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2010年10月27日 イイね!

旭川空港で墜落寸前

旭川空港で墜落寸前全日空機が旭川空港に向けて降下中、対地接近警報が鳴ったため上昇し、その後無事着陸したという報道があった。最初は単なる警報装置の異常だと思ったのだが、かなり深刻な事態だったようだ。

記事の内容を航空用語に置き換えて記してみる。

「旭川空港の東約16マイル、高度約6,900フィートで空港に向けて降下中、対地接近警報が鳴った。札幌コントロールの管制官が高度1万フィートまでしか降下できないエリアで5,000フィートへ降下するよう誤った指示を出していた」

札幌コントロールの管制官が、「高度1万フィートまでしか降下できないエリア」ということを認識していたかはかなり疑問である。通常、アプローチコントロールのレーダーには地形による高度制限の情報は写らないからである。
だからといって管制官の責任が消える訳ではない。空港周辺で降下の指示を出す際に地形に注意を向けなかったことは、明らかに管制官の責任である。

疑問なのはパイロットの側である。一体パイロットはこのとき何を見ていたのか。
地形が見えていれば対地接近警報が鳴るほど降下することはありえないから、雲中飛行だったと考えられる。このとき機上のレーダーや計器類にも、地形に関する情報は基本的に現れない。
だが、空港まで16マイル、5,000フィートへの降下指示となれば、着陸準備がかなり進んでいた筈だ。このとき、パイロットの操縦桿には、おそらく写真の着陸用航空地図(アプローチ・チャート)が挟まれていた筈だ。この図を見ると、空港の東に高さ4,000フィートの山があり、更に南東には6,000フィートの山があって注意するよう矢印までついている。これに気付かなかったとしたら、これもまたお粗末な話である。

対地接近警報は、基本的に機体とその真下の地面との距離が一定以下になると動作する。今回は幸い墜落せずに済んだが、正面に高い山が聳えている場合などは警報が鳴ってから上昇したのでは間に合わず、山肌に激突することになる。

この動画は、対地接近警報のテストの模様である(自分のものではない)。


日本航空123便が御巣鷹の尾根に墜落した時、墜落の12秒前から鳴ったのがこの対地接近警報である。それだけ緊迫した状況だったということだ。

管制官の責任が第一に責められるのは当然だが、パイロットも管制官の指示を鵜呑みにしていてはいけない。常に、どこかに問題が無いかを考えながら操縦するのがパイロットの仕事である。

例えて言えば、信号が青だからといって漫然と交差点に進入してはいけないのと同じである。
Posted at 2010/10/30 01:27:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | 航空 | ニュース
2010年08月16日 イイね!

御巣鷹の尾根 訪問記

御巣鷹の尾根 訪問記群馬県上野村の、日本航空123便墜落現場である御巣鷹の尾根を訪問した。先に墜落の原因について記事にしたので一度現地を見ておきたかったのと、救助の可能性について考えるために墜落時刻頃の様子を知りたかったからである。

まずは写真の慰霊の園を訪れる。ここには、身元が判明せず荼毘に付された遺体片、四百数十が納められている。上野村のほぼ中央、国道299号線の近くにある。慰霊の旅の出発点である。遺体の損傷の激しさについては、群馬県警の身元確認責任者、飯塚訓氏の『墜落遺体』が詳しい。数字だけ記すと、検屍総数は2,065体、うち五体満足な遺体は177体、身体の部位が特定出来たものは680体である。

慰霊の園から御巣鷹の尾根登山口までの距離が、事前には分からなかった。今、Googleマップで見ると、約20kmと結構離れている。動画では制限速度通りに走って約30分で到着しているが、これはカプチーノだからであって普通車であればもう少し時間がかかると思う。動画を掲載するのは、どれだけ奥まったところかを知るためである。私自身、これ程奥まっていたとは想像もしていなかった。



登山口から御巣鷹の尾根までは、案内図の通り道程800m、高度差180mある。数字だけだと大したことないように感じるが、実際はかなりきつい。案内図の右上までが沢に沿った緩やかな上りで、そこから尾根まで急傾斜を這うように登っていく。
案内図の水飲み場付近。この沢がスゲノ沢で、この沢の奥で生存者4名が発見された。
沢を離れて登る頃から、周囲に写真のような小さなお墓が目につくようになる。各遺体の発見場所である。ちなみにこの写真は特定の人のものではなく、航空安全祈願の地蔵である。
途中に古びた案内板があった。図で左に突出したところが御巣鷹の尾根の昇魂の碑、右下の橙色の部分が生存者の発見されたスゲノ沢である。
遺体発見場所には記号(座席番号)が付され、このような道標があちこちに立っていた。
急な傾斜を登り切って、御巣鷹の尾根の昇魂の碑に辿り着く。この辺りに機体の胴体部分が激突した。フライトレコーダーによると、機体の傾斜は右に131.5度、下に42.2度、速度は約488km/hである。
このような激しい衝突だったため、機体前方から中央にかけての乗客は、写真のHからBの範囲に広く散らばって発見された。また、この範囲は激しく炎上しており、遺体の損傷は凄惨を極めた。一方機体後部は写真のAの部分を谷に添うように樹木をなぎ倒しながらS地点(スゲノ沢)まで落下した。このため激突の衝撃が吸収され、スゲノ沢で4名の生存者が救出された。なお生存者の証言から、墜落直後はこの辺りに更に数名の生存者がいた事が分かっている。

