2020年03月11日
ノーマ・コーレット・マレックという方の詞です。
岩手日報から抜粋
最後だとわかっていたなら
あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら、わたしはもっとちゃんとカバーをかけて、神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが最後だとわかっていたら、わたしはあなたを抱きしめてキスをして、そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが最後だとわかっていたら、わたしはその一部始終をビデオにとって毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても分かってくれていたかもしれないけど、最後だとわかっていたら、一言でもいい・・・「あなたを愛してる」と、わたしは伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは今日どんなにあなたを愛しているか伝えたい
そしてわたしたちは忘れないようにしたい
若い人にも年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを、愛する人を抱きしめられるのは、今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら今日でもいいはず、もし明日が来ないとしたらあなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや抱擁やキスをするための、ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと、忙しさを理由にその人の最後の願いとなってしまったことを、どうしてしてあげられなかったのかと
だから今日、あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう、そしてその人を愛していること、いつでもいつまでも大切な存在だということを、そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすればもし明日が来ないとしても、あなたは今日を後悔しないだろうから
明日が来るのは、当たり前ではない。
3月11日を、すべての人が大切な人を想う日に。
岩手日報
Posted at 2020/03/11 21:08:40 | |
トラックバック(0) | 日記