
ちょっと今更な情報になりますが(^^;
先の連休から8/2(日)までの休日6日間、マツダ横浜R&Dセンターで、
「Roadster 20周年記念展」が開催されているそうですね。
<リンク>
ttp://www.open-inc.co.jp/rcoj/event_info/index.html
記念の展示物や軽井沢MTGにも来ていた20周年署名車、10周年署名車が見れる他に、
なんと
平井主査が所有していた愛車(NA6)と、初期のプロトタイプ V705が展示されているとの事(^^)
これは行かなければ! ということで開催中に足を運んでカメラ小僧になってこようと思ってます(笑)
主査の愛車は、栃木講演会でも見れなかったのでもちろん楽しみですが、最近ロドの歴史についてちょっと興味があるので、今まで資料写真でしか見れなかったV705が見れるのも楽しみです。
(というか今回が初公開との事ですが、どこにしまってたんでしょう。。。)
と、いうわけでV705についてちょっと掘り下げてみました。
(こーいう話を調べるの好きなんです。)
以下、興味の無い人には全く興味の無い話ですw 注意。
* * * * * * * *
最近購入したロードスターの写真集(1991 荒地出版)にV705についての記述があったので抜粋します。
~アメリカのクレイモデル(※MANA第一次クレイモデル 通称デュオ101)が仕上がって間もない頃、これらのスポーツカー提案が広島本社に集められ、初めて検討された。しかしこの段階ではまだ担当者レベルのものであって、当然市販のための会議でもなかった。むしろ研究発表的存在であった。とはいっても、ここまでやって終わりにするわけにはいかない。スタッフ全員がそう思った。
結局この中から一応FR駆動オープンスタイルのアメリカ案が選ばれ、消滅をまぬがれた。しかしこの計画はまったく違う部門に移されたが、一歩進められることになった。ちょどこの時期に技術研究所が新たにスタートし、FRのスポーツ研究はここに持ち込まれた。ラッキーな事にP729オープンスポーツ(※ロードスターの開発コード)はとりあえず、研究所の課題の1つであった樹脂ボディー開発のアイテムに採用され、加藤主査の手で実際に走る事が可能な車に作り上げられた。
この車は研究所でV705と名づけられ1985年に完成し、実際にイギリスとアメリカで路上テストが行なわれた。しかし、あくまでもボディー開発のためのものであり、パーツはありあわせのものが使われメカニズム的には普通のセダン並程度のものである。だからこの時点ではまだロードスターの正式開発スタートとは呼べないものであった。そしてこれまでのP729開発はストップした。
V705という樹脂ボディー実験車に変わったとしても、とりあえずオープンスポーツの原型ボディーは生き残ったのである。
しかし実走テストが終わると、アメリカで再びP729活動が復活し開発が始められた。2台目のクレイモデル開発に取り掛かったのである。このあたりからスタッフはなんとかしたいという思いであったことだろう。しかしこれはあくまでもデザイン中心の作業であり、メカニズム的なものは白紙の状態であった。
ところが明けて1986年になると上層部で、とりあえず量産も考慮してみようという事になった。
ここでやっと、この車の成功の核となった人物が登場するのである。
平井敏彦。彼こそ、ロードスターの成功の源となった男で、これから始まる本格的開発のすべてに終始情熱を燃やし続けることになる。~
(三徳 雅敏)
あんまり深くは書かれてませんが。。。
他の資料も参考にすると、
駆動形式はFRオープン(MANAの一次クレイモデル)が勝ったものの、社内の風当たりが強くプロジェクト自体の雲行きは怪しかったようです。
そんなときに樹脂ボディー開発のためのプロトタイプとして開発されたのがこのV705。
製作は社内の工数が無いため外注(イギリス IAD社)。
この実験車がアメリカの実走テストで現地の人から予想以上の注目を浴びたため、MANAの二次クレイモデルに予算が与えられ、プロジェクトが進んでいったという背景があったようです。
と、いうわけでV705は、P729(ロードスター)プロジェクトを危機から救った存在っていえそうですね(^^
調べてみて、ますます興味が湧きました。実車に逢うのが楽しみ~♪
※写真は1997 ロードスター名鑑 徳間書店 より
Posted at 2009/07/23 01:46:05 | |
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ロードスター | 日記