被災地の皆様、また被災地以外でも様々な影響を受けている皆様、
1日も早く元の生活に向けて復旧しますよう、お祈り申し上げます。
そして甚大すぎる多くの犠牲者の方々に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
3月11日 午後2時46分
東北関東大震災(現在は名称が変更になり、東日本大震災)
あの震災からまる3週間が経過しましたが、月日がたつのがはやい気がします。
その一方で3月11日以前の事が、遠い昔のようにも感じます。
地震当日、自分は東京の九段下にいました。
震度5強に見舞われ、生れて初めて地震に恐怖を覚えました。
その後、刻一刻と東北地方の悲惨な状況を知る度に言葉を失いました。
東北地方ではないのですが、自分の実家は茨城の日立でして震度6強と津波の被害がありました。
被災地扱いではなかったので、報道等ではあまり報じられていませんでしたが
茨城北部の方もガソリン・食料・水不足などで限界に近づいていると感じたので
17日に救援物資を買い込み日立に向かいました。
(震災以降、食料品はその日の必要最低分だけ購入してましたが、この日ばかりは買いまくりました。
小心者の自分は店員さんの目線が痛いので、一つの店でカップ麺2個とペットボトル2本ずつとかを
30店舗ほどで繰り返しましたw)
常磐道から北関東自動車道(段差が酷かったw)に入り、茨城町東ICで降りると国道沿いに
ガス欠と思われる車が多数、放置され無法地帯のように感じたことを覚えています。
日立市内もそうでしたが東京に戻る際、原発の影響で避難されているせいか
いわきナンバーの車を多数見ました。高速のSAでは皆一様に疲労しきっている様子でした。
・・・彼等が一日でも早く復興に向けてスタートを切れることを願って止みません。
日立から東京に戻った際、違和感というか温度差を少なからず感じました。
東京では多少の混乱はあったにしろ、1週間程度で元に戻りつつあるように見えました。
そのせいか、比較的被害の小さかった茨城に数日間しか滞在してなかった自分ですら
東京がまるで別世界というか何事もなく時間が経過してるように感じました。
買占め騒動や、自分達の為にもかかわらず計画停電への不満、原発報道の度にマスクや水不足等
マスコミの過度な報道のせいで、東京に悪いイメージがついてしまっています。
(自分も原発関連ではJCO臨界事故当時、屋内退避エリアにいたので、その後の風評被害や
該当エリアでもないのに原発に不慣れな(?)東京のパニックには嫌気がしました。)
ただ東京に住んでる自分としては、都民の多くの方が平静を装いつつも自分たちにできる範囲で
募金や復興に積極的なことを知っています。
震災の被害状況は3週間経過した今も、未だ全容は掴めていませんし
原発もこれからどう収束していくのか予断を許しません。
ただ復興に向けては多くの年数と費用が発生することは間違いありません。
自分としては、復興に向けて国が資金・人的なエネルギーを過不足なく注入できるように
日本経済がこれ以上停滞させないように、仕事を通して頑張っていこうと思います。
それが今回の被災者にならなかった自分達の責務だと思っています。
もちろん出来る範囲で募金も継続的に続けて行こうと思います。
この間、勢いで5万円を募金したので現在大ピンチ(汗)
なお看護師の方が被災地に医療スタッフとして参加された
ブログがありました。
3月16日から23日まで被災地にて医療支援をされていたとのことですが
報道規制された映像では窺い知れない、想像を絶するほど悲惨な状況の中でも
被災された方々や亡くなってしまった方、そしてブログ主様の優しい気持ちを感じ取ることが出来ました。
ツイッターetcで取り上げられていますので、既にご存じの方もいるかと思いますが
出来るだけ多くの方に読んで頂ければ幸いです<(_ _)>
Posted at 2011/04/02 18:11:42 | |
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