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ディーゼルオート店のブログ一覧

2011年05月29日 イイね!

リニア中央新幹線の建設指示

リニア中央新幹線の建設指示リニア新幹線:苦節40年、建設が正式始動…国交相が指示

写真・山梨県内の実験線を走るリニア中央新幹線

 大畠章宏国土交通相は27日、JR東海に対してリニア中央新幹線の建設を指示した。26日の整備計画決定を踏まえた措置で、1973年の基本計画決定以来40年近くを経て、建設費9兆300億円の巨大プロジェクト、中央新幹線建設が正式に始動する。

 3月に東日本大震災が起きたが、国土交通省の交通政策審議会・中央新幹線小委員会は審議を中断せず、今月12日に南アルプス(直線)ルートを妥当とする最終答申を行った。

 答申案に対し、4~5月に行われた一般からの意見募集では、「震災発生で新たな大規模事業を進められる環境ではなくなった」「震災復興の取り組みを官民で優先すべきだ」などの反対論、慎重論も多数寄せられた。しかし国交省は答申を尊重し、JR東海の計画通り建設することを最終的に決定した。

 建設計画を見直さなかった理由として国交省では、東海道新幹線の「バイパス機能」を持つリニア中央新幹線の早期建設が、災害に強い国土づくりや技術革新、中長期的な経済成長に貢献するためだと説明している。建設費の大半をJR東海が負担し、国の財政支出を見込んでいない点も影響した。

 27日の閣議後会見で大畠国交相は「震災によって国内で何となく未来への期待が薄れているが、リニアは未来に対する展望を示す事業として大事で、一歩進めることにした」と話した。

 最高時速500キロのリニア中央新幹線が完成すれば、東京-名古屋間が40分、東京-大阪間が1時間7分と東名阪の3大都市が約1時間で結ばれ、人口6000万人規模の巨大都市圏が形成される。

 国としては今後、3大都市圏とそれ以外の地域の均衡ある発展をどう図るかや、首都圏や近畿圏の航空需要の大半はリニアに移ることが見込まれるため、他の交通機関とのすみ分けをどうするかなども課題となる。【三島健二】

毎日新聞 2011年5月27日 21時50分(最終更新 5月28日 0時53分)


リニア中央新幹線の建設、国交省がJR東海に指示
2011年5月28日(土) 18時00分

国土交通省は27日、全国新幹線鉄道整備法第8条の規定に基づき、中央新幹線(東京都〜大阪市間)の建設主体であるJR東海に対し、建設の指示をした。超電導磁気浮上方式の鉄道(=リニアモーターカー)が建設される。

設計最高速度は505km/hで、建設費(車両含む)概算は9兆0300億円。指示書には主要な経由地として甲府市付近、赤石山脈(南アルプス)中南部、名古屋市付近、奈良市付近があげられている。

JR東海は指示を受けて「中央新幹線が構想段階から実施段階に入った。当社は営業主体および建設主体として、自治体をはじめ関係者の協力を得ながら、早期実現に向け努力する」との声明を発表した。

JR東海は、超電導リニアによる中央新幹線について強力にプロジェクトを推進すべき局面に入ったことから、7月1日付けで組織改正を行なう。

「東海道新幹線21世紀対策本部」の名称を「中央新幹線推進本部」に変更する。「建設工事部」が所管していた「東京建設部」を「中央新幹線推進本部」に移管するとともに、名称を「中央新幹線建設部」に変更する。「中央新幹線建設部」のもとに、環境影響評価を着実に実施するための専門部署として「環境保全統括部」を新設する。これらにより中央新幹線計画を一元的に推進していく

(レスポンス 高木啓)


リニア中央新幹線、JR東海に建設指示



 東京と大阪を1時間あまりで結ぶリニア中央新幹線について、国土交通省はJR東海に対して建設の指示を出しました。

 リニア中央新幹線は、南アルプスを貫く直線ルートで東京と大阪を結ぶ整備計画が決定されています。最高時速は505キロ、建設費は9兆300億円にのぼります。

 JR東海は今後、駅の建設場所などについて沿線の自治体と協議する予定で、2014年の着工を目指しています。東京・名古屋間の開業は2027年、大阪までの全線開業は2045年を予定しています。

(27日15:12)TBS News-i


 東京-大阪・全線開業2045年はまだまだ先である。しかし東京-名古屋2027年、現在の経済状況では"突貫工事"。第二の東海道本線「線増」であろう。

 東海道本線・小田原-草津は複線のままでは貨物列車運行にも支障を来すようになってきた。1982年(昭和57年)から始まった、「ひろしまシティ電車」などの都市型ダイヤに転換して大増発が行われ、成功した。ちょうど、1984年に鉄道貨物がコンテナ主体に転換され、貨物列車削減が行われた次期と一致する。鉄道貨物を推進するには厳しい。昼の名古屋駅を高速コンテナ列車が通過しなければならないのである。

 青函トンネルでは新幹線と貨物列車の両方を走らせる、東海道に比べれば需要は少ないからこれで良いと思う。この状況が2027年から生まれようとしている。
Posted at 2011/05/29 10:36:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道貨物 | ニュース
2011年05月29日 イイね!

