  2棟だけ 復元されて 内部を見る事ができました。1棟(定員250人)に
    終戦間近には、1600~2000人の囚人が詰め込まれていたらしく
   言葉が出ませんでした・・・・・・そして、いちばんショックを受けたのが
  当時のまま 残ってた 「ガス室」と死体を焼く「焼却炉」でした。

  この収容所では、幸い「ガス室」は使用される事無く 終戦を迎えた
    ようですが・・・・・入ってみると、入り口には「シャワールーム」と
  書かれていて 天井からは幾つもの シャワーが取り付けられてました
    想像してたより かなり天井が低くつくられており 正直 ゾッと
  しました。  

   そして、ガス室を出ると もっと衝撃的な部屋が・・・・・・・・・・
  実際に、4万人以上を ゴミでも焼くかのように、処理した 
      「焼却炉」 が ありました。  鳥肌が立ちました。 
   復元レプリカではなく、現実に使用された焼却釜 ですから
  内部には、大量の 灰が 残されたままの状態  ここでも言葉が
    出て来ませんでした・・・・
 
  そして、資料室では 山のように積み上げられた 「髪の毛」「メガネ」
     「靴」 「鞄」・・・・・・遺品の数々でした また 絶句・・・・

  発する言葉が、見当たらない状況が この収容所内に居る間 
    ずっと続いてました。 

   「人間」って こんなにも 残酷になれるのですね ! 

  それから、国民性の違いなのか 日本の場合 過去の汚点は隠したがりますが  ドイツは 隠さないんですね !  
   過去の過ちを忘れない為に・・・・・・・・・・
 「ガス室」 内部です 

    「自由」 行きつく 場所                       
                     「焼却炉」 
     
    

 
Posted at 2011/08/01 11:40:06 | コメント(4) | トラックバック(0) | | 日記
2011年07月30日 イイね!

最北の地で・・・死に掛けた(汗)

最北の地で・・・死に掛けた(汗)   モスクワで一泊したのち、それぞれの目的地へ・・・・・南欧を目指す人
   逆に北欧を目指す人 10日以上一緒に過ごした仲間達と 別れの時
  でした・・・・・・・ ワタシと云いますと、まずは北欧へと考えてました
 ので、ドイツのハンブルグを目指し 列車に乗り込みました。

   実は、国内で下調べをしてる時に・・・・ポーランドにある、「アウシュビッツ強制収容所」 に 立ち寄る予定だったのですが、ビザの取得がやっかい
  で諦めた経緯がありました。

  一晩以上 走り続け 途中 東側から西側諸国に入る為 検閲を受け
ましたが、なんとか 無事 ハンブルグに到着 ! ここからは、ユーレイルパス
  を購入してましたので、各国の鉄道は乗り放題でした。 ドイツ観光
は、後回しにして 速攻 オスロ行きの列車へ 途中 オランダやデンマーク
 をスルーして 目指すは 北欧 ノルウェーへ と 

  単純な考えでした(笑) まずは、最北端へ行き そこから南下しながら
 色んなトコをみてやろう って云う・・・・・
   ノルウェーの首都 オスロはつい最近 悲惨なテロ事件が発生した
  ばかりでしたよね・・・爆弾テロの場所はよく知ってるトコでもありました。
 
 オスロから、フィヨルド観光の拠点で ある ベルゲンへ向かい ここから
    ヒッチハイクをメインして、ヨーロッパ最北端の地

         「ノール カップ 岬」 へと
  ホントは、二番目の最北端なのですが 道路が整備されてないので
    実質は この岬が最北になってます。 もちろん 「北極圏」内です
   ちなみに、この8月の平均気温 10゜C で 朝晩は氷点下近くまで
  下がるのって云う事 知らずに 行きました(爆) 
  
   段ボール紙に、目的地の地名を書き 往来する車に 手を挙げる
  数知れず・・・・何日掛かったかは 記憶に乏しいのですが この
    8月上旬の時期は既に「白夜」は終わっており 夜10時過ぎには
  日没を迎え この時点でも 日本の真冬並みの気温でした。
     夜になると、道路沿いの民家を訪ね 納屋に泊まらせてもらって
   ました。 そして、やっと ノールカップへの拠点である「ホニングスヴォーグ」 という 田舎町に到着 !  この区間だけ一刻も早く着きたかった
   ので、定期バスを利用してしまいましたが(笑)  最大の誤算に
     気が付くまで、そうは時間が掛かりませんでした(汗) 
  
   タイトル画像が、 ノールカップ岬 です 300mの断崖絶壁に
     なってる岬 なのですが 夏場は、天候が変わりやすく 着いて
   暫くすると 雨模様のどんよりとした雲に覆われ 視界も悪くなり
     早々に引き揚げようと、バスの時刻表 見て 愕然としました。

   「ホニングスヴォーグ」へ帰るバス 実は ワタシが乗ってきた便が
     最終だった事に気が付きました。 下車する時の 怪訝そうな
   顔した 運転手の顔が・・・・・・・・・・・・・

