
自分の中でひとつの大きな時代が終わりを告げようとしています。平成もありますがHKT48という時代です。今置かれている状況の中で批難されるのかもしれないですが本当の事はわかりませんが自分が見てきた約8年間を踏まえて思うのはこのグループは違う。そう思いたい。自分のメンバーの卒業について記すのは二人目ですが多分自分のブログでは最長になるんじゃないかなと思います。AKBグループを支えて来た5期の異端児が旅立ちます。初代総監督の高橋みなみとは正反対の人ですがたかみなイズム継承している娘だと思っています。多分色々な意味で超える事の出来ない壁を作ってきたあなたとの思い出と感謝そして最後の思いです。一般の方には分からない事ばかりかもしれないですが少しだけでも共感してもらえたらと思い記します。
初めて指原莉乃という人を見たのはAKB48が出ていたTVでした。見た感想は何?この不細工。口も悪いしでも初めての総選挙では27位地味に人気あるんだってのが最初の感想です。後に4度の総選挙一位と史上初の三連覇最高得票24万票超えを達成するわけですが最初は気にとめてもいませんでした。ただ何か違った意味で気になっていたのが最初の印象でした。その後あの最大のニュースが世の中を駆け巡ります。そうです文春砲です。今思うと微妙ですがオールナイトニッポンでの秋元康、峯岸みなみ、そして指原莉乃での放送でした。そこで発表されたのは当時初めての姉妹グループHKT48に移籍!。その時正直な感想として自分も指原終わったなって思いました。半年か一年いて卒業するんだろなと思っていました。しかし夜が明けて疑問に思ったのはなぜHKT48なの?もしかしたら彼女なら新しい風を吹かせてくれるんじゃ無いかという何の根拠もない期待でした。その日から約8年間になるHKT48箱推し生活が始まりました。
移籍してまず思ったのはいつまでいるのだろうそれを考えると普段の生活の中でなぜか突然涙が出てくる事が推しでも無いのに何度もありました。日に日にメンバーに対して深くなっていくメンバー愛今居なくなったら今のメンバーで大丈夫なのか?どうなるんだろう。ネットニュースなどで彼女の名前を見つけるといつも凄く不安になりました。でもいつかはいなくなるんだというのは移籍した時からわかっていた事。今思うとそれだけ大きい存在だったんだと思う。彼女の考え、行動、発言どれを取っても存在が他の娘とは違った。
移籍当初は年齢差も有り中々馴染んで無いなと思いましたがデビュー直後に行われたグループコンサートで発表された劇場支配人という役職についてから敏腕プロデューサーぶりが発揮されました。コンサートでのセットリストを考えたりメディアへの発表や初の座長公演やドキュメンタリー映画での初監督正にプロデューサーへの階段を歩んでいきました。更にSTU48の兼任そしてイコールラブでのプロデュース。片手間の仕事であっても本人にとっては大きな経験になったと思います。またイコールラブでのミュージックビデオのダンスの振り付けにはHKT48メンバーを起用したり普通なら考えられない事を平気でやり遂げました。
そして指原莉乃と言えば総選挙というほど選挙で頂点を極めた人です。AKB48一期生二期生を超えて初めて一位になったのも彼女です。ある年の総選挙前の握手会では本人から今年は無理して下さいと依頼したそうです。一般の方にはこの行為については賛否両論あると思いますそしてこの言葉を言う重みもあります。自分の考えですがこのグループの選挙で勝つ為には一人一票のファン一万人よりも一人100票1000票入れられるファンが何人いるかが重要だと思う。かつて大島優子が票数は愛ですと言いました。それも確かにあります。しかしてっぺんをとる者達の投票というのはオタ同士意地の張り合いだと思っています。それを言えるのも彼女らしいし絆の深さを見せつけられました。決してお互いにメリットよりもデメリットの方が高いしあの期間の独特のファンとメンバーとの関係もシビアだし開票会場の雰囲気は観ている方もあの会場に行かないと味わえない。