メリ-クリスマス♪
日ごろお世話になっている皆様に向け聖夜に素敵(?)な短編小説をお届けいたします~
昨年書きそびれたので今年は何とか大晦日に間に合うように書いてみました。
どうも縦書きの挿入が出来ないようなので今回も横書きとなります。
ご容赦願います。その代りに一挙掲載!大サービス(笑)。
それではお楽しみ(?)くだされ~。
出来ればご感想など頂ければ幸いです。
除夜の鐘
雪が降る、ヘッドライトに照らしだされた狭い空間を圧倒するかのように深々と。
雪が降る、目の前でせわしなく動くワイパーがフロントガラスに雪を固めてゆく。
後、少し走ったら、一旦クルマを止めて雪を落とさないと、視界が塞がれてしまうことになる。
溶けた雪が染み込むように、気持ちに焦りが忍び込んできた。にもかかわらず、この状況では、これスピードを上げることも出来ない。
慎重にハンドルを握る手のひらには寒さにも関わらず、うっすらと汗がにじんできていた。
こんな状態が既に一時間ほど続いている。
先ほどまでナビが表示していた実家への到着予定時刻には、到底たどり着くことは出来そうもない。
それでも、初めて走る雪が降りしきる細い山道には、ナビの道案内は頼もしかった。
だが、それも今はあてにすることが出来ない。突然GPS信号が受信できなくなりその状態が続いている。
ナビはその役目を果たすことなく只、照明だけが助手席で軽い寝息を立てて寝ている妻の明美を、ほのかに照らし続けている。
バックミラーを覗くと、先ほどまではしゃいでいた息子の大輝も疲れたのか、リアシートで寝ているようだ。
私にも疲れからか、暖房のせいなのか、眠気が襲ってきていた。
時折思考が混濁する。
思いは、いつの間にか今回の旅の始まりへと回帰していった。
*
今回の旅は、神奈川にある私たち家族の家から、私の母が一人で住んでいる島根の実家への帰省だった。
当初は飛行機での帰省予定ではあったが、ぎりぎりまで私の仕事のスケジュールが定まらなかった為に、結局クルマでの帰省にならざるを得なかった。
そのことを告げた際の妻と息子との会話が脳裏にぼんやりと浮かんできた。
*
「今年の帰省だけど、クルマで帰ろうかと思うんだけど…」
久しぶりに三人揃った、年も押し迫った日曜日の夕食時に、私がおずおずと切り出した。
「車で帰るの…」妻が不安げに答える。
「ああ、今更飛行機のチケットも取れないし、仕事も三十日までケリが付きそうもないんだ、どうだろう?」
「僕は良いよ!」一人息子の大輝が楽しげに大声で答えた。
「随分、時間が掛かるんじゃない?」
「そうだね、千キロ位だから順調にいっても十時間位は、掛かると思うよ」
「そんなに…。あなた疲れているのに、そんな長時間の運転、大丈夫なの?」
「ああ、暗い時間帯や渋滞の時は自分が運転するから、明るい時間帯で流れているところはお前に頼む」
「高速道路はあんまり自信ないんだけど…」
そう言いながらも、楽しそうにはしゃぐ息子に目をやった妻は、ため息をつきながらも渋々と同意した。
大輝は年に一度の帰省を楽しみにしている、仕事が忙しいせいで中々旅行にも連れて行けない我が家では、私の母が住む島根の実家で過ごす正月が、ここ数年の年中行事だった。
特に大輝は、私の実家で聞く除夜の鐘を楽しみにしている。
私たちが住む神奈川の街では、住民から苦情が出るのか、いつの間にか鐘の音が聞こえなくなっていた。
「雪は大丈夫?」
「この時期には雪ほとんど降らないよ。本格的に降るのは年明けさ。まあ、降ったとしてもクルマは四駆だし、スタッドレスも装着しているから問題ないさ。あとはナビにしたがえば新年は、お袋の作った丸もち雑煮でゆっくりと過ごせる。それに向こうでの足にも困らないだろう」
「それはそうだけど…。私はなんだか気が乗らないわね…」
「そう言うな。今回は事情が事情だから頼む」
