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半ねりのブログ一覧

2019年08月25日 イイね!

只見線、遡ってきた(1週間前に)

只見線、遡ってきた(1週間前に)もう一週間以上前だが、会津若松から只見線に沿って長岡まで。



朝見かけた只見線。沿線をずっと走っていたが、電車を見たのはこの時だけだった。

綺麗な道。google mapで見ると何となく渓谷を想像していたが、緩やかな中流域の景色が続く。ツールに負けない、とまでは言えないがきれい。


只見駅。ずっと農村部だったが、只見駅周辺には民宿もある。食事は分からないが自販機は頻繁にあり、水分補給には困らない感じ。パチンコ屋もあった(同じ軽トラが5台並んでいた)。


田子倉ダムからの眺め。手前に変電設備。奥に只見湖。田子倉ダムのダム湖は遊覧船が走る。軽食も取れるが持参したコンビニおにぎり。ダムカードを2枚ゲット。


田子倉ダムを過ぎると一気に峠道。標高は800mくらいだが高山な雰囲気。度々出現するスノーシェッド(雪よけのトンネル)の日陰がヒンヤリして気持ちいい。


このあと新潟に抜けたが、めちゃめちゃ暑かった。フェーン現象で一部では40℃に達しており、山間部でも明らかに空気が変わった。トンネル内も熱気が淀んでおり、たまに吹く風も熱風が吹き寄せてくる。

只見線は現在一部区間が不通になっているが、再開に向けて自治体とJRが費用負担を協議しているとか。というか、そもそもなぜこんなところに作った?というような険しい山道を通る。一度乗ってみたい。

全体図。途中でGarminの電池が切れてしまったが、150kmちょい乗った。サイコンはずっとつけていなかったが、時間と標高はよく見た。5kmごとのラップタイムもありがたい。別の機会にレビューをちゃんと書きたい。


Posted at 2019/08/25 03:38:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年08月18日 イイね!

5年ぶりに会った友人は会津で小学校の教師になっていた

5年ぶりに会った友人は会津で小学校の教師になっていた磐梯吾妻スカイラインは雨だった。

東京からは、福島から入り郡山から帰るという日帰りルートも可能だが、朝早い新幹線がつらいので福島に前泊。会津若松で友人に会い、翌日は長岡まで抜けた。

8/14 福島 → 会津若松
8/15 会津若松 → 長岡

磐梯吾妻スカイラインは雨で景色はゼロ。かなり久々にレインウェアを出した。

登り


有名な橋もこのとおり


普段の綺麗な景色が見たい方はこちら(エスケープ紀行)
https://escapetrip.jp/fukushima-jododaira-roadbike-cycling/9083

ちょっとそれっぽい景色も


裏磐梯に抜けるレイクラインの途中で食べたラーメン。味は普通だったが、お新香やらカボチャの煮付けをサービスしてくれた。おじさんが「馬力出さにゃあ」といって笑った。


会津若松は晴れていて、ぐっしょり濡れていたウェアはすっかり乾き、日焼け止めを塗らなかった腕が赤く焼けてしまった。

夕方、5年ぶりに会った友人は会津で小学校の教員をやっていた。東京の役所を脱サラして教員免許を取った訳だが、教員の方が向いていそうだった。LINEのやりとりもほとんどないが、昔から気が合うので繋がりが切れることは何となく無さそうである。

全体図
Posted at 2019/08/18 15:22:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年08月16日 イイね!

大弛峠は「ついで」であることを許さない(ロードで長野側に降りられるのか?)

