
[写真・画像] 井の頭恩賜公園
大正6年に開園した井の頭恩賜公園は、2017年に開園100周年を迎えました。開園当時は、郊外に位置する公園とされていましたが、現在では、住宅地に隣接する貴重な緑の空間として親しまれています。園内は、井の頭池周辺、雑木林のある御殿山、運動施設のある西園、第二公園と4区域に分かれています。また、井の頭池周辺は低地、御殿山周辺は高台になっており、変化に富んだ景観が楽しめます。
歌川広重の「名所江戸百景」などにも描かれた井の頭池は、江戸の水源として江戸時代から有名な景勝地でした。明治時代に入ると帝室御料林となりますが、東京市が「井之頭公園設置計画書」を策定し、大正2(1913)年、東京市に帝室御料地が下賜されました。そして、井之頭公園開設工事が始まり、大正6年(1917)年5月1日、日本で最初の恩賜公園、最初の郊外公園として開園しました。
井の頭恩賜公園 Inokashira Park 東京都建設局より
井の頭恩賜公園
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井の頭恩賜公園[1](いのがしらおんしこうえん[2]、Inokashira Park)は、東京都武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園である。
1917年(大正6年)5月1日開園。三宝寺池(石神井公園)および善福寺池と並び、武蔵野三大湧水池として知られる井の頭池を中心とした公園である。東京都西部公園緑地事務所が管理している。日本さくら名所100選に選定されている。
01.地理
井の頭恩賜公園(以下、「井の頭公園」という)は、武蔵野市の南東から三鷹市の北東にかけて広がる公園である。総面積は約43万m2である。
井の頭公園はその中心に井の頭池(約43,000m2)を擁している[3]。井の頭池は北西-南東方向に延びる細長い形の池であり、北西端は二つに分かれ、南東端からは井の頭池を源とする神田川が流出している。神田川の流れの一部も井の頭公園に含まれている。また、井の頭池の西側には御殿山の雑木林があり、吉祥寺通りを挟んで東京都建設局井の頭自然文化園が位置している。雑木林の南側には玉川上水が東南方向に流れ、そのさらに南には「西園」が位置している。この西園には、400mトラックと三鷹の森ジブリ美術館がある。玉川上水の下流側の脇には小さな広場のある「東園」がある。
行政区分から見ると、井の頭池と神田川、西園、東園が三鷹市に属し、井の頭自然文化園と御殿山の雑木林が武蔵野市に属している。
井の頭池から北500m弱にはJR中央線吉祥寺駅が位置している。この吉祥寺駅には井の頭公園に向かう公園口(南口)が設けられており、吉祥寺駅から井の頭池にかけて、若者向けの商店が並んでいる。南東の神田川沿いには、京王井の頭線の井の頭公園駅がある。井の頭公園駅から井の頭池までは至近であり、その間では小さな広場や小道を散策することができる。
02.四季と自然
井の頭公園にとっての春は、井の頭池を縁取る桜(ソメイヨシノ)の季節である。池の中央を渡る七井橋から眺めると、岸からせり出す枝々の桜は、池に向かって水面を覆わんとするほどに折り重なって咲き、その花の淡い色が水面や空とコントラストをなす。一斉に咲き、一斉に散っていくソメイヨシノの華やかさとはかなさが、水に映ってさらに引き立つ。桜の開花時期(3月末から4月初め)には特に多くの来園者が訪れる。池の西側の梅園では、桜の開花前にも多くの花が見られる。梅園の北側に向かった池沿いには湧水口があるものの、現在は水量が乏しい。
夏の井の頭公園では、御殿山を覆う雑木林の緑の色と、その木立の中の清々しい空気とが楽しめる。
秋になると井の頭公園は多種多様な木々の紅葉によって彩られ、散策道をも埋めるほどに落ち葉が折り重なる。井の頭公園には、スギやヒノキなどの常緑樹だけではなく、ケヤキ、シデ、シイ、カシ、コナラ、クヌギなどの落葉樹もたくさん植わっている[4]。
湧水がしみ出していたエリアに流入していた土砂を除去し、湿地・湿原を好むハンノキ林を再生する試みが行われている[5]。
