
ご無沙汰しております。
へびめたです。
しばらく実家に
帰ってました。
実家では
不摂生ばかりで
写真の猪の肉や
クエなんかを食べて過ごしてたので
またまた、太って帰還しましたw

素敵な前菜

クエのクチバシだそうです♪
お酢で和えてました。

クエの湯引き。
梅肉のジュレでいただきます♪

マグロの塩漬け。
カルパッチョみたいな感じですが
かなり塩が効いてました。酒飲みさんにぴったりです♪

クエのちり鍋。
これはタンパクな味でしたが出汁がかなりいい感じでした♪

天ぷら。クエはなしで一般的な天ぷらでした。

父が好きだったうなぎを出して頂きました。

デザートは桜アイス。
いちごは子供たちに取られました(涙)
こんなに豪華なお食事を頂いて帰ってきました。
4月7日に父が他界しました。
享年72歳。
まだまだ、若いほうだと思います。
祖父の四十九日も済んでないので
実家には遺影が親子で並んでいます。
去年の8月頃より入院し、亡くなるまでの約8ヶ月間
そばに居てなかったので実感はまだまだ湧きませんが
その間にできるだけ、帰省し、今年の春休みも帰れたので
死に目にこそ会えませんでしたが、イキナリ居なくなる事を
思えば、私にとって悲しみは少ないほうだと思います。
ただ、父の姿は直視するのはできなかったなぁ。
定年後、軽を買って「落ち着いたらお前のところ(三重)に遊びに行くんや」って
言ってた父。
その頃、祖父も祖母も健在だったのでなかなかこれず。
※祖父が、足が悪かったので遠出は無理でした。
そうこしている間に、祖母が事故で入院。
認知の為、介護要となりとりあえず、祖母が健在の間は無理となりました。
そして、祖母がなくなり暫くし、父の調子が悪くなり
結局、自分が動けなくなってしまいました。
肺の病気のため、酸素ボンベを常にもち、
最終的には血中酸素が足りないため、輸血や点滴が
毎日となってしまい、結局、病院から切り離せない生活となってしまいました。
三重に行く。
距離にして約200キロあるかないか。
ささやかな願いなんですが
それすらも、叶わずに逝ってしまった父。
現役引退後、介護に追われ結局、自由な時間を得られなかった父。
自由な時間は得られたが、一人になってしまった母。
人生うまいこと行かず、ほんま腹立ちますわ。
最初の入院時に呼吸器を喉に付けることで多少の延命は
出来るようでしたが、父はそれを拒否しました。
喋れない、食べれない、そんなのなら、生きていても・・・。
それが父の回答でした。20代や30代の若い人ならわかりませんが
父の中で、ひとつの区切りとして、生かされることよりも生きることを
選んだんだと思います。
呼吸器を入れたとしても肺の機能自体の回復は望めないので
少し、長生きできるくらいならって事なんでしょう。
生前、父からは大切な事を学びました。
それは、学生の頃は気付きませんでしたが
仕事をするようになってから、非常に多くの事に気付き
父の教えがとても生きていく上で重要で大切だった事に
気付かされ感謝しております。
出来ることならもう1年ほど、健康な体で長生きして欲しかった。
娘たちの運動会を見てもらいたかった。
長々と駄文を書きましたが、まだまだ実感もわかず、
心の整理もつきません。父の第二の人生を振り返ると
疑問符ばかりです。
父からしてみれば「お前は何を言ってるんだ?」と
言われそうですが、そんなん言われても無理です。
葬儀屋さんに、泣くのは骨揚げまで、そのあとは
笑って生きてかんとお父ちゃん心配するで。と言われました。
前向きになることは難しいですね。
本当に長々とすいません。
こんなブログはへびめたさんらしくないですが
ライフワークとなってるネットの世界。
ここに書く事で、なにかが変わるかもしれません。
そんな気持ちで報告させていただきました。
普段、嫁や家族には恥ずかしくて口に出来ないとことも
一人でカタカタキーボードを叩いているときはかなり素直になれます。
クエ、うまかったっすよ。
スパークリング冷酒の澪はけいおん好きなら必然なのであるwww
こんな事ばっか書いてるほうが楽しいなぁ・・・・。
※葬儀に出席してくれたS君。
見るなりガン泣きしてごめんね。
あれは嬉し泣きなんすよ。正直、実家を離れて十数年。
子供の頃の友人が来てくれると思わんかったよ。
後、くっさん。弔電とかドッキリやめてください。
どんだけ俺を泣かすねん。
励ましの言葉をくれたクレイさん。
空気の読めないラインで笑わしてくれた後輩N君
ありがとう。
文中の呼吸器を付けて生きるくらいなら、とありますが
なにも、五体満足じゃないのならという生きていても、という意味ではございません。
生きる必要があるのなら、何が何でも生きなかければならないと
私も思います。父の場合は息子二人も独立し、自分の中での役目は果たせたのだと
理解し、死に場所、死に時期を選べたとこは、人にとってなかなかないことだと思います。
祖母のように認知となって「死にたい」と言いながらも死ぬことも叶わず
訳わからなくなって亡くなってしまうのは人として幸せかどうかわかりませんし。
気分を悪くされた方がおられましたら、すいません。
Posted at 2014/04/15 02:32:54 | |
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