「A300」最終便は 青森発羽田行き

「A300」最終便は 青森発羽田行き写真・日本航空A300-600

A 300最終便は青森発羽田行き(2011/5/26)

 日本航空は25日、1991年に登場し国内線で運航してきたエアバスの中型機A300-600Rの最終フライトが今月31日の青森発羽田行きになると明らかにした。当初は3月26日の退役予定だったが、東日本大震災後に復興支援の利用客らを乗せるため約2カ月延ばし、羽田―青森線などで活躍してきた。31日は羽田年後3時半発の青森行きで使った後、最後のフライトは青森を年後5時半に出発して羽田へ向かう。


青森ー名古屋便、7月2日から運航(2011/05/25 19:39)

 青森空港と愛知県営名古屋空港(豊山町)を結ぶ航路を開設するフジドリームエアラインズ(FDA、静岡県)は25日、運航開始日を7月2日にすると発表した。
 7月中は不定期に9往復を運航する予定だが、8月以降は1日1往復の定期便とする。大人の普通運賃は片道3万1800円。青森と名古屋を結ぶ定期便は、昨年10
月に日本航空が中部空港(常滑市)発着便を廃止して以来の再開となる。

以上 デーリー東北 より


 大型連休直前に東北新幹線が復旧したことが大きい。新幹線と飛行機で例年とは少ないとはいえ"あれだけ"の観光客を"さばけた"から。

 「有事」の第一段階終了、第二ステージに入った、ということか。
Posted at 2011/05/29 08:39:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 地域 | ニュース
2011年05月28日 イイね!

久慈から車両搬入

久慈から車両搬入三陸鉄道、久慈から宮古駅へ車両搬送(2011/05/26 19:11)

【写真説明】
クレーンでトレーラーに積み込まれる車両=26日午後2時15分ごろ、久慈市川崎町

 東日本大震災で甚大な被害を受けた第三セクターの三陸鉄道(岩手県宮古市、望月正彦社長)は26日、久慈市の車両基地にある2両を、宮古駅に向けて陸路で搬出した。現在1両で区間運行している北リアス線の小本(岩泉町)―宮古間を30日から2両編成に増やし、混雑緩和や運行ダイヤの安定を図る。

 震災の津波で、同線は線路など鉄道施設が流失。一方、保有する全12両のうち、震焚当時運行中だった2両はそれぞれ宮古、普代駅に到着して無事。残りの10両は車両基地にあり、被害はなかった。
 久慈―宮古を結ぶ全長71㌔の北リアス線では現在、久慈―陸中野田間( 11・1㌔)で1日8往復、宮苫―小本間(25 ・1㌔)で4往復している。
 小本―宮古間は1両での運行のため、通勤、通学時の混雑解消や、故障、点検時の代替車両の確保が課題となってぃた。30日からは始発と最終の各I往復について、2両編成での運行となる。
 移送作業は県の支援を受けて行われた。クレーンで2両を積んだ大型トレーラーが、国道45号を通り、約90㌔先の宮古駅へと向かった。
 搬出を見守った望月社長は
「1両では緊急時の対応に不安があった。輸送力を強化し、乗客のため万全の態勢で
安全運行に当たりたい」と話した。

デーリー東北


三陸鉄道 混雑緩和で車両増へ
5月28日 16時21分

津波で駅や線路が流される被害を受けた岩手県の第三セクターの「三陸鉄道」は、1両での運行が続き、混雑している区間で車両を増やすことになり、28日、車両基地から陸送した車両を線路にのせる作業を行いました。