そう言って頭を下げた私を見つめた妻は、それ以上は反対しなかった。
*
そんな事情の中、迎えた出発の日は仕事が思わず長引いたせいで結局日付が変わった大晦日当日の深夜となった。
深夜の出発の為、最初にハンドルを握るのは私だ。今日中にたどり着けるか若干の不安が頭をよぎる。
だがそんな思いを振り切ると明美や息子にはそんなそぶりを見せることなく元気に声を掛けた。
「さあ、冒険に出発だ!」
「おー!」息子の元気な声が車内に響き渡った。私はエンジンに火を入れると、暫し暖気の間に妻に話しかけた。
「これから出発する事を、お袋に連絡しておいてくれ」
「たまにはあなたから電話してあげれば?」
「もう時間も遅いし、メールの方がいいだろう」
「しょうがないわね…」
そう言いながらも少し笑みを浮かべた明美は、スマートフォンをバックから取り出すと操作を始めた。
私は、そんな妻から視線を外すと、少し動いた水温計を確認した後、高速の入り口に向かって静かに小さな我が家を後にした。
暫くして東名高速に乗ると、思いがけず渋滞も少なく旅は順調に滑り出していった。
息子は、久しぶりの旅に興奮したのか、遅い時間にも関わらず上機嫌だ。
そんな興奮が伝染したのか妻も終始笑顔のままだ。暫くは賑やかな会話が続いた。
こんな風に三人揃って、楽しく私の実家に帰ることが何時まで出来るのだろうか…。
大輝も今年で十歳だ、後一、二年もすれば親子で出かけることも嫌がるようになるかもしれない。
そんな思いが脳裏をよぎった。
(だが今はこの一時を楽しもう…。お袋もきっと同じ思いだろう)
一時間もすると眠くなったのか、息子はいつの間にか静かになった。明美も目を閉じている。
私は、ほっと一息つくと、二人を起こさないようにラジオを切った。
時折、追い抜いてゆく大型トラックの轟音以外は単調なリズムを刻むタイヤとエンジンの音が車内を満たした。
*
お袋が一人暮らしを始めてから五年ほどになる。タクシードライバーだった親父は会社を引退すると、亡くなる半年ほど前まで個人営業でハンドルを握っていた。
ヘビースモーカーにも関わらず、ろくに健康診断も受けて居なかったようで、肺ガンが見つかった時には既に手遅れ、あっけなく逝ってしまった。
お袋は、たいそう悲しんだが持ち前の明るい性格で立ち直ると、思い出と友達のいる島根の実家での一人暮らしを早々と宣言した。
私と明美は、神奈川に呼び寄せて、一緒に暮らすことを何度も提案したが、元気なうちはと頑なに拒まれてしまった。
そんな私たちに気を使ったのか、お袋は独学でパソコンを勉強し始めると、メールや画像のやり取りが出来るようになった。
今ではスマートフォンも使いこなしている。もっとも、主にやり取りしているのは妻の明美だ。
私は、メールは堅苦しく苦手なので、もっぱら気さくに話せる電話専門となる。
そんなお袋の努力に根負けした私たちは、話し合いの結果、もう暫くの間様子を見ることに決めた。
そして、年に一回だが様子を見るために年末年始の帰省をすることとなったのだった。
*
順調だった長旅も吹田を越えた辺りから雲行きが怪しくなってきた。
日の出とともに渋滞が激しくなり、ラジオから聞こえる天気予報は日本海側の豪雪を告げていた。
「ねえ、この先大丈夫?」日の出からの渋滞運転に疲れたのか、少し苛立った口調で妻が告げた。
「そろそろ運転代わるよ。疲れたろう」
「そうね、お願いする。次のサービスエリアで休憩して交代しましょう」
「美味しいもの食べよう!」私たちの心配も意に介さず、大輝は久しぶりの旅行とあって朝起きてから、はしゃぎ続けている。
妻と私は、そんな息子の様子を見ると顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
「大丈夫だよ。山越えは高速だし、スキー場に行くのと変わらない。蒜山を越えれば、後は下りだから雪も少なくなる。この時期はそんなに降らないから、このクルマなら安心だよ」