昇魂の碑に辿り着いたのは19時11分。墜落時刻18時56分の約15分後である。この日は半月に近い月が出ていて、周囲の地形がかろうじて判別出来た。なお、墜落した昭和60年8月12日は日没が18時48分、月の出が0時12分だったから、月明かりもなく周囲はもっと暗かった筈である。

航空自衛隊の救難ヘリV-107が現場に到着したのは20時42分。現場は23時頃まで炎上していたようだから、スゲノ沢は陰となって見えず、仮に自衛隊員が救助に降下したとしても、生存者は発見出来なかったと思う。実際、翌日夜が明けて周囲が明るくなってからでも、最初に生存者が発見されるまで6時間かかっている。まして闇夜ではまず不可能であろう。

また、炎上による激しい上昇気流の中、ヘリから隊員を降下させる事も不可能だったと思う。炎の上に降ろす訳にはいかないから周囲の燃えていない所となるが、どこも急な傾斜で、前後に2つのローターを持つ大型のV-107では、接近するのも危険である。実際、生存者を収容したのは墜落の翌日、焼け野原となった後の尾根であり、発見されたスゲノ沢ではない。沢から尾根まで生存者を運び上げている。つまり、日中であっても沢に降下することは出来なかったのである。

事故を扱う多くの書籍が、自衛隊が事故直後に救助活動を行っていればスゲノ沢の生存者をもっと救出できた筈、と記しているが、現場を墜落時刻頃に訪れた私の考えとしては、残念ながらそれは不可能だったと言わざるを得ない。

ただし、21時頃に米軍座間基地のUH-1ヘリが降下しようとしている。UH-1はV-107に比べて遥かに小さいから、危険ではあるが燃えていないスゲノ沢の斜面に降下出来た可能性はある。米軍ヘリに救助中止、帰還の要請をしたのは日本側だが、恐らく現場を見た自衛隊ヘリが生存者なしと判断し、二次災害の恐れのある米軍の救助活動をやめさせたのではないかと思う(実際、現場を最も早く視認した米軍C-130輸送機の副操縦士は「生存者がいるかどうかは疑問」と横田基地の管制に報告している)。

事故現場は多くの方が亡くなった場所であり安易に立ち入るべきではないが、現場に行って初めて分かること、教えられることも多い。今回、時間が遅いこともあって昇魂の碑から上やスゲノ沢には行かなかったが、いつかもう一度訪れることができればまた教えられる事もあるのではないか、と考えている。
Posted at 2010/08/24 11:13:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 航空 | 旅行/地域
2010年08月12日 イイね!

日本航空123便墜落事故 - 墜落の原因

日本航空123便墜落事故 - 墜落の原因御巣鷹の尾根に日本航空123便が墜落して、今日で25年になる。現地では今、多くの遺族が慰霊登山をされている事だろう。今年は国土交通相も慰霊登山するとのことでそれは結構だが、「ああいう事故が2度とあってはいけない」と本気で思うのならば、原因の究明を再開するべきであろう。

航空関係者以外にはあまり知られていない事であるが、航空事故調査委員会の報告書にある、「事故機が大阪空港で起こした尻餅事故で損傷した圧力隔壁の修理が不完全で、圧力隔壁が破壊されて機内の空気が大量に噴出し、垂直尾翼を破壊した」という原因は明らかに誤りである。これは、日本航空の乗務員組合のサイトにもまとめられており、書籍では『隠された証言―日航123便墜落事故』が詳しいが、要は高度24,000フィート(約7,300m)で機内が外気と同じ状態になると、ほとんどの人が酸欠で意識を失い、気温が零下40度にもなるのに、生存者の証言や遺書を残した人がいる事実から、そのような状態になったとは考えられないからである。

では原因は何だったのか。これを特定するのに必要な垂直尾翼の破片等は殆どが相模湾に沈んだまま回収されていないため、全て推測になってしまうが、上記『隠された証言』にある、上部方向舵のフラッター(異常振動)が原因である可能性が高いと思う。にも関らず、航空事故調査委員会は圧力隔壁の破壊が原因と結論付け、再調査の必要はないとしている。なぜか。
事故2日後の14日に、アメリカ国家運輸安全委員会、連邦航空局、ボーイング社の合わせて10人が事故現場に立ち入っている。22日には日本の航空事故調査委員会の委員に「圧力隔壁を良く調べた方が良い」とアドバイスし、29日には多くの資料を整えて日本側に説明、9月6日にはボーイング社が公式に圧力隔壁の修理ミスを認め、これでほぼ原因が特定された形になった。日本ではまだ圧力隔壁の回収すらされていない時期である。
アメリカ側がここまで結論を急いだ理由は、自動車のリコールのように、ボーイングの花形機ジャンボに欠陥がある、という方向に向かうのを防ぎたかったからだと思われる。日本の航空事故調査委員会は、この流れに添わざるを得なかったのだ。