岩手県の沿岸部に2つの路線がある三陸鉄道は津波で線路が各地で流され、現在、北部の北リアス線の2つの区間だけでの運行となっています。このうち宮古市の宮古駅と岩泉町の小本駅を結ぶ区間では1両だけで運行しているため、朝と夕方、混雑する状態が続いています。このため三陸鉄道は車両を増やすことになり、およそ90キロ離れた久慈市の車両基地から宮古市内にトレーラーで運び込まれた車両2両を線路にのせる作業が行われています。作業員は、まず台車を線路に移し、その上に大型のクレーンを使って、車体をのせる作業を慎重に行っていました。三陸鉄道によりますと、宮古駅と小本駅の間は、車両の運搬によって、30日から朝と夕方の4本の列車が2両編成に増え、混雑が緩和されるということです。三陸鉄道の望月正彦社長は「1両に高校生が130人も乗るような超満員が続いていたので、車両を増やすことができてほっとしています。乗客にはリラックスしながら乗っていただきたい」と話していました。

NHK より


 36形ディーゼルカーに130人詰め込むとは・・・。

見に行くかな、国境峠を越えて・・・。
Posted at 2011/05/28 19:50:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | ニュース
2011年05月27日 イイね!

「アクティ」のお店へ

「アクティ」のお店へ「本田技研工業」

本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、英: Honda Motor Co., Ltd.)は、日本、北米、欧州、南米、中国、タイ、インドなど世界各地に拠点を置く大手輸送機器及び機械工業メーカー(航空機及び航空エンジン、四輪製品、二輪製品、汎用製品:太陽電池・耕うん機・芝刈機・除雪機・発電機・船外機など)である。

概要
名称

主に「Honda」のブランドでオートバイと自動車、汎用製品を製造している。新規分野としてASIMO(アシモ)のようなロボットやHondaJet(ホンダジェット)と呼ばれる小型ジェット機とターボファン式ジェットエンジンも自社開発している。創業者の本田宗一郎(ほんだ そういちろう)は経営者・技術者として著名であり、社名は本田の姓から名づけられた[2]。日本の自動車メーカーとして9番目に設立された。本社は東京都港区南青山二丁目に地上16階地下4階の自社ビルを有する。通称および国内の各証券取引所での表示は「ホンダ」。

ロゴはアルファベット大文字の「HONDA」を赤色でデザインしたもの。2000年末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは「ホンダ」の表記を要望している[3]。

沿革

自動車部品などを製造する東海精機株式会社を、創業者の本田 宗一郎が株式会社豊田自動織機に売却。その資金を元に、1946年、静岡県浜松市(現・浜松市中区)山下町(後の山下工場)に本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。1947年にはA型自転車用補助動力エンジンを開発した。 1948年に本田技研工業株式会社として設立。1949年に藤沢武夫を経営全権として迎え、以降、技術の本田宗一郎と経営の藤沢武夫による二人三脚の経営が始まる。 1963年には後年に「スポーツトラック」とも呼ばれることになるT360(日本初のDOHCエンジン搭載)で四輪自動車業界に参入した。

同年には、欧州ベルギーに2輪車製造拠点を設立し、日本の自動車産業界において初となる欧州圏での製品(スーパーカブ・C100)の現地生産も行った。

その後もCVCC、VTEC、VTEC-E、i-VTEC、i-DSI、IMAといった高い技術開発力を示してきた。1981年に世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させた。

1982年には、日本の自動車メーカー初となるアメリカでの4輪車(アコード)の現地生産を開始し、昨今の日本の企業のグローバル化の手本とも言える大規模な日本国外への展開を、時代に先駆けて行った。

自動車・二輪車・汎用製品だけでなく、太陽電池パネルの生産やASIMOに代表される二足歩行ロボットの開発も行っている。このロボットは、ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らした。

また、2003年末には、宗一郎の念願だった航空機業界への参入への第一歩となる試作機「HondaJet」の初飛行にも成功。2004年2月16日には小型ジェット機用エンジンの事業化でGEとの提携も発表。 2006年8月 ホンダ・エアクラフト・カンパニーを米国に設立し、2010年度からの機体引渡しに向けてノースカロライナ州グリーンズボロにあるピードモント・トライアド国際空港隣接地に生産拠点の建設を行っている。

2004年7月には、埼玉県和光市の旧工場跡地にビルを新築、国内本社機能の一部を和光へ移転させた(日本国外の本社機能は港区南青山に所在する)。

取引銀行は三菱東京UFJ銀行、三菱UFJ信託銀行、りそな銀行である。

販売店
4輪車販売店

Honda Cars店

2006年3月にこれまでの販売網3系列(下記参照)を1本化、全国各店舗の屋号変更が同年7月13日(2代目ストリーム発表と同日)に一斉に行われた。9月からは順次店舗外装を変更していく予定。

