
月曜日に落ち込んでいた理由・・・
年賀状で色々思い出してました。
2年前は、こんな今なんて想像出来なかった。
家には父がいて、ネルがいて、大叔父からの年賀状を楽しみにしていた。
大叔父(祖母の弟)は、京友禅の図案を描く絵師で、自分が生まれたころにはたしか宝づくしという物を描き、結果その着物が通産大臣賞を取っていた方でした。
(当時その着物は数千万したはずです)
末っ子だった母は大叔父に可愛がってもらっており、小学生時分から大叔父の事を聞かされておりました。
小学生の時にひいおばあちゃんに初めて会いに行ったときに大叔父に会ったのだけど、メチャクチャ優しくて驚いた事がありました。
おばあちゃんとは正反対な控えめな性格だけど、血の濃い姉弟で、境遇からも1番仲が良かったみたいです。
(ひいおばあちゃんは大叔父を生んだ後に再婚していて、2人は貰われた・・・時代ですね)
それから10年以上たち、一応芸術系を出た自分は、大叔父は憧れでした。
いつか弟子入りしたいと思ってました。
でも、大人になる間に大事な一人娘さんを癌で亡くされて、仕事は辞められたんですよね・・・
でも、大人になって会ってみたくて、手紙も出しました。
だって、家族宛に来る年賀状があまりに素敵過ぎる事に気が付いたから。
竹久夢二にも負けない位の、売っていそうなレベルの可愛いモダンな着物の女の子のイラストの年賀状・・・
大叔父がなくなった後に知ったのですが、年賀状は毎年数パターン書いていて、うちには姉と自分がいるから、可愛い絵を描いてくれていたんだそうです。
パソコン画ですが、けして高いソフトじゃない感じです。
でも、凄く可愛くて、ちゃんと毎年干支にちなんでいて、楽しみでした。
でも、再開して1年あまりで救急車で運ばれ、父と同じ病院に入り、父と4日違いで亡くなるなんて、残酷すぎます。
お見舞いに行っても、看病しても、自分を通してかよさんを見ていたのかな・・・?
入院後職を失ったから、毎日お見舞いに行っていたのだけど、日に日に弱っていくのを見るのは悲しかった。
生きる覇気が無いのは、祖母と父と比べても辛かった。
自分じゃかよさんや母の代わりにはならないけど、もっと頑張って欲しかった。
残されたおばちゃんはどうするんよとか、血の遠い自分がもどかしかった。
父の葬式があって、お見舞いに行こうとしていた矢先に亡くなるのはやめてよ、おじちゃん・・・
風刺漫画家の弟に会わせてくれる約束じゃなかったの?!
その頃祖母が余命10日(でも誤診だって、今も寝たきりですが元気です)と言われていて、一気に不幸が来た感じでした。
もしかして大叔父、これを家族の顔から読み取っていたのかもしれないですが・・・
そこから10ヶ月近く、叶わない祈りも辛い現実も通過し、現実感が無い事が多いです。
ぶっちゃけ年が変わった気がしない

これは去年もですが
年末も、横にあった黒い服がネルだと思って触ろうとしてしまったくらいですし。
でも、たまに現実を思い知ると悲しくなります。
喪中なのに、宗教や選挙で頑張ろうとする同級生からの年賀状は来るのになー
また遊ぼうとか描いてあるけど、遊んだ事なんて無い人なのにな・・・(選挙の時に家に来た時にはびびった)
写真は2007年のネルです。
父のちゃんちゃんこの下にもぐって遊んでいました。
可愛い弟です。非常に優しい猫でした。
しかし、年賀状を思い出しただけでこんなに悲しいとは思って無かったです・・・
Posted at 2009/01/07 05:00:02 | |
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