井の頭公園の冬はにぎやかである。渡り鳥が多く飛来し、井の頭池にて越冬する。
9月半ばから3月にかけて、井の頭池にはオナガガモ、キンクロハジロ、ハシビロガモなど、何種類もの渡りのカモが集まってくる。この時期以外に見かけるのは、定住しているカルガモである[6]。 井の頭池には、カモ以外にもゴイサギ、カイツブリ、カワセミなど、色々な種類の鳥がいる。園内の森では、夏にはオオルリ、キビタキ、冬にはルリビタキ、ジョウビタキ等の様々な野鳥が見られ、バードウォッチャーに人気の公園である。
園内では、アオダイショウ、ヒバカリ等の野生の蛇を見かけることもある。
03.歴史
井の頭池は豊かな湧水を誇っている。園内武蔵野市側の御殿山遺跡からは縄文時代の竪穴式住居遺跡や、旧石器時代の石器や、敷石住居も出土することから、井の頭池は古くから人間の生活に不可欠な水源となってきたことが窺える。
井の頭池西端の島に現存する井の頭弁財天(別当寺は天台宗大盛寺)の起源は、伝承によれば、平安時代中期に六孫王経基が最澄(伝教大師)作の弁財天女像を安置するため、この地に建てた堂であるとされる。弁財天の縁起には、その後源平合戦の頃、源頼朝が東国平定を祈願し、その大願成就ののちに改築されたことが伝えられている。その後、鎌倉時代末期の元弘の乱の際に、新田義貞と北条泰家との対戦の兵火で弁財天が焼失した。数百年の間放置された後、江戸幕府三代将軍徳川家光により弁財天が再建された。
井の頭という名称は一説には家光によってこの神田上水水源が「井之頭」と名づけられたものと伝えられ、自ら小刀で弁財天の傍らのこぶしの木にその名を刻んだとも伝えられる。現在、その場所にはその伝承を記した石碑が建てられている。
井の頭という名称の由来についてはそれ以外にも、「えんかしら、この水の美しさ」と家光が驚嘆したことがその後に転じて「いのかしら」になった、とする説もある。
なお御殿山の地名は、家光が鷹狩りに訪れた際の休息のため、井の頭池を見渡す場所に御殿を造営したことに由来する。この一帯の武蔵野は、三鷹という地名にも残るように、徳川歴代将軍が鷹狩りを楽しんだ鷹場であった。
井の頭弁財天の持ち寺の大盛寺の記録『神田御上水井之頭弁財天略縁起』には、「家康が自らの手で水を汲み、関東随一の名水だと褒めて、お茶をいれるのに使った。」と記されている。[7] 江戸時代の特に江戸市民にとっては、弁財天は信仰の地であるとともに、行楽地でもあった。これは、江戸時代の初頭に神田川が改修されて江戸に神田上水が引かれたため、江戸市民にとって井の頭池が水がめとなったことと関連している。弁財天境内や向かいの石段、石段を登りきった周辺などに、その当時の商人や歌舞伎役者が寄進した石灯籠、宇賀神像などが残る。なお、かつては石造の鳥居も存在した。この鳥居は1767年(明和4年)に寄進されたものであるが、明治初年の神仏分離令の際に撤去され、鳥居の柱石は後に井の頭池と神田上水の間の水門に転用された。その水門は現在使用されていないものの、池の東端付近に今も残る。弁財天への参道は現在も史跡として整備されており、「黒門」と呼ばれる黒い鳥居もある [1]。
江戸時代には井の頭池と一帯の林が幕府御用林として保護されていたが、明治維新後は東京府が買収した。
・1889年(明治22年) - 宮内省(現在の宮内庁)御用林となる。
・1913年(大正2年)12月 - 66,245坪を帝室御料地から東京市に下賜(うち8,980坪は、井の頭学校〈現在の井の頭自然文化園〉に使用)[8]。他に、買収5,495.58坪、寄付544坪、神社共用地896坪、池13,672坪[8]。
・1917年(大正6年)5月1日 - 恩賜公園として一般公開[9]。
・1920年(大正10年) - 池の水による水泳場、児童用徒渉池(丸池)を竣工[8]。
・1929年(昭和4年)7月 - ボート場開設[8]。
・1933年(昭和8年)7月 - 従来の水泳場を廃し、新たに25メートル水泳場、徒渉池(子供プール)を新設[8]。
・1934年(昭和9年)5月 - 小動物園開園[8]。
1935年(昭和10年)5月 - 中之島淡水魚生園(現在の水生物館)を新設[8]。