Honda Carsへ順次移行・変更前の販売系列
2006年3月1日をもって店舗名はそのままながらも全店全車種取り扱いへと移行したため、事実上販売系列の区分けと販売系列のロゴマークはなくなった。

プリモ店(シビックをメインに、小型車、軽自動車を販売)
クリオ店(アコード、レジェンドの高級セダン車および上級車がメイン)
ベルノ店(1978年のプレリュード発売と同時に発足。スポーツカーとSUVがメイン)

「Auto Terrace」 中古車販売(ホンダ車のみ)・買取店(他銘柄車可)

2008年秋に「アキュラ」ブランドの国内進出が予定されていたが、一旦は2010年以降に延期したものの、急激な不況のあおりを受け最終的に国内進出自体が白紙撤回された。

二輪車販売店

DREAM店
ユーザーに対して四輪販売店並みの各種サービスを行っているホンダ車のみを扱う大型店舗、技能講習会、サーキット走行入門者向けの講習なども行っている。

PRO'S 店
ホンダのフルラインナップを扱っている販売店、ホンダ専門店と他メーカー併売店がある。

WING店
50ccから250ccまでを扱うホンダの販売店。

PASSAGE
ホンダの逆輸入車や国内仕様の大型バイクなどを主に扱う販売店。スペインの「モンテッサ・ホンダ」、イタリアの「ホンダ・イタリア・インダストリオーレ」で現地生産されている日本未発売の欧州車(小型スクーターや小型バイク)の輸入販売も行っている。

ENDURANCE
アジア市場で幅広く販売されているタイホンダ製の小型バイクを輸入・販売する販売店、日本未発売のスーパーカブ派生車種や小型スクーターなどを主に扱う。

最終更新 2011年5月10日 (火) 13:32


「ベルノ店」

ホンダベルノ店(VERNO)は、日本において2006年まで存在したホンダのディーラー網(販売チャネル)である。

目次
1 概要
2 2006年2月までの専売車種
3 過去の専売車種
4 脚注

概要

現在のHonda Cars店へ移行前の旧3チャンネル中、設立はいち早い1978年である(クリオは1984年、プリモは1985年に設立)[1][2]。主にスポーティカーやSUVを専売車種としていた。

コーポレートカラーは緑で、キャッチコピーは「クルマが、個性になる。」であった。

2006年3月1日より他系列のプリモ店、クリオ店とともに全店全車種併売へと移行[1]、それまでプリモ店独占だった軽自動車の取り扱いも始め、同年7月13日を以て販売網の統一名称「Honda Cars店」へ移行した。

2006年2月までの専売車種

MDX
S2000
インテグラ
CR-V ※初代(1995~2001)はプリモ店との併売だった。

過去の専売車種

プレリュード
インテグラSJ ※EK型シビックフェリオの姉妹車
CR-X
ビガー
セイバー ※2代目(1998~2003)からプリモ店との併売。
バラード
クイント
クロスロード *ランドローバー・ディスカバリーのOEM車
エレメント
NSX
HR-V

脚注

1^ a b Honda 国内四輪 新販売チャネル施策と、アキュラブランド導入を発表 Honda公式サイト 2005年12月14日
2^ Honda|会社案内|会社概要|Hondaのグローバル展開|日本 Honda公式サイト

最終更新 2010年9月10日 (金) 00:49


「プリモ店」

ホンダプリモ店 (PRIMO) は、2006年7月まで存在したホンダのディーラー網(販売チャネル)である。

概要

1985年に旧・「ホンダ店」が、プリモ店とクリオ店に分割して設立された。小型車のシビックや軽自動車(ライフやバモスなど)を専売車種としていた。1986年まではシティ、1989年まではアコードも取り扱っていて、後にこの2台はクリオ店専売車種になった。

コーポレートカラーは赤で、キャッチフレーズは「クルマが家族になる。」であった。

元々、プリモ店は委託販売方式を採っていた時代からの名残で、オートバイ・自転車取扱店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店、地元有力者の中小の商店・企業などを母体とするディーラーが多く、複数の販売店・サービス拠点を持たない単独店が多かった。

2006年3月1日に他系列のクリオ店、ベルノ店ともに全店全車種併売へと移行する。それまでプリモ店が独占的に扱っていた軽自動車が他系列でも取り扱われるようになり、販売競争の激化が予想された。同年7月13日をもって販売網の統一名称Honda Cars店へ移行した。