一位になった最初の頃はTVなどで見ない日は無い位でした。ああそろそろ卒業へのカウントダウンなのかなと思いはじめたのもその頃でした。でもまだいてくれる。いてほしい常にそう思っていました。そして博多から東京メインでの活動が多くなりそれをよく思わないファンもいました。そこから離れていくファンもいました。地元軽視と言われ叩かれた事もありました。その為かどうかはわかりませんが昨年グループでの活動は九州での活動が活発だった気がします。そしてメンバー、ファンが待ちに待った新劇場も7周年記念公演で自らの言葉で発表をして建設も2020年春の完成に向け動き出しています。しかし彼女はその完成を見ずに去っていきます。でもその背中にはここからは残されたメンバーにかかっています。世代交代も進み卒業というステップに進むメンバーも増えて来ている。
卒業発表の翌日ある新聞の見出しに眼を奪われました。その言葉とは"指原革命"正にAKBグループの在籍中に行って来た事は正に指原革命でした。彼女はAKB48加入前九州では有名なモーニング娘の女オタでした。その為当初から劇場よりもコンサートを大事だと考えていました。それは自分が慣れ親しんだアイドルフアン時代の事を考え何をやったら喜ばれるか分かっています。先ずは初めて行った九州ツアー地元大分でのオープニングを飾った曲は彼女が愛して止まなかったモーニング娘のザピース。多分他のグループだったら問題になっていたかもしれないけどある意味禁じ手とも言える選曲でした。グループ内で後にライブのHKT48と呼ばれるレールをひいたのもこのツアーだったかもしれない。毎回コンサートに行くと思うのが観客よりもメンバーの子たちが本当に楽しそうな顔をしている。これって大事だと思う。
当時会場内をトロッコで練り歩き事をやった事もグループ内では初めてだったかもしれないです。口々で言っていたのはコンサートはアリーナだけではなくスタンドから盛り上げるんだと常に言っていました。それこそが彼女が掲げていた現場第一主義です。自分もそのコンサートDVDに何度か映ったのは良い思い出になりました。その後もオープニングの曲は自らの曲では無く時には氣志團、欅坂46、AKB48だけでなく童謡まで幅広く今回のツアーオープニングは何?って期待で楽しませてくれました。ただそれが続くとマンネリになりますがそのタイミングでまた違う事を考えて来ます。本人だけで考えているわけでは無いでしょうが毎回現場では驚きとため息の連続でした。
人気メンバーだけが目立つコンサートではなく一人に一曲ずつセンターをやったり陽の当たらないメンバーに自らのソロコンサートでバックダンサーをさせたり他のグループでは出来ない経験をしている。その時も指原莉乃本人の衣装を作るよりもバックダンサーの娘の衣装を作ってとスタッフに話をしたそうです。本人も劇場では最後列からグループのてっぺんまで登り詰めた人間だからこそ気持ちがわかるのだと思います。ソロコンサートでハッと思った場面がありました。MCでの一場面で私指原莉乃はHKT48をと言い出した場面がありました。その時はまだまだ辞めませーんと言いましたが本当はあそこで発表したかったんじゃなかったのかなと思う。後日海外のファンの言葉では同じ言葉ではないということが、同じ国ではないということがたまには悲しいけど 私が努力すればいいんですから。近い国でよかったです。同じ時間を生きて幸せですと言葉はすぐには届かないかもしれないけど国は違ってもファンとして思いは同じなんだなと思う。