私の言葉に安心したのか、妻もかすかに微笑んだ。
「任せたわ」
サービスエリアで休憩の後、運転を代わった私は先ほどの言葉とは裏腹に若干の不安を抱えていた。
山陰道から米子道に入った途端に雪がちらついてきたからだ。
その不安は的中した。
雪は蒜山に向かうにつれ激しさを増してきた。
だが走れないわけでは無い。除雪車のお陰かさほど積もった様子はない。スピードこそ出せないが、前を走るトラックも危なげなく走行を続けていた。
そんな危うくも穏やかな状況が突然、終わりを告げた。
蒜山を越えた辺りで規制が入った。
一旦、江府インターですべての車が降ろされた。チェーン規制が入ったのだ。
前を走っていたトラックの運転手が車を降りると、道路公団の職員に何やら激しく抗議を始めた。
(何を揉めているんだ…)
やがて私たちの車にも公団の職員がやってきた。
ウインドウを一気に降ろすと雪と冷気が勢いよく吹き込んできた。
(ひどい状況だな…)
思わずウインドウを少し上げた私に、雪まみれの帽子のつばに手を掛けながら職員が問いかける。
「ただ今、降雪の為にチェーン規制が入りました。チェーンをお持ちでしたらこの先で装着して高速に戻ってください」
「……。いや、チェーンは持っていないんだ。スタッドレスタイヤだから問題ないだろう?」
躊躇いがちに問いかける。
「いえ、申し訳ないのですがチェーンが無いと高速へは戻れないのです…」
てっきりスタッドレスを履いていればチェーンなど必要ないと思っていた私は、それを用意などしてはいなかった。
「参ったな…」
思わず声が漏れた。
前のトラックもチェーンを持っていないのだろう、激しい抗議の理由が解った。
「この先で国道に出れますのでそちらへお願いします」
「そんなこと急にいわれても困るんだよ。まだ山の中じゃないか!」
語気を荒げた私に職員が申し訳なさそうに答える。
「すみません。安全の為の規則になりますので…ご理解願います」
そう言い残すと逃げるように後続の車に向かって小走りで去っていった。
ただならぬ様子に気が付いたのか冷気に晒されたからか、助手席で眠っていた明美が目を覚ました。
「あなた、どうしたの?」
「高速にチェーン規制が入った。チェーンをしないと高速には戻れないそうだ」
「チェーンは持ってないの?」
「ああ、普通タイヤは問題外だがスタッドレスタイヤにチェーン規制が入ることがあるなんて想定してなかったからな…」
考えがまとまらぬ間に後続の車からクラクションが鳴らされた。
「仕方がない。ここにいても埒が明かないし、いったん車を出すよ」
そう妻に告げた私は、湿った雪を乗り越え未だに抗議を続けるトラックドライバーを避けると職員が告げた国道へとクルマを向けた。
路肩に少し余裕がある場所を見つけた私は一旦そこにクルマを止めた。
私たちの車の横を後続車が続々と追い越して行く。諦めたのか先ほどのトラックもやがて雪煙をたてながら走り去ってった。
「さてどうしたものかな…」
独り言が口をついた。辺りは既に日が暮れかかっていた。
「どうするの?」
不安そうに妻が問いかける。
私はそれには答えずにルートの再探索をナビに指示した。ナビは直ぐにルートを示す。
「一般道で行くしかないだろう。ナビの指示があれば道に迷うこともないしな」
私は努めて明るく答える。
今から山越えをすると道中は全て夜間走行となる。いくら私の地元でもこんな山中のしかも初めて走る道、まして激しい降雪の中ではあまり自信がある筈もなかった。
しかし、こんな場所で立ち往生するわけにもいかない。時間が経つにつれ雪も積もるだろう。
私は腹を決めると明美と何時の間にか目を覚ました大輝に告げた。
「さあ、ぐずぐずしていても埒が明かない。出発するぞ。トイレはいいか?」
「僕は大丈夫」大輝が眠そうに答える。