2006年2月末までの専売車種

シビック
ライフ
アクティ
バモス
バモスホビオ
ザッツ

過去の専売車種

アスコット
アスコットイノーバ
シビックフェリオ
トゥデイ
Z
ビート

最終更新 2010年12月22日 (水) 14:45


「クリオ店」

ホンダクリオ店 (CLIO) は2006年まで存在したホンダのディーラー網(販売チャネル)である。

概要

1985年に旧「ホンダ店」がプリモ店とクリオ店に分割して設立された。主にレジェンドやアコードなどの高級・上級車セダンを専売車種としていた。1987年まではシビックも扱っていた。

コーポレートカラーは青(設立当初はグレー)で、キャッチフレーズは「クルマが、ゆとりになる。」であった。

2006年3月1日より他系列のプリモ店、ベルノ店とともに全店全車種併売へと移行、これまでプリモ店の独占だった軽自動車も取り扱いはじめる。 同年7月13日を以て販売網の統一名称「Honda Cars店」へ移行した。

ルノー・クリオが日本導入される際、当ブランドによる著作権上、「ルノー・ルーテシア」に変更して販売された。

2006年2月末までの専売車種

レジェンド
アコード
アコードワゴン

過去の専売車種

インスパイア ※4代目(UC1型・2003発売)より全店取り扱い
アヴァンシア
S-MX
ラグレイト
ドマーニ
コンチェルト
シティ ※初代(AA/VF型・1981-1986年)はプリモ店との併売

最終更新 2010年12月22日 (水) 15:02


「アキュラ」

アキュラ(英語:Acura)は、本田技研工業が1986年にアメリカ合衆国で開業した高級車ブランドである。

現地開発モデルを含む6車種で展開され、販売台数の7割を北アメリカ生産車が占めている(2005年)[1]。当初は北アメリカ特化型の事業であったが、2006年には中国での販売が開始され、ロシアでの開業も計画されるなど、世界ブランドへと変化しつつある。

目次
1 概要
2 歴史
3 販売車種の特徴
4 評価と実績
5 名称とロゴマーク
6 現行車種
6.1 アメリカ合衆国
6.2 カナダ
6.3 メキシコ
6.4 中国
6.5 香港
7 日本での販売計画
8 過去の販売車種
9 モータースポーツ
10 脚注

概要

アメリカにおけるホンダはの歴史は、1959年、ロサンゼルスに販売会社・アメリカンホンダモーター(American Honda Motor)が設立されたことに始まる。小型バイク、スーパーカブを始めとする二輪車の販売で成功したホンダは、1973年の第一次石油危機に際して、低燃費の小型車・シビックによりアメリカ自動車市場への進出に成功した。1982年にはオハイオ州の自社工場において、乗用車・アコードの生産を開始したが、これは、日本の自動車会社として初めてのアメリカ現地生産であった[2]。

大衆車の販売で成功したホンダは、より上級の自動車市場への進出を計画、1985年には、アメリカ現地での研究所として、ホンダR&Dアメリカ社の技術開発センターが、オハイオ州に完成した。翌1986年にアキュラが開業、全米60店舗のディーラーを通して、スポーツカーのインテグラと、フラッグシップのレジェンドの販売が開始された[3]。これは、日本の自動車会社による高級車ブランド設立の第一例であり、トヨタ自動車のレクサスや、日産自動車のインフィニティ(いずれも1989年に開業)に先立つものであった。

開業初年には、早くも自動車ブランド別の顧客満足度調査において第1位を獲得し、アメリカでの高評価が定着した。アキュラブランドの販売は、カナダでも1986年から開始された。同地においては独立したディーラー網の展開はなく、ホンダブランドの下での併売となっている。

1990年には、世界で初めてアルミニウム製ボディを採用したスーパーカーのNSXが発売された。

2004年11月30日にメキシコ、2006年9月27日に中華人民共和国(マカオなどを除く)でも販売が開始された。また、2011年を目処として、ロシア市場へも進出する計画が発表されているなど、レクサスやインフィニティに比べて遅れていた世界展開が進んでいる[4]。

歴史

1986年  アメリカ合衆国で開業。カナダでもアキュラ「レジェンド」と「インテグラ」の販売が開始される[5]
1990年  アメリカにおけるCSI(顧客満足度調査)で、自動車ブランドとして5年連続の第1位を獲得[6]
2002年7月 アメリカにおけるアキュラ車の累計販売台数が200万台に達する[7]
2004年  メキシコでの販売を開始
2005年7月 中国での販売計画を発表。開業予定は2006年春とした[8]
2005年12月 北米向けNSXの生産を終了[9]
2006年9月 中国での販売を開始[10]
2007年5月 アキュラデザインスタジオが、カリフォルニア州に完成[11]
2008年9月 ロシアでの販売計画を発表。開業は2011年を目処とするとした[12]