大弛峠は標高2360m。自転車で行ける高い場所という意味でも全国で3番目に高いが、富士山5合目は「向こう側へ降りる」という選択肢がないため、向こう側へ降りられる峠としては全国で2番目の高さになる。

1. 乗鞍岳 畳平(2,702 m)
2. 富士山5合目(2,380 m)
3. 大弛峠(2,360 m)

しかし、ロードで大弛峠に登る場合、多くが塩山駅から行って帰ってくることになる。長野側へ降りないのだ。理由ははっきりしている。長野側がダートだからである。

しかしせっかく登ったのに来た道を帰るのでは能がないし、ルートもかなり限られてしまう。と言うわけで、ロードを押して歩いて下ってみた。ダートなのは分かっていたが、1時間くらいならルート設定上も「あり」な選択肢になるのではないかと思ったのだ。

結論を言うと降りられる。しかしガレ場を(1時間どころではなく)2時間半ほど歩くことになるので、はっきり言ってオススメできない。「もう一回やりたいか?」と問われれば即座にNOと答える。

全体図


お約束の夢の庭園。曇っていた...


ガレ場。石が大きくロードに乗れないので押すしかない。少し歩けば、乗れるくらいの粒になるかと思ったが、なかなかならない。


まだまだ続くガレ場。多いのはオフロードバイク。車も四駆じゃないと苦しそう。


ましになって来たガレ場。このくらいだと少し乗れるが、またすぐ石が大きくなる。


結局、2時間くらい歩いた頃、軽の四駆の乗ったお兄さんの車に乗せてもらってしまった。ありがとう。

長野側は野菜の町。高原感ある(野辺山のセブンは外人が多くてびびった)。


清里から下る途中で日が暮れて怖かった。街灯ないのね、あの道。

小淵沢駅の待合室。20時くらいだった思うが、終電の雰囲気。


結論:大弛峠は、塩山から行って、塩山に帰るのが現実的。そのためだけに行く峠なのだ。「ついで」であることを許さない。
Posted at 2019/08/16 11:42:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年08月10日 イイね!

[本の小並感 No. 86]ひとりずもう

[本の小並感 No. 86]ひとりずもう86. ひとりずもう 4点

さくらももこが亡くなったのは、2018年8月15日だった。発表は少し経ってからだったようだが、そのとき私は職場におり同僚から訃報を聞いたのだった。ちびまる子ちゃんは、私の世代では何ら特別なものではなく、空気のように「ただそこにあるもの」だった。あって当たり前。知っていて当たり前。日曜の夕方にアニメがやっているのも当たり前だった。家には漫画もあった。久しく遠ざかっていたが、何冊かまとめて読んでみた。

・ちびまる子ちゃん(全巻)
・ひとりずもう(下巻のみ)
・さくらえび
・永沢君

「ひとりずもう」は漫画家としてデビューするまでのエピソードである。進路調査の始まる高校3年の頃、初めて描き上げ投稿した少女漫画はBクラス(後にほぼ同時期にデビューすることになる矢沢あいは、このときもう一息賞入賞)。この挫折で落語家を志たりするが、小論文の試験でエッセイを評価され、それを漫画にすることを思いつく。夏休み以降はエッセイ漫画の作成に没頭し、短大の多分1年の頃にデビューすることになる。

少女漫画の挫折に泣く


これを読むと、この人が如何に真剣にキャリアに悩み、自分自身に向き合い続けたかがよく分かる。短大という選択肢はあったが「まじめに毎日働いて、何か食べて、年とって死ぬ人生」は拒否し続けた。



偏差値の高い大学に進み、大企業に勤める。これが戦後長く続いた日本人のキャリアだった。しかし、バブル崩壊からは「どうしていいか分からない」状態が続いたと思う。大人達は自分たちの成功モデルが否定されたことを理解はしていたが、ではどうすれば良いのかを我が子にアドバイスすることはできなかった。

その流れを変えたのが(というか広く世に問うたのが)村上龍の13歳のハローワークだった。彼はその本で「世の中には2種類の人間しかいない。それは頭の良い人と悪い人ではない。自分の好きなことを仕事にしている人と、そうでない人だ」と説いた。

好きでなくても我慢してでも仕事をすれば給料がもらえたバブル以前、好きなことを仕事にしていい2000年代、そしてそ今や「好きでなければ稼げない」時代に入っている。私の親は「みんなが好きな人気の仕事の給料は安い」と言ったが、それは間違いだった(少なくとも正確ではなかった。)。好きでなければ没頭できない。没頭できなければ、いい仕事はできない。価値を創造できない。

さくらももこは享年53歳だったが、その53年間は素晴らしく幸福で充実したものであったことは想像に難くない。嫉妬とクソリプを送りたい衝動に駆られる。


Posted at 2019/08/10 23:20:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年08月04日 イイね!