「私もOKよ」
「了解。心配しないで寝ていてくれ。お袋が待ちわびてるぞ」
私は二人を安心させるように告げると既に通る車も居なくなった国道をナビに従い走り出した。
国道を走っている間は順調だった。
雪は多いが先に行った車が多かったせいか轍も広くそれほど神経質になる必要もなかった。
私は前後の安全を確かめると時折ブレーキを強く踏み込み、効き具合を確認しながら淡々と走りつづける。
やがてナビが国道を外れるように指示を出した。
私は一瞬躊躇した。
頭の中の地図ではそこは山越えのルートだ。
(大丈夫か…)
一瞬、そんな思いが脳裏をよぎる。だが普段からナビに頼り地形など考慮しない生活を続けていた私の頭は経験と直感からくるそれを容易に否定した。
私はハンドルを国道から外れた最短ルートに切った。
途端に状況が変わった。
ヘッドライトに照らされたそこには新雪が轍を覆っていた。街灯も無い雪に覆われたその道ともいえないルートに思わずアクセルを踏む足が緩んだ。
(止まっちゃだめだ…)
遠い過去の経験が無意識に蘇る。一定の速度を保ちながら慎重に進む。
道路わきのポールが目に入るようになった。
(そうだ、あのポールが目印だった…)
いつの間にかナビなどに頼らず山道を走り回っていた若いころの記憶が甦るとともに神経が研ぎ澄まされてくるのを感じる。
(何とかなりそうだ…)
だが雪が激しくなるにつれそんな思いは徐々に消えて行った。
やがて四本だった轍が三本になった。この状況で対向車が来ると非常に厄介なことになる。
幸いまだグリップが利くので躱すことは何とかできそうだ。
そんな、私の心配をよそに対向車が来ることはなかった。だが、その事実はかえって私の心に不安を掻き立ててきた。
(果たして道は正しいのか?)
幾ら降雪が激しいとはいえ、大晦日の夜だ。多少の交通量があってもいいのではないか?
それとも地元の人さえ運転を控えるような降雪なのか?
様々な思いが浮かんでは消えた。
(そういえばお袋と親父が初めて出会ったのもこんな日だったのだろうか…)
激しい降雪は私の脳裏にお袋との会話をも思い出させた。
それは以前お袋が恥ずかしそうに私に話してくれた親父との出会いの思い出だった。
*
お袋は、まだ20代だった頃、当時としては珍しく遠距離バス通勤で事務仕事をしていた。
朝は早く、帰宅するのは八時を過ぎていたそうだ。
そんな単調で退屈な通勤が続いたある年の一月下旬、今回のような突然の大雪に見舞われた。
今のように正確ではなかった天気予報はその日の晴天を告げていたため、お袋は特に雪対策をして出かけてはいなかった。
突然の降雪で営業の仕事が遅れたために事務仕事もずれ込み、結局、仕事を終えて事務所を後にしたのは既に八時を過ぎていたそうだ。
最終のバスまで三十分程度だったが、その日は雪のせいかバスはなかなか来なかった。
肩や頭に積もる雪を時折振り払いながら暗いバス停で待つのはどんなに心細く怖かったかを手振りを交えて話していた。
やがて靴には雪が染み込み、寒さがピークに達したころ、雪の向こうからヘッドライトの明かりが見えてきた。
ほっとしたのもつかの間、目の前に現れたのはバスでは無く、タクシーだった。
お袋は思わず手を上げかけたが自宅までの距離を考え躊躇した。
(安月給でタクシーなんて…)
そんな思いが上げかけた手を引きとめた。
タクシーもお袋に気が付いたのか一旦スピードを落としたが、俯いたお袋の姿に気が付いたのかそのまま通り過ぎていったそうだ。
それから暫く経ち、いよいよ寒さが身に染みてきた頃、先ほどタクシーが走り去った方向から再び明かりが近づいてきた。
雪に覆われたその車はお袋の前で静かに停まった。それは先ほど通り過ぎたタクシーだった。
後部ドアが開くと同時に助手席の窓が開く。
中から運転手の男が声を掛けた。
「乗ってください。送ります」