ただ『隠された証言』では、日本の他のジャンボ33機、海外のジャンボ43機に上部方向舵のボルト折損や亀裂が見つかったとあるが、ジャンボ機全体の機数に比べると明らかに少ないし、日航123便以外のジャンボで同様の事故は起きていない。従って私は、大阪空港の尻餅事故が原因で機体後部に歪みが生じ、上部方向舵のフラッターが発生して金属疲労、破壊に至ったのではないか、と考えている。

いずれにせよ、事故原因とされた圧力隔壁の破壊があり得ない以上、再度事故原因の究明を行うのが事故の再発を防ぐ上で最も大切な事ではないのだろうか。そうしなければ、亡くなった520名の魂が浮かばれない。

写真は奥多摩付近で撮影された、墜落7分前の事故機。垂直尾翼が失われているのが分かる。
Posted at 2010/08/12 13:18:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 航空 | ニュース
2009年01月31日 イイね!

フライトシミュレータ開発打ち切り

フライトシミュレータ開発打ち切りマイクロソフトのフライトシミュレータが開発打ち切りという報道が流れた。確かにPCゲームの市場はかなり小さくなっており、バブル崩壊にも似たアメリカの景気状況では致し方ないのだろう。

開発が終了するのは確かに残念なのだが、これからが新たな始まり、と言えるかも知れない。というのは、フライトシミュレータの最大の特徴である追加ソフトの充実が見込まれるからである。
今までメーカーもフリーソフトの作者も、フライトシミュレータ本体のバージョンに振り回されてきた。ユーザーも本体のバージョンが変わるたびに追加ソフトを買い直さなければならなかった。
だが、開発終了により本体のバージョンはFS Xで固定となったのである。これからはFS Xに対応する追加ソフトだけを開発していけば良い。

私自身はFS Xを快適に動かせる環境ではないので一つ前のFS2004を使用しているが、いずれマシンのスペックを上げたらFS Xに変え、追加ソフトを集めるつもりでいる。販売終了になる前にあらかじめ買っておいた方が良いかも知れない。

ちなみに写真にあるものは、次の追加ソフトである。
オーバーランドみんなの空港
エアロソフトエアポート エンハンスメント サービス
SGA MD87
MD87 JAL塗装
Posted at 2009/01/31 22:11:20 | コメント(1) | トラックバック(0) | 航空 | 趣味
2009年01月17日 イイね!

「ハドソン川の奇跡」は当たり前!?

「ハドソン川の奇跡」は当たり前!?ニューヨーク、ハドソン川にUSエアウェイズの航空機が不時着水、全員無事とのこと。まずは何よりと思う。

多くのマスコミが、「「ハドソン川の奇跡」機長の対応に称賛」のような記事にしているが、恐らく機長本人は面食らっているのではないだろうか。「自分は単に自分の仕事をしただけだ」と。
別に悪く捉えているのではない。これが機長の仕事なのだ。離陸直後のエンジン出火、水面への不時着水、乗客の避難確認…。すべて繰り返して訓練し、半年に一回は試験を受ける。試験でもし不適切な操作、行動のため不合格になると、研修を受けたうえで再試験になる。再試験でも不合格となるともう空を飛ぶことはできない。車で言えば免許取り消しになり、地上職に回されてしまう(この辺りのことは内田幹樹著『機長からアナウンス』に詳しい)。

今の旅客機は、ほとんどコンピュータが飛ばしている。今回のエアバスA320型機はその比較的初期のものではあるが、やろうと思えば離陸直後から着陸後まで、全て自動操縦で飛べる。実際のフライトビデオでも、離陸して車輪を格納するや否や自動操縦をオンにし、着陸間際まで自動操縦のままだ。
このように自動化が進んだ旅客機に機長がいるのは、正に今回のようなトラブルに対応するためなのである。トラブルが発生した瞬間から、乗客乗員すべての命が機長の肩にかかる。そのためにありとあらゆる異常事態を想定して訓練が行われている。
だから今回の不時着水も、機長にとっては「いつものこと」。訓練通り対応したに過ぎない、と思っているのではないだろうか。

だが、この「やるべきことをその通りにやる」ということは、実は大変賞賛に値することなのだ。

車を運転する時、やるべきことをやっているか。安全であるためにはどうすれば良いのか。学ぶことの多い事故だと思う。
Posted at 2009/01/17 01:22:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | 航空 | ニュース

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