販売車種の特徴

スポーティーさを特徴とする高級セダン・SUVを展開している。NSXの発売終了以降は全車種が前輪駆動車やそれをベースにした四輪駆動車となっている。直列4気筒エンジン搭載のモデルが存在する一方で、最大でもV型6気筒エンジンに留まるなどの特徴は、従来アメリカで認識されてきた「高級車ブランド」像とは異なるものである。また、レクサスやインフィニティなどが、日本製による品質とイメージの維持を図っているのに対して、アキュラでは、現地開発・現地生産による現地化に注力しているのも特徴である。

評価と実績

2006年のアメリカ合衆国における販売台数は20万1,223台であり、そのうち約13万台が北米現地生産車であった[13]。2009年、アキュラでは全車種が、二つの代表的な自動車安全調査機構、NHTSA(米国運輸省道路交通安全局)によるクラッシュ・テストでの5つ星と、IIHS(道路安全保険協会)による「トップセーフティピック」評価を獲得するという、自動車ブランドとして史上初の快挙を得ている[14]。

名称とロゴマーク

ブランド名は、「Accuracy(正確さ)」を連想させる造語である。ホンダのエンブレムの「Hマーク」をちょうど逆にした「A」に起縁する、また、アルファベット順に並べた場合に、他のどのブランドよりも先頭にくることが考慮されたとも言われる。エンブレムはカリパス(ノギス)を象ったものに手を加えて「Aマーク」と見えるようにしたものである。

モデル名は当初、「アキュラ・レジェンド」、「アキュラ・ビガー」など、同型車がホンダブランドで発売される際と同一の名称が使用されていたが、その後は全モデルがアルファベット2文字か3文字の名称に変更・統一されている。

現行車種
アメリカ合衆国

RL(アキュラの最高級セダン、日本名ホンダ・レジェンド(LEGEND))
TL(中型セダン)
TSX(日本名ホンダ・アコード(ACCORD))
MDX(大型SUV)
ZDX(大型SUV)
RDX(中型SUV)

カナダ

RL、TL、TSX、MDX、ZDX、RDX
CSX(カナダ専売の小型セダン、日本名ホンダ・シビック(CIVIC)で同車の上級仕様)

メキシコ

RL、TL、MDX、RDX

中国

RL、TL、MDX

香港

RL

日本での販売計画

アキュラ・ブランドは日本への導入も計画されていたが、自動車市場の状況の変化等に伴って撤回された。

2005年12月 2008年秋からの日本導入を発表。スポーティーモデルを中心に4〜5車種を投入し、全国100店舗程度で開業するとした[15][16]
2007年7月 当初計画より2年程度延期し、2010年以降の開業とすることを発表[17]
2008年8月 低公害型ディーゼルエンジン搭載車や、高級スポーツカーNSXの後継車種などの投入が示唆される[18]。
2008年12月 日本導入計画の白紙撤回を発表[19]

過去の販売車種

ビガー(1995年TLへ移行)
レジェンド(1996年RLへ移行)
SLX(いすゞ・ビッグホーンOEM車両、日本名:ホンダ・ホライゾン、1999年廃止)
インテグラ(2002年RSXへ移行)
CL(Honda Accord Coupe姉妹車、2003年廃止)
EL(Honda Civic Sedan姉妹車、日本名:ホンダ・ドマーニ/いすゞ・ジェミニ、カナダ専売、2005年CSXへ移行)
NSX(2005年廃止)
RSX(日本名:ホンダ・インテグラ、2007年廃止)

モータースポーツ
ACURA-SPICE SE90CL

従来、モータースポーツ活動は「アキュラ・スパイスSE90CL」(NSXのエンジンを搭載し、1991年より2年間IMSAシリーズのキャメル GTP Light クラスに参戦。ドライバーズ,マニュファクチャラーズの両タイトルを2年連続で獲得)等での参戦があった程度で積極的に行われていなかった。

2007年よりアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)のP2クラスにおいて、エンジン(V8 3,400cc NA)や車両(COURAGE LC75ベースのAcura ARX-01a)の開発及び供給を行なっている。なおオペレーションは、現在ホンダブランドでインディ・レーシング・リーグ(IRL)へのエンジン供給を行っているホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD)が担当する。