ひとつ忘れられないエピソードがあります。あるイベントに呼ばれてインタビューで地元の名産を聞かれ一人目の娘が答え、二人目の娘が同じ答え、三人目の娘もまた同じ答えイベントが終わりバスの中で指原本人は激怒しました。言葉はせっかく呼ばれてるんだから何故事前に調べたりしないの?。次は呼ばれなくなるよと叱ったそうです。外仕事は結果を出さないとダメと常に言っていた彼女らしい発言でした。メディアでは使われるコメントを出さないと駄目と言っていました。HKT48のみ二人での劇場支配人制でした。本当の支配人はあまり怒る方では無いので何かあるたびに叱ってくれました。その人がいなくなる。確かに最初からいたわけでは無いからスタートラインに戻っただけかもしれない。今5期生が加入して時間が経つのは早く結成8年を迎えます。
昨年の年越しの歌番組では多分彼女の意見があったと思われる人選とフォーメーションでした。CD選抜とは違ったダブルセンターだったのですがその一人は自分の推しの娘でした。結成当時は2番手でしたがセンターはもう見る事は出来ないだろうと思っていたので涙が出る位嬉しかった。本当にありがとうと言いたい。こういったところがメンバーやファンから慕われ愛されるところだと思う。
今年初めのNGT48事件の時もグループから初めての発言は彼女からでした。劇場支配人として一人のアイドルして自分の置かれている状況を素直に伝えました。その時のコメントもメディアに対して部分的に使用するのではなく全文使用して下さいと発言した後のメディアの使われ方まで考えている。でも世の中は彼女の発言に対して好意的な反応でした。昔の炎上上等アイドルとは思えない対応でした。でも思うことはもうちょっといて欲しい。出来ないのはわかっているのにそう思ってしまうメンバーの娘たちもそう思っているんじゃないかな。それが甘えだとしても。秋元康がHKT48結成時一期生に話した事があります。出来ることからやりなさい。HKT48は仲良くしなさい。その時は何言ってんだ当たり前だろと思いましたが今となっては当たり前じゃないんだなと思います。SNSなどでは加入時期関係なく、食事に行きましたとか一緒にレッスンとか旅行に行きましたなど良好な関係が報告がされたりする。実際他のグループではイジメ問題があった事がありました。仲が良いって当たり前じゃないんだなって思う。
やはり思った事はいてくれて良かったこの一言につきます。そしてHKT48を好きになって良かったそしてこれからも。オールナイトニッポンで後輩に残した言葉はごめんなさいとありがとうをすぐに言える人になって下さい。でも違うと思ったらなんでですかって話を聞いて自分が間違っていたら謝りなさいと諭すように話を後輩にしていました。彼女はやって良い事、言って良い事を事あるごとに言ってきました。自分の失敗を後輩にさせないとしていたのでしょう。また自身の卒業発表したコンサートでは長いものに巻かれるなと言い残しました。この言葉には今このグループの置かれている状況や深い意味を含んでいます。時には運営とメンバーの為と思い揉めた事もありました。でも彼女にしか言えない事も数多くありました。最後のシングルではセンターを務め今までにない感じの曲になり意志という意味深いタイトルになりました。本人からは秋元康にカッコいい感じの曲でお願いしますしますと依頼したそうです。MVも違って新鮮な感じがしました。
叶わない夢として辞める前に最後のツアーと彼女監督のドキュメンタリー映画がもう一度見たかった。ドキュメンタリーは辞めてからでも良いので外から見たHKT48を作って欲しいなというのが希望です。そしてオリジナルメンバーとして本当のHKT48第二章が始まります。思い返して見れば5期生とドラフト3期生が入り今や約60人の大所帯になりました。残された子達に何が出来るか楽しみでも有り不安でも有ります。ここ一年はHKT48、AKB48グループにとっても激動の一年でしたのでむしろ不安の方が大きい。でも新生HKT48に期待したい。過日博多の劇場での卒業公演ではHKT48チームHキャプテン松岡菜摘から卒業発表した時に発した言葉ありがとうとごめんなさいを言える人になってと言われた事を実践してくれました。SNSの発言に対して生誕祭で謝罪をしましたが自分も劇場でそれを目にしましたが彼女にはまだ言ってなかったんだなと思った。長いですが全文を掲載させて頂きます。
