東日本大震災から11日経ちました。
東北地方沿岸を襲った大津波の悲惨さが明るみになるとともに、防災へのあり方を考えされられる一面が露呈されました。
万全だったはずの防災対策も、諸外国が絶賛した免震・耐震を施された建物も、日本一の堤防さえも大津波には敵わなかった。
自然はいつでも人間の想定をはるかに超える脅威をもたらすという事を、まざまざと見せつけられました。
僕は日々伝えられるこの状況を目の当たりにして、一つの物語を思い出しました。
皆さんは
『稲むらの火』という物語をご存じでしょうか。
1854年(安政元年)の安政南海地震津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で起きた故事をもとにした物語です。
今泉八雲=ラフカディオ・ハーン氏(ギリシャ国籍から帰化)の原作で、後に
中村常蔵氏が翻訳・再構成して著作されました。
かつては国語の教科書にも掲載され、長く防災への意識を高めるための教材として活かされていました。
僕も小学生の頃、国語か道徳の授業でビデオ教材で見た事があり、以来今現在も記憶の中に色濃く残っています。
そこには防災への意識だけでなく、人物の行動から窺える道徳観念が描かれています。
全文は掲載できないのでリンクでご紹介。
紙芝居風「稲むらの火」
概要は以下の通り。
村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。
祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。
火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。
五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのだ。
この物語のエピローグで、村人を救った庄屋の五兵衛は蓄えてあった食料を分け与え、村の復興を支援・指導し、防災として堤防の建築に尽力したと伝えられています。
おおまかな本筋は、津波の脅威と注意喚起・五兵衛の偉業を称えるものですが、ここから学び取ることはたくさんあります。
五兵衛の行動=
地震後の津波への警戒と早期避難の重要性。人命救助のための犠牲的精神の発揮。
村人の行動=
津波への意識・知識の低さなど防災意識に対する啓発。俗説に囚われない行動のあり方。
復興に向けて全員の行動=
独立自主の精神、勤勉努力の習慣の大切さ。公徳心の教養。
難しく書けばこのような事ですが、いかに正しい予備知識を持って迅速に行動するか、自分だけではなく人のためにも行動することの美徳が掲げられています。
また、学ぶことだけではなく、この出来事を後世に語り継ぐための役わりも大きく兼ねています。
原作が英語訳だったため、この物語は海外でも教材(A Living God)として取り上げられ称賛されたそうです。
しかし、日本ではその当時の政治的背景もあり、いつしか教科書の掲載が止められました。
教科書から掲載されなくなった後、津波に対する防災意識が希薄になったと危惧され続けてきました。
その一つに、「稲むらの火」に関する逸話があります。
“2005年1月、インド洋大津波をうけてジャカルタで開催された東南アジア諸国連合緊急首脳会議でシンガポールのリー・シェンロン首相が当時の小泉純一郎総理大臣に「日本では小学校教科書に『稲むらの火』という話があって、子供の時から津波対策を教えているというが、事実か?」と尋ねた。しかし、小泉は戦後世代なのでこの話を知らなかった。東京の文部科学省に照会したが、誰も知らなかったということである”
東日本大震災をはじめ、どの震災も風化させてはならない出来事だけれども、これから何十年と月日を重ねればやがて人々の記憶から薄れていってしまいます。
悲惨さは長く記憶には留められないかもしれないけれど、物語を通じてなら教訓として活かせられるともに常に記憶の片隅にでも置いていられる思うのです。
もしかしたら来るであろう次の災害に備えるためにも、誰しもの心に留めておいてほしくてブログで紹介する事にしました。
最近の吉報で、今年度の新学期から再び教科書への掲載が決定したそうで、とても喜ばしいことです。
先人達が築いた教訓と道徳心が普及し受け継がれることは素晴らしい。
「もう少し早く掲載されていれば…」という後悔の念は尽きませんが、これからまた多くの子供たちに学び、考え、行動し、伝えていってもらいたい、そうであって欲しいと切に願います…。
長々と書いて参りましたが、東日本大震災に関するブログはこれで最後にしようと決めました。
連日のように報道されている現実にただただ虚しさだけが募っていきました。
でもそんな現実の中にあって、自分はやはり変らない日常をおくっている。
友人とバカを言い、仕事に辟易し、帰れば温かいご飯が食べられる。
そしてテレビをつけた時だけ「可哀想だ」「何か力になれないか」と思う…。
果たしてそれでいいものだろうか?と考えるようになりました。
みんカラでもそうです。
自分で書いたブログにしても、率直な意見を書いているはずなのに、どこか美化しようとしているもう一人の自分がいる。
一方の記事で「そうだ、そうだ!」と賛同し、また一方の記事で「こういう考え方もあるのか」思い返す事の繰り返し。いかに自分の意識のあやふやな事か。
周りに渦巻いていた熱にほだされて便乗し、「正しい思いで持論している」と自己陶酔しているのではと気付いたのです。
これら全てが過ちとは思いません。
関心を持って意見を述べ、他の意見を聞き入れることは大切なことです。
しかし、ブログで書き示すことで、どこか独善的で偽善めいたものになってしまい、どうしても関心事は批判しやすいマイナス面に向いてしまいがちです。
批判ばかりでは本当の正しさも見失い、他の意見にも否定的になってしまう危うさがあると思い直しました。
ただ単純に、復興を願う本当の気持ちに飾りを付けないためにも、見栄を張らず 人から評価されなくても見えない所で自分ができる限りの行動をしてみようと思います。
何がそうさせたかというと…相方の一言が一番効きましたね。
「せっかくの気持ちも偽善者に見えて台無しになるからやめて欲しい」と。
理路整然と思い込んで書いている様がとても嫌で、批判されまいか心配だったそうです(汗)
自分自身では気付かないものですね。つくづく良い相方に恵まれたものです。
あと、これだけ騒いでおいて、次には何食わぬ顔で普通のブログをUPするには虫が良すぎるかな…と。
ここで意思表示して、改めて少しずつ普段通りに戻していきたいと思います。
そういうわけですので、みん友さんの震災に関する物事の批評のブログにはいくらかコメントを控えるかもしれません。申し訳ありませんが何とぞご容赦下さい。
他の方のブログにも足跡はつけますが、コメントをしないだけで批判的ではないとご理解頂ければ幸いです。
次回から普段の日常を伝えるブログに戻ります。
内容の薄~いブログも多々あがるかと(汗)
また今後ともお付き合い下さいますようお願い申し上げます (*^v^*)