1937年(昭和12年) - 篤志家の寄付により、御殿山南斜面に梅林が作られる[8]。
1942年(昭和17年)5月17日 - 井の頭自然文化園が開園[8]。
1944年(昭和19年) - 第二次世界大戦による木材不足のため、池畔の杉15,000本を伐採拠出[8]。
1947年(昭和22年)9月 - 池のボートがカスリーン台風被害地復旧のために供出されて、ボート場の営業が休止される[10]。
1952年(昭和27年)11月 - 野口雨情歌謡碑を建立[8]。
1953年(昭和28年)5月 - 池中央に中の橋を再建し、七井橋と命名する[8]。
1956年(昭和31年)11月3日 - 野外ステージ完成[8]。
1973年(昭和48年)3月 - 西園地区を買収[8]。
1974年(昭和49年)6月1日 - 西園に有料施設として、多目的運動広場、庭球場6面を開園[11]。
1993年(平成5年)3月30日 - 井の頭恩賜公園連絡橋が完成[8]。
1998年(平成20年)「都立井の頭恩賜公園(開園100周年に向けての取組み)」が、手づくり郷土賞受賞[2]。
2013年(平成25年)5月1日 - 園内の親之井稲荷尊神社の祠が不審火により全焼[12]。
04.スポット
井の頭公園内は、神田川の水源である井の頭池が多くの面積を占めており、ボート場も整備されている。また、池の南側を玉川上水が流れ、玉川上水の南側の「西園」には三鷹の森ジブリ美術館がある。吉祥寺通り(公園通り)を挟んだ西側(こちらも公園内)を含む園の西北部は井の頭自然文化園(有料 一般400円 - 2015年4月現在)となっており、動物園、北村西望彫刻館(長崎市の平和公園にある平和祈念像の原形などを収蔵)、日本庭園などがある。公園内ではないが、玉川上水沿いの近所には三鷹市山本有三記念館もある。
また、公園近辺に商店や飲食店も多く立ち並んでいる
10.アクセス
10-1.最寄駅
・JR中央線・京王井の頭線吉祥寺駅より徒歩5分
・京王井の頭線 井の頭公園駅直結
11.脚注
[1]^ a b c 2014年(平成26年)4月24日東京都告示第681号「都立公園の位置、区域及び面積の変更」
[2]^ 「井の頭」は第二次世界大戦後しばらくまで漢字で「井之頭」と書かれて、一つの単語として「いのがしら」と読まれていたが、「井の頭」と書かれるようになってから井と頭の結び付きが弱くなって、「いのかしら」と読むようになった。付近では特に、現在でも「いのがしら」(がは鼻濁音のか゚)と発音する人々は多い。
[3]^ 井の頭池 - 東京観光財団
[4]^ 安田知代『井の頭公園まるごとガイドブック』株式会社文伸2008年初版、19頁より引用
[5]^ 「都絶滅危惧2類 ハンノキ保全へ湿地/井の頭公園 台風倒木機に」『読売新聞』朝刊2019年1月25日(都民面)。
[6]^ 安田知代『井の頭公園まるごとガイドブック』株式会社文伸2008年初版、24頁より引用
[7]^ 安田知代『井の頭公園まるごとガイドブック』株式会社文伸、2008年初版、33頁より引用
[8]^ a b c d e f g h i j k l m n o 前島康彦『井の頭公園』財団法人東京都公園協会発行、1980年
[9]^ 大正6年東京市告示第51号
[10]^ 「生き返った上野駅 秋晴れに美術館の人影まばら」『朝日新聞』昭和22年9月29日.2面
[11]^ 昭和49年東京都告示第569号
[12]^ 井の頭公園の稲荷神社全焼 放火容疑で捜査 東京・三鷹 『朝日新聞』2013年5月2日
12.関連項目
・日本の湖沼一覧
・御殿山遺跡
13.外部リンク
・井の頭恩賜公園 - 東京都西部公園緑地事務所
・井の頭恩賜公園 - 東京都公園協会
・井の頭弁財天
最終更新 2022年6月8日 (水) 18:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
「井の頭公園」は武蔵野市と三鷹市に跨る。神田川が井の頭池から流れ出し、杉並区久我山にすぐに入りる至近さである、江戸の水源地とハッキリ言える所だ。