[本の小並感 No. 85]自由はどこまで可能か

[本の小並感 No. 85]自由はどこまで可能か85.自由はどこまで可能か 4点

少し前から暇なときに田端さんのブログの記事をブックマークしているが、この本は医薬品のネット販売規制を例にパターナリズムの弊害を述べ、enter at your own riskのように個人の自由を最大限村長するリバタリアン精神を解説する中で入門書として紹介されていたものだ。

こう言う思想に私が初めて触れたのは池田信夫だった。彼のブログや記事は膨大だが、すぐ思い浮かぶのはサイバーリバタリアンという名称でASCIIに連載していた記事である。彼はこの連載の第1回で検索エンジンを例に「英米では「法律で禁止しないかぎり自由」と考えるが、日本では「役所が許可してないことは禁止」と考えがちだ。こういうパターナリズムが企業を萎縮させ、新しいベンチャーの挑戦を阻害して、日本経済を三流に転落させたのである。」と述べている。このような事例は、私のような現場のサラリーマンにも至る所で目に入る。それに対する論理的反論の支柱となる思想をこの本は分かりやすく提供している。

・例えば、最近データの所有権が問題になることがある。民法上の所有権という概念は物体にのみ適用されるのであり、無物体であるデータには適用できないという議論だ。この本によれば有物体は他人の利用と両立できないことから、所有権を認め得る(他人の利用を制限し得る)が、無物体は自分の利用と他人の利用とが両立する。このため、リバタリアンは無物体に対して著作権や特許権を認めにくい。

・自己奴隷化や臓器売買も「個人の自由の最大化」という観点からリバタリアンは肯定的な意見もあるようである。著者はその立場にはなく、将来の自分は、現在の自分からは十分他人と見なせるだけの違いが想定されるためだとする。本人の自由意志がどこまで担保されるのか(半グレに囲まれてサインしてもそれは本人の意思か)という問題も考えられるし、リバタリアンと言えども何でもかんでもではない。アナーキストではない。

・当然だがリバタリアンは、国家による市場への介入には基本的に反対する。灯台を例に、今日インフラと呼ばれるものについても大部分が民間で賄われるという研究があるらしい。バスティアは、割れた窓の修理代6フランはガラス屋の収入となってガラス産業を発展させる、という説明に対し、もし窓が割れなければ6フランを別の用途に使用することができたという機会費用の概念で反対する。公共事業は税金で賄われているため、税金がなかった場合の機会費用に目を向けなければならない。

・最近Facebookの暗号通貨リブラが各方面から叩かれている。ハイエクの貨幣発行自由論は、公共事業のために赤字国債を発行する裁量的な政府の財政政策に対抗する措置として発案されたもので、すでに当時こういう議論があり、テクノロジーが追いついてきたことを実感させられる。

疲れた。付箋も多い。3点から4点に変えた。

医薬品ネット販売規制で考える、自由とパターナリズムと、愚行権
http://blog.livedoor.jp/tabbata/archives/50686714.html

もはや一流ではない日本経済──諸悪の根源は「家父長主義」にあり
https://ascii.jp/elem/000/000/103/103336/index-2.html
Posted at 2019/08/04 18:50:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「ビート、手放しました。13年ありがとう! http://cvw.jp/b/410066/45136597/
何シテル?   05/23 22:55
「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」
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