「私、そんなにお金ないので結構です…」
寒さと恥ずかしさに震える声で小さく答えたお袋に対し、そのタクシードライバーは
わざわざ車を降り、お袋の前までやってくるとやさしく話しかけてきたそうだ。
「大丈夫です、今日の営業は終わりです。ここからは営業所まで帰るだけだからお金は必要ありませんよ。
それに私は、こういうものなので、ご心配には及びません」
そう言って男は会社と自分の名前が入った名刺をお袋に差し出した。
タクシーとはいえ、こんな時間の暗い夜道で、男の人と二人っきりなんて…そんな思いがお袋の頭をよぎったのは想像に難くない。
だが、その雪にまみれたドライバーの笑顔を見た途端、そんな心配は杞憂だと感じたそうだ。
ドライバーに促されるまま乗り込んだタクシーの暖かさと、ドライバーの優しさに先ほどまでの惨めな気持ちは吹き飛んだ。
ほっとしたお袋は疲れも相まって自宅の住所を告げると眠り込んでしまった。
その後、無事に帰宅したお袋は後日、お金を持ってタクシー会社を尋ねたそうだ。
再会したドライバーは結局、お金は受け取らなかった。
だが、それをきっかけにお袋と親父は度々、会うようになり、やがて結婚することとなった。
お袋は、親父が亡くなった今でも雪に濡れて変色した、その時の名刺を大事に持っている。
(ドンッ)
突然、フロントガラスに何かがぶつかった。その衝撃が物思いにふけっていた思考から私を現実に引き戻した。
山中を走る雪道に覆いかぶさってきた木々から雪が落ちたのだろう。
早まった動悸が収まったのち、一息つくと先ほどから沈黙しているナビに気が付いた。
「なんだ?」思わず独り言が口を突いた。
”信号をロストしました”
ナビに表示されていたのはGPS信号を受信できなくなった旨だった。
暫くは直ぐに復旧するだろうとタカをくくっていたが激しい降雪のせいなのか、はたまた頭上を覆っている木々のせいなのか、ナビの画面が復旧することは無かった。
先ほどまでの画面の地図を懸命に思い出そうとするが、さほど注視していなかった私には、それは不可能だった。
これには、流石に参った。
(これ以上進むのは危険だな…)
最悪はクルマを停めての車中泊だが、この降雪ではマフラーを塞がれ、二酸化炭素中毒になってしまう恐れがある。毎年何人かがそれが原因で亡くなっている。
かといって、エンジンを切れば車内は外と変わらない気温になる。
着替えはあるが、かき集めても寒さには変わり無いだろう…。
当然、周辺には宿泊できるような場所も見当たらない。
私は仕事の為とはいえ、気の進まぬ妻を説得してまで今回のクルマでの帰省を強行したことを激しく後悔した。
まさか家族に危険が及ぶとは、まったく想定していなかった。
(危険だが、取り敢えず道に沿って進むしかないか。民家でもあれば道を尋ねよう…)
気を取り直した矢先だった。
目の前の降雪を通して先行車と思しきテールランプが目に入った。
距離があるのか、降りしきる雪のせいなのか、車の姿までは確認できない。
それでも私は思わず安堵のため息をついた。
(助かった…。こんな時間にこんな山道を走っているのは間違いなく地元の人だろう。後ろについてゆけばやがて人里に出る筈だ)
私は、前を走る車を見失わないように少しアクセルを踏み足した。
不思議な事に車間は短くなることも、長くなることもなく一定の距離を保っているようだ。
時には意地悪でスピードを出して走り去ってしまう地元タクシーなどもあるが、前を走っている車は、まるで私たちを気遣うかのように走っているように思える。
私は、早めに点灯するブレーキランプやウインカーに従い、安心して、安全にゆっくりと走ることが出来た。
*
どのくらいの時間が経っただろうか、前を走る車を見失わないように前だけを見ていた私は時計など見る余裕はなかった。
突然前の車のランプが消えた。
(どうしたんだ?)
