
3月22日発売のデアゴスティーニの隔週刊『第ニ次世界大戦 傑作機コレクション』vol.4、中島 一式戦闘機 隼(キ43)(S=1/72)です。4号目にして遂に旧日本陸軍の機体がラインナップされましたね〜。今回は、海軍の零戦こと零式艦上戦闘機と何かと比較される、一式戦闘機「隼」です。しかもプロペラのブレードが2翅から3翅へと改修された2型の登場ですね!
一式戦闘機とは運用上での制式名称で、昭和16年が皇紀2601年にあたる事から、末尾の1を取り一式戦闘機となっています。(零戦は皇紀2600年に制式採用されているので零式艦上戦闘機となっています)その他、陸軍航空本部が付けた「隼」という愛称や、試作段階で付与される試作(製作)記号と呼ばれるものでは、キ43と呼称されます。
この一式戦闘機は機体とエンジン共に中島飛行機が設計したものであり、制式採用の昭和16年から終戦を迎える昭和20年まで1型、2型、3型といった具合に改良を施されながら生産されました。エンジンは空冷星型複列14気筒のハ25(970hp)、ハ115(1120hp)、ハ115-II(1230hp)がそれぞれの型式に採用されました。エンジンの型式名である「ハ◯◯」という呼び方は陸軍の試作(製作)記号によるもので、エンジンそのものは零戦に搭載された栄エンジンと同一です。ハ25が栄一ニ型に相当し、ハ115は栄ニ一型に相当します。武装に関しては、1型では⒎7mm機銃×2丁、2型以降でも12.7mm機銃×2丁と零戦の⒎7mm×2丁、20mm×2丁と比べてもかなり貧弱だったと言えますね。しかしながら、零戦同様に航続距離の長さや空戦性能の高さから、大戦の緒戦におけるマレー半島、パレンバン、ビルマなどの南方作戦では英国空軍のホーカー・ハリケーンなどを相手に快進撃とも言える戦果を挙げました。
2型へと改修される昭和18年頃には既に旧式化していましたが、後継機の三式戦や四式戦がエンジン不調などで稼働率が上がらない一方、操縦性能の高さや稼働率の高さなど信頼性の高い一式戦は終戦まで戦い続ける事になります。非力なエンジン、貧弱な武装による劣勢を持ち前の空戦性能とベテラン操縦士の技でカバーする事で、戦い方によっては最新鋭機を撃墜するなど、大戦末期まで活躍した戦闘機でした。大戦中、最も生産機数が多かった日本の飛行機は零戦(1万機弱)でしたが、その零戦に次いで生産機数が多かったのがこの一式戦闘機でした。その総生産機数は5751機にもなりました。
零戦と並べてみると、その機体の細さに驚かされますね。同じエンジンを搭載していて機体全体の大きさは大差ないにもかかわらず、一式戦の胴体部分の細さは同じクラスの軽戦闘機と思えない程ですね。一式戦の設計主務者、小山悌氏は一式戦以降のニ式単座戦「鍾馗」、四式戦「疾風」などの設計を手掛けました。
さらに近年では、惑星無人探査機「はやぶさ」や、「はやぶさ」がサンプルリターンを行った小惑星「イトカワ」の名前の由来も一式戦闘機やその設計者が関係している事がテレビなどでも紹介されていますね。「はやぶさ」はまさしく一式戦闘機の愛称である「隼」の事であり、小惑星「イトカワ」の由来は、一式戦闘機の空力設計担当だった糸川英夫氏によるものです。糸川氏は戦中から既にロケット技術の研究に取組んでおり、戦後は日本初の人工衛星「おおすみ」の開発などに関わるなど『日本のロケット開発の父』などと呼ばれた人物でした。
直接的ではないにせよ「隼」から現在の「はやぶさ」、「はやぶさII」へと歴史は脈々と繋がっているんだなぁ…と思いました。
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2016/04/29 17:39:28