2009年からは、P1クラスにステップアップすることが発表された[20]。

2010年度のル・マン24時間レースのP2クラスにアキュラ・ARX-01がエントリーしている[21]。

脚注

1^ http://www.honda.co.jp/news/2005/c051220a.html
2^ http://corporate.honda.com/america/timeline.aspx
3^ http://corporate.honda.com/america/timeline.aspx
4^ ホンダ、ロシアでアキュラ展開へ 日本の高級車出そろう
5^ http://www.hondacorp.honda.ca/HondaCorp/v/index
6^ http://www.honda.co.jp/guide/corporate-profile/global/north-america/
7^ http://www.honda.co.jp/news/2002/c020725.html
8^ http://www.webcg.net/WEBCG/news/000016965.html?word=%A5%A2%A5%AD%A5%E5%A5%E9
9^ http://www.honda.co.jp/news/2005/4050712-nsx.html
10^ http://www.webcg.net/WEBCG/news/000018672.html?word=%A5%A2%A5%AD%A5%E5%A5%E9
11^ http://www.honda.co.jp/news/2007/c070525b.html
12^ http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080905/biz0809051920013-n1.htm
13^ http://www.reliableplant.com/article.asp?articleid=4111
14^ http://response.jp/article/2009/04/06/122845.html
15^ http://www.webcg.net/WEBCG/news/000017598.html?word=%A5%A2%A5%AD%A5%E5%A5%E9
16^ http://www.honda.co.jp/news/2005/c051214.html
17^ ホンダ年央会見 アキュラ 日本導入を2年先送り, Response., 2007年7月18日
18^ http://eco.nikkei.co.jp/news/nikkei/article.aspx?id=MMECn1422306082007
19^ http://www.honda.co.jp/news/2008/c081217a.html
20^ http://www.honda.co.jp/ALMS/news2008/02/
21^ http://www.lemans.org/24heuresdumans/pages/engages_gb.html

最終更新 2011年4月22日 (金) 06:30


「Honda Cars店」

Honda Cars(ホンダ カーズ)は、本田技研工業の自動車販売におけるディーラー網である。

目次
1 概要
2 名称変更
3 販売車種
4 脚注
5 外部リンク

概要

2006年3月1日にプリモ店、クリオ店、ベルノ店がそれぞれ専売車種を持つ形態から全車種併売へと移行し、名称を分ける必要性がなくなった為、同年7月13日に一部ディーラーを除きHonda Carsに統一した。
ただし各販売網の名称を統一するのみで、それぞれのディーラーは必ずしも合併するわけではない。
最初は名称変更のみを行い、2006年秋ごろより店舗の看板などを順次変更している。プリモ店の赤、クリオ店の青、ベルノ店の緑のイメージカラーから、白を基調した看板に変わった。

名称変更

Honda Carsへの移行に伴い、以下のように名称の変更が行われた。

ディーラー名には地域名が使われ、プリモ店によく見られた経営者の姓(名字)など地名以外の呼称は基本的に消滅した。地名が重複する場合は方角などを使い区別している。[1]
店舗は「~店」に統一され「~営業所」は使われない。店舗名もディーラー名と同様重複が多く発生したため方角、地名、道路名などを使って変更された。
ウェブサイトのURLを変更した法人もある。
旧プリモ店の店舗は施設を譲渡(旧クリオ/ベルノの販売会社)、販売会社(旧プリモ店)は解散したものが存在する。

脚注

1^ 例えばプリモ店のうち、名称変更前である「ホンダプリモ松本」と言う店名表記が国内に2つ存在した。1つは青森県三戸郡田子町にある店舗で、こちらは運営会社の「松本ホンダ販売」から。もう1つは長野県松本市にある店舗で、その店舗所在地の地名から、それぞれにの店名に由来する。その後店舗名変更後は、前者は「Honda Cars田子」、後者は「Honda Cars松本北」に、それぞれ改称されている。

最終更新 2010年9月2日 (木) 12:56

以上 フリー百科事典『ウィキペディア』 より


 日産マツダの販売店を取り上げたのでホンダも取り上げなければならない。軽自動車販売に力を入れているようである。昔からディーゼル車はほとんど無いな・・・。
 私の所の軽トラもアクティであり、親父の同級生○○○ホンダの"個人商店"から購入した。Honda Cars店に移行しなかったようである。

  2006年3月1日にHonda Cars店になり1977年以前の「旧ホンダ店」に戻ったような感じであるが、多くの"個人商店"が ディーラーを返上した所があり、いわゆる「Honda Cars店ディーラー」になった。ワンランク上がった感じはする。
 米の「アキュラ店」を習って「レクサス店」を出店した。

1978年ベルノ店-1986年アキュラ
1980年ビスタ店-1989年レクサス

このあたりが、オイルショックから立ち直る頃にあたるねー。

 レクサス店が苦戦している現状では、カナダのように企業内ブランドとして導入した方が「アキュラ」ブランドイメージが日本国内で展開できると思うが。
Posted at 2011/05/27 07:06:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタディーゼル店 | クルマ
2011年05月26日 イイね!