   覚悟を決めて、歩きだしたはよいのですが とにかく「寒い」 
     樹木もほとんど生えてない 荒涼とした大地に 一本の道が
   ひたすら 続いてる状況でした。 
      こりゃ マジでヤバいかも・・・・・・「凍死」って 二文字を覚悟
    しました。 後にも先にも 自分 死ぬかも !? って意識したのは
      この時が、初めてでした。

    半べそ かきながら(笑) それでも、小一時間程 歩いてたと
   思いますが、 振り返ると遥か彼方になった 岬の方向から
     ヘッドライトの光が近づいてきます。
    必死でした  道路の真ん中に出て、ありたっけの声出して
  手を振り 「止まってくれ !」 と ・・・・ドイツ人の青年2人が乗った
    ボロい ゴルフでした。  「お前、正気か !?」 って 開口一番に
    言われました。 各地をバカンスで旅行してる大学生でした。

     正直・・・・・命拾いしました(汗)  

   拠点の「ホニングスヴォーグ」まで、乗せてあげるよ ! って
     涙流しながら、「ダンケシェン」 繰り返してました。

   町にたどり着くと、夜中でしたので バーの風除室(北国特有の外玄関
      と、内玄関の二重構造の入口) に入り そこで、作った
   クノールスープの味  絶品 でした♪ 

   ※ かなり長文になりましたが、お読みいただいた方 ありがとう
        御座います。 帰路は、少し贅沢して ベルゲンまで
      航路でフィヨルドを眺めながらの旅にしてしまいました(爆) 


   追記です。 関連情報の「ノールカップ岬」 HPの中にユーチューブ
     の岬動画がありますが、38秒後ぐらいの画像に パイプリュック
       背負ってる、ハイカーの姿 まさに あんな恰好でした。       
         
  


        
Posted at 2011/07/30 12:06:44 | コメント(5) | トラックバック(0) | | 日記
2011年07月28日 イイね!

 この時期になると・・・・・・・

 この時期になると・・・・・・・    想いだす事があります・・・・・・・・・・

  昨日に、続きノスタルジック編 その2 で有ります(笑) 

  タイトル画 ご説明するまでも無く ロシア地図です。 でっ・・・・・

    何なの ??? って 申しますと 本日のお題は 

            「シベリア 鉄道」  
  で御座います !  尚、けっして「鉄ちゃん」では無いのですが(笑)

    その昔、五木寛之の著書に「青年は荒野を目指す」って確かそんな
 タイトルだったと、記憶してますが 一冊の小説が有りました。
   その中に、登場するのが「シベリア鉄道」でした。

  その頃、ワタシは大手製薬会社に勤めてましたが 「一人旅」がしたい
 って夢が捨てきれず、3年目の夏 アッサリ辞めて 欧州一人旅への
    交通手段として選んだのが、横浜からロシア船に乗ってシベリアへ
 現在では、ウラジオストク港は開放され外国人も立ち入れますが
   その頃 ソ連時代は、軍港だった為一切立ち入り禁止 近郊の
 ナホトカと云う商業港に2泊3日の行程で到着し そこから特別列車にて
  途中 外をみる事厳禁の場所があったりしながら 着いたのが
 ユーラシア大陸横断の出発点 である ハバロスフクでした。

  モスクワまでの、距離 9258キロ(東京~博多4往復の距離) 
     シベリア鉄道 7泊8日の旅を始めたのが 7月末でした。
   列車は、今でも現役で走ってる 「ロシア号」 ベタですが・・・(笑)
 最初の、2~3日は ツンドラ地帯の風景が珍しく 楽しかったのですが
   慣れてくると 寝る前の風景と起床した時の風景まったく
 変わらず状態でして・・・・・・飽きてしまいました(爆) 

   東西の冷戦が続いてる頃でしたので、この当時のソ連は個人旅行は
 一切認められておらず・・・・グループ(団体)のみ可 20名ぐらいだった
    と思いますが、それに2名のロシア人添乗員(通訳も兼ねて)が
  同行してました。 撮影不可地など指示する監視役も兼任してましたね
 でも、親しくなって 内情を聞くと大学生で専攻が日本語学科のアルバイト だったりしてましたが(笑) 
      
 意外だったのが、シベリア ! 北の大地 だから 涼しいだろうと思って
   ましたら、暑いのなんの・・・そして ハエとか蚊が大量発生するんです
  この短い夏場に、生き物達が一斉に 活気づく感じがしました。

  でも、見る物聞くもの 初めての経験ばかりでしたので あっと言う間の
    8日間でした・・・・・・そして、モスクワ到着 ! 
  指定のホテルに、一泊した後は 現地解散のツァー終了 ここからが
    半年近くに渡る 「一人旅」のスタートラインでした♪

  この時期になると、想いだすのが あの「シベリア鉄道」からの車窓です


    また、機会がありましたら その後のエピソード紹介致します♪ 


  ※ このシベリア鉄道 日本人グループの中で親しくなった友達に
     当時、早稲田の露文科学生で今は芥川賞作家でベルリン在住の
    「多和田 葉子」氏も居ました。 少し変わった女の子でしたが(笑)
    後に作家デビューしたとのニュースを聞き やっぱりね ! と 
       思いました。 覚えていてくれるかなぁ~ !?      
 

      

  
Posted at 2011/07/28 11:59:35 | コメント(7) | トラックバック(0) | | 日記

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