私は、スピードを落とすと恐る恐るクルマを進める。
前方に出現した急なカーブを曲がると唐突に道が開けた。
やがてナビの画面も復旧した。
そこは山腹の緩やかな道だった。
そして眼下に見えたのは懐かしい故郷の街の明かりだった。
(助かった…)
安堵が胸を覆う。ようやく隣の妻と後席の息子に目をやる余裕が出来た。どうやら何も気が付かずに寝ていたようだ。
(先ほどの車は行ってしまったのか…)
少し残念な気持ちを抱えたまま、雪が小降りになった次のカーブを曲がるとチェーンの脱着場が見えた。
そこを通り過ぎようとした時、視界の片隅に停まっている車の姿が目に入った。テールパイプから湯気が出ている。
閉まったままの運転席の窓に、煙草の火と思しき明かりが映り込んだ。
(前を走っていた車か? それにしてもやけに古い型のタクシーだな…)
停車しているタクシーを追い越した次の瞬間、私の脳裏に古いアルバムの一枚の写真が蘇った。
(親父のタクシー!!)
咄嗟にブレーキを踏む。クルマは雪道に少し滑りながらも直ぐに停まった。
慌ててドアを開け、雪の中に降り立った私に、古ぼけたタクシーが一度だけパッシングをした。
一瞬まぶしさに目がくらむ。
再び闇に眼が慣れた先にはタクシーの姿は消えて無くなっていた。
思わず駆け出した私は、先ほどまでタクシーが停まっていた筈の場所にたどり着いた。
そこには、轍も無ければ誰かいたような痕跡すら無く、只、雪が降りしきっているだけだった。
唖然として立ち尽くす私の脳裏に亡くなった親父の姿が蘇がえる。
(そうだったのか……)
無音の世界に感慨だけが静かに胸に満ちてくる。
開け放しだった運転席に戻った私の頬は、溶けた雪なのか、それとも涙だったのか、いつの間にかぐしょぐしょに濡れていた。
暫くして走り出した車内では隣で寝ていた妻が目を覚ました。
何事もなかったようにハンドルを握る私に話しかける。
「どうしたの?」
「なにが?」
「なんだか嬉しそうに笑っているわよ」
「そうか…。ちょっとな、良いことがあったんだ…」
「話してよ」
「今度な」
「……」
あっさりと断った私に妻は怒るかと思ったが予想に反してバックを探り始めた。
取り出した手にはスマートフォンが握られている。
暫く眺めた後に妻が話す。
「お母さんからメールよ。”部屋を暖めて待っています。雪が降っているので気をつけて帰って来てください”だって。どう返信する?」
「そうだな、もう眼下に街が見えているから、あと三十分位で着けるだろう。そう返事しておいてくれ」
「わかったわ」
そういうと、妻は先ほどまでの会話は忘れたのか、メールの返信に没頭した。
先ほどの不思議な出来事は、最初にお袋に話そう。そう心に決めていた。
きっといい土産話になる筈だ。
*
やがて後席の息子も目を覚ました。
私は運転席の窓を少しだけ降ろした。火照った頬に当たる冷たい風が心地よかった。
「ひゃー、寒いよ」
そう言って、後席ではしゃぐ息子の声に交じって、街の方から懐かしい鐘の音が聞こえて来た。
完