相互補完可能なトヨタとホンダのスマートグリッド

相互補完可能なトヨタとホンダのスマートグリッド相互補完も可能なトヨタとホンダのスマートグリッド
2011年5月25日(水) 12時00分

フィットEVと電動シニアカー 《撮影 宮崎壮人》

◆スマートセンターVS.スマートホーム

ホンダが自社製の太陽光発電システムやコージェネレーション(熱電併給)ユニット、電動車両などを組み合わせた「スマートホーム」を構築し、来春からさいたま市で実証実験を行うことになった。同様の概念による住宅は、トヨタ自動車が「スマートセンター」として開発し、2010年9月から青森県六ケ所村で、外部電源との連携も含めた実証実験に乗り出している。

いずれも、地域での電力消費を効率的にする将来のスマートグリッド(次世代送電網)時代に対応可能な技術となる。こうした家庭=住宅のエネルギー消費も包括した省エネ・低炭素型のシステムづくりは、世界の自動車業界でも両社が先行する。両社はライバル関係にあるものの、住宅、太陽光発電といったクルマ以外の製品では補完も可能であり、今後の展開に注目したい。

ホンダの実証実験は、電気自動車(EV)の普及策を推進中のさいたま市と共同で行うもので、「スマートホーム」は同市内に2~3棟建設する計画。同ホームは、ホンダが市販中の太陽光発電システムとコージェネユニットのほか、外部調達する蓄電池を備える。


◆EVから直流200Vを取り込むコンセント

外部電力を含むエネルギーの制御は「スマートeミックスマネジャー」というコントロールユニットで行う。トヨタのスマートセンターにおけるHEMS(ホーム・エネルギー・マネジメント・システム)に相当する。

大きさは家庭用エアコンの室内機程度であり、住宅の外壁に設置される。ユニットにはEVやプラグインハイブリッド車(PHV)の充電用として100Vと200Vの出力コンセント、停電など非常時に使う100Vの同コンセント、さらに車両側から直流200Vの電力を取り込む入力コンセントが設置されている。電力を車両との間で入出力できるキーステーションとするのだ。

スマートホームに設置されるコージェネは、都市ガスのほか非常時にはプロパンガスも使え、出力は1kW。太陽光発電の能力を4kW程度とすれば、一般家庭のピーク電力に対応できる。

ただし、夜間は太陽光発電ができないので蓄電池や電力会社からの受電が必要だ。それでも、昼間の太陽光発電による電力会社への売電により、売買電のエネルギー量をほぼ均等化させることも可能だろう。伊東孝紳社長は「家庭単位で自立した電力供給の可能性を検証したい」と期待を寄せる。


◆トヨタホームにホンダの太陽光発電を乗せる

トヨタの六ケ所村での実験が、一定地域でのスマートコミュニティとしての取り組みとなっているのに対し、ホンダの実験はまず家屋単位のスタンドアローン型から始める。ホンダはこの実験で、車両からの排出を含む家庭でのCO2(二酸化炭素)排出量を、15年までに00年比で半減させることを目標にしている。

両社の実験の構成ユニットでは、それぞれ自社製品にあるものと、ないものがある。住宅と太陽光発電である。スマートグリッド分野での技術開発を共に加速するため、補完し合うのも検討に値するのではないか。

トヨタはトヨタホームにホンダの太陽光発電を乗せ、ホンダはトヨタホームでスマートホームを構築する―これぞ「競争と協調」である。

【レスポンス 池原照雄】


 自動車だけでなく、シニアカーもこれからの"乗り物"であるからね。免許返上して電動シニアカーに取り替えるのも多くなる。郊外型住宅は地方ではも多いし、郊外型ショッピングセンターは更に増える傾向だ。また、三世代家族も増えて、家族間で自動車メーカーが違うのもあり得るし。こういう方々は往々にして長距離通勤でPHVなどエコカーを選択する傾向だしね・・・。
Posted at 2011/05/26 06:10:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ

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何シテル?   04/02 16:02
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