2012年12月22日

私は仏教徒なので他神教のお祭りには参加しませんが、
昔からケーキだけはこの日に食べております、
暮れは基督教・正月は神道・葬儀は仏教と他国の人間には理解できない
精神構造となっている我が国です、
でも街はXマスであります。
Xマスとなんら関係ありませんが私の好きだったラジオ番組を紹介します
暮れは大工・なぜか第九を歌うのが暮れの慣わし
こんな第九もあります・仏陀も基督も皆同じと謳っています。
Posted at 2012/12/22 08:03:35 | |
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2012年12月13日
先回紹介したのはブルックランズ博物館でした
今回は私も行ったビューリーと。ヘリティジ博物館の紹介です。
Posted at 2012/12/13 06:16:00 | |
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2012年12月11日
私が今年6月に行ったブルックランズ自動車博物館
英国で最初に作られたバンク付きサーキットの跡地に作られ
自動車・バス・飛行機など様々な乗り物が展示されています
ココしか観えない貴重なモノもあります・そんな博物館を紹介します。
Posted at 2012/12/11 10:13:56 | |
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2012年12月09日
正式名称は"Coupe d'Aviation Maritime Jacques Schneider"(クプ・ダヴィアシオン・マリティム・ジャック・シュナイダー)。フランスの富豪、ジャック・シュナイダー(Jacques Schneider)は、世界の各都市を結ぶ航空機の主流は、広大な滑走路を使用せずとも湖水や河川から離発着できる水上機であると考え、航空技術の発達のため、水上機のスピードレースを主催した。
当時の航空機は機速を落とし離着陸距離を短縮するフラップなどの高揚力装置を持たず、高速機であるほど長距離の滑走路が必要であったため、陸上機では高速化に限界があった。一方、水上機は離着水に広大な水面が利用できたため制限があまりなく、空力的には不利な艇体またはフロートを持った水上機のほうが、むしろ高速化を追求できた。したがってシュナイダー・トロフィーは水上機限定のレースではあったが、ほぼ当時の航空機の「世界最速」を決定するレースでもあった。
優勝した国が次の大会を開催し、5年の間に3回優勝した時点でレースを終了し、トロフィーはその優勝国が永久に保有するとされた。レースは設定された水上の3点上空を通過周回するルールとされ、最初280km、後に350kmの三角形のコースの速度で競われた。
当初は先進航空技術国であったフランス、イギリス、イタリア間で争われ、その後、第一次世界大戦の特需で得た莫大な富を背景に技術力を着けたアメリカが参戦、またフランスは脱落した。初期のシュナイダー・トロフィーは、軍関係者の注目を集めていたものの、あくまで個々の飛行機メーカーの競争であった。しかし1923年のアメリカの参戦から、レースは次第に各国の威信を賭けたものへと様相を変えていく。
いくつかの大会では観客動員が20万人を超えるほど親しまれており、特に最後となった1931年の大会では、50万人もの観客が詰め掛けるほどの巨大イベントとなっていた。
現在トロフィーは、ロンドンのサイエンス・ミュージアム3階の航空機の間に展示されている。
Posted at 2012/12/09 16:35:41 | |
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2012年12月07日
世の中凄い人がいるものです、
自分で飛行機を自宅で作り空を飛ぶ
子供の頃見た夢を実行した小父さんの物語。
Posted at 2012/12/07 07:27:47 | |
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