
津波てんでんこを世に広めた津波研究家の山下文男さんが亡くなったとの報道がありました。
てんでんことは、津波があったら、てんでんばらばらに走って逃げるようにとのことで、津波被害に苦しんできた三陸地方の言い伝えです。
親子や友人など関係なく、自分の判断で高いところに逃げることを意味するので、一見冷たいように感じるかもしれません。
しかし、家族や集落が全滅することを防ぐためには、仕方がない事とも言われ、東日本大震災では、てんでんこの言い伝えのおかげで、数千人の命が助かったと言われています。
これは、震災だけでなく、通常の社会にもあてはまることかもしれません。
次第送り(?)という言葉があるように、次世代に引き継いでいくことがたくさんあります。
姨捨山という話を、みなさん小学校で学ばれたのではないでしょうか。
これはよく、悪い話や悲しい話として語られることが多いですが
次世代が生きていくために、口減らしの意味も含め、自らが山に行くという考えもあると聞きます。
これは、高齢者は死ななければならないという意味ではなく、
高齢者が自らの意思で生き方を示していることだと思います。
もちろん、自ら行かない人もいると思います。
しかし、世の中で唯一確実なことは、人は死ぬことです。
漫書家の黒田クロ先生の名言で「死に方が決まれば生き方が決まる」という言葉があります。
自ら山に行った方々は、死に方を決め、生き方が決まっていたから行動したように思います。
この話を今の時代の自分に置き換えた時、引き際をいつにすべきか想像がつきません。
きっと、死に方が決まっていないからでしょうね。
元気な人はよく「自分は誰にも迷惑をかけずに、亡くなりたい」と言われることがあります。
私自身、福祉職として要援護者と言われる方々を支援する際、たくさんの力をもらいます。
支援することで、その方の人生に触れることができます。それは我々に生きていくことの意味を教えてくれます。
おそらく、その方々は、死に方を決めているからこそ、伝わってくるものがあるのだと思います。
要援護者の方々の多くは、その状態になられたことで、死への覚悟を決めているのかもしれません。
逆に、誰にも迷惑をかけずに生きている人はいません。いるとすれば、大きな勘違いです。
あなたは、死に方、きめていますか?
てんでんこは難しい・・・
今回の震災で助けを求められ、断れずに救助に向い、結果亡くなった方もいるそうです。
「助けて」と言われれば断れないのも、また人間です。これも間違いではありません。
しかし、唯一異論がないこととすれば、この言い伝えが我々に生きることについて考える機会を与えてくれたことです。こういう議論は、平常時から、なされなければなりません。
山下文男さんのご冥福をお祈りします。
参考 毎日新聞7月3日付朝刊 神戸新聞社12月14日付朝刊
写真はマツダの人形です。なかなかレアでしょう!
Posted at 2011/12/14 19:27:57 | |
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