さっしーへ
伝えたい事がたくさんあります。長くなりますが聞いて下さい
右も左も分からない私達には贅沢過ぎる劇場。まだ、その恵まれた環境にも気付けていない頃
さっしーがHKT48に来てくれました
グループ立ち上げから、どう進んでいくのか、先がまったく見えなかった私達のもとに
今思うと救世主の様な存在が現れました
センターに誰が立つのか、誰が外仕事に選ばれるのか、みんなのそんなライバル心が
いつの間にか少し違う形に変化してしまって、学校の様に何から何までルールを作って
自分よりも人に厳しくなって、自ら少し息苦しい場所を作り出していた私達の中に入って来て
いい意味ですべてを壊して、明るい場所に連れ出してくれました
視野の広さ・違う視点からの柔軟な考え方、その大きな背中に出会えていなければ
今のHKTとはまったく色の違うグループになっていた気がします
先輩のいなかった私達HKTにとって、愛ちゃんと、そして、さっしーがいてくれた事は本当に心強かったです
色んな事を教えてくれる先輩であり、怒って、道を正してくれるお父さんとお母さんの様であり
寄り添ってくれるお姉ちゃんの様でもあって、さっしーが卒業する今、約8年経って
やっと、私達は本当の一期生になれる気がします
包み込んでくれていた大好きな存在がいなくなっても、自分達でしっかり立って
グループを支える事が出来る気がします
さっしーは覚えていないかもしれないけど、人と比べられて、常に順位がつく事に
悩んでいる間に周りがどんどん私を置いて進んで行っている気がして、ネガティブになっていた頃
尾崎さんと咲良とさっしーとご飯に行きました
その時、さっしーが何気なく言った“ポジティブになった方が自分が楽になる”
その言葉が、今の私を支え続けていてくれます
何にでも考え込んでしまっていた私が、楽しんで上手くいけばラッキー、ダメだったら次頑張ろうって
ポジティブに考える事を始めてから、心が軽くなりました
私はずっと後悔している事があります
さっしーを傷付けて、周りの人にも迷惑をかけた事。本当に本当にごめんなさい
ずっとずっと後悔していました
こんな私を見捨てずにいてくれて、本当にありがとうございます
総選挙で1位に返り咲いた時、私達を大事な宝物だと言ってくれました
私達にとって、さっしーこそが大事な大事な宝物です
あの時、HKT48に来てくれて、本当に感謝しています
私の人生に現れてくれて、ありがとうございます
また、みんなで人狼ゲームしましょうね
みくりんや村重の話をしながら、相変わらずだなぁってワイワイご飯を食べましょう
本当はすごくすごく寂しいです・・・
きっと、ここにいるみんなが夢であればいいのにって、そう思っています
でも、みんなで踏ん張って、前に進みます
いつか大好きなさっしーに褒めてもらえる様に新しいHKT48に風を吹かせられる様に見守っていて下さい
まだ、卒業コンサートは残っていますが、ご卒業おめでとうございます
幸せになって下さい
HKT48チームHキャプテン松岡菜摘
そして移籍時に自分があなたへ何の根拠もない期待は間違いではなかったのが今とても嬉しく思えました。また今も変わらない初めての一押しと出会えて楽しいオタ活が出来た事に感謝します。最後にあなたは最高の劇場支配人であり最高のアイドルでした。たかみなイズムが指原イズムとして形を変えて引き継がれHKT48の娘たちに受け継いで欲しい。博多の最後は見届けられませんがたかみなと同じ最後の横浜スタジアムは見届けられます。多分明日は号泣するだろうけど最後に最高の声援とミックスを打ってきたいと思います。そしてあなたが最後に何を発言し表現し残されたメンバーにどんな意志を伝えてくれるか非常に楽しみにしています。アイドルとしては破天荒なメンバーでしたがそんなあなたがそれでも好きだよ。HKT48第1章から第2章へと大きく時代が変わります。このグループをこれからも推して行きたい。そして指原莉乃って最高かよ。