
またまた久しぶりのブログ更新ですが、気づけば2013年も始まって早19日目。。。
そんな相変わらず呑気な状況でブログ書いていますが、前回のブログから車関係で変化があった事は、ウチの407SW、昨年の11月初めに3回目(7年目)の車検を無事終了しています。費用は、
前回(2回目)とほぼ同じで、税込の総額で14万円弱といったところでした。3回目も費用的には思っていたよりも抑えられた印象です。
そのウチの407、時々
ビックリするような故障(正確にはエラー)を起こして楽しませてくれますが、思ったよりも壊れませんよ。外も中も納車から7年経っている割にはキレイだと思っていますし(最近、この「何とかですし」って言い回しよくテレビとかで聞きません?特に、スポーツ選手のテレビのインタビューとかで)、「この車もう7年だよ」って説明したら、ほとんどの人が驚きます。社交辞令で。。。
あっ!そう言えば、私、3回目の車検を受けたのは今の407が初めてです!一つ前のXJチェロキーも3回目の車検前で乗り換えましたし(あ、まただ)、『これまであまり同じ車を長く乗っていなかったんだなぁ』と少しだけ省みてみたり。。。まぁ、私の周りにも3年(車検前)ごとに新車に買い換えている人もいたりしますけどね。
そんな中、先日会社で後輩から、「○○さん(私)の車、407なんですよね?」と声をかけられました。この後輩、最近の若者の車離れの時流に逆行している20代でして、乗っている車は確か一つ前の型のマジェスタ(しかも色は黒)で、19インチも履かせています。(“車好き”の方向は少し違いますが)
社用車で出かける際、この後輩に運転してもらっても、安心して横に乗っていられます。車に対するその人の考え方やスタンスは、たとえ社用車の運転であっても現れるものだと思っていますので。。。
で、その流れで久しぶりに社内での車談義となりまして、これまたよくある流れで「以前はどんな車に乗っていたんですか?」となった訳です。私の車歴の中で最も食付きが良かったのが、やはりGT-R(BNR32)でして、久しぶりにBNR32で無茶やってた頃の事を後輩に話しながら思い出しました。
我々車好きにとって、自分の過去の車に関する“武勇伝(?)”は、良い事も悪い事もいい思い出であり、それを興味深く聞いてもらえるという事は、何とも嬉しいものです。
私の乗っていたBNR32ですが、過去の愛車紹介で最初から載せてはいましたが、詳しく説明するのは初めてですよね?確か。。。
平成3年(1991年)式の後期型初期(ややこしいな)のタイプで、写真のとおり色はBNR32イメージカラーのガンメタ。今の407を買う時とは違い、最初から色はガンメタと決めていました。
愛車紹介にも書いたとおり、1年落ちの中古でしたが、鬼の5年ローンを払いながら、ちょこちょこパーツも交換しました。それこそ、食費も切り詰めつつ。。。
換えたパーツは順不同で以下のとおりです(今、憶えている範囲ですが)。
・ROM交換(当時付き合いのあった先輩の知り合いの方で、マインズのROMのプログラム開発を担当していた人がいまして、その人に格安でノーマルのROMと書換後のROMを交換してもらいました。確かに格段の違いで、最初に試しで付けてもらった試乗で、楽しくて楽しくて、先輩から「試乗が長い!」と怒られた記憶が。。。)
・柿本スポーツマフラー(型番忘れました。触媒もストレートに交換しましたので、新品の頃は、アクセルオフで後ろから火を吹いてました。太鼓のグラスウールが少し燃えてたみたい。。。車内にいても、その“音”には感動。。。RB26の音はこうでなければと思いました。)
※以上の二つの交換だけで、推定(正確には測っていませんので)360~380psだったようで。。。
・OS技研ツインプレートクラッチ(BNR32の弱点、クラッチですね。ROMとマフラーを換えて出力が上がった分、すぐにノーマルクラッチが悲鳴を上げました。でも、このクラッチ遊びがほとんどなく、交換後ショップの工場から出す時のバックでいきなりエンスト。ショップの人達からは「やっぱりねぇ~」と言われました。しかし、このクラッチが凄くて、交換直後はBNR32の車重が2~3割軽くなったのでは?という印象(錯覚)を持ったのを今でも憶えています。)
・ボルクレーシングGTP 2ピースタイプ(9J/17インチ)+YOKOHAMA M3(245-40-17) 当時(約20年前)は、17インチでも立派な“大径”でしたよね。当時この4本セットで確か40万くらいしたような。。。高っ!でも、M3のコントロール性の高さはピカイチ(死語?)でしたね。あまり減りませんでしたし。
・マインズ スプリングキット(確か、アイバッハのバネだったと思います。ノーマルの16インチから17インチに換えた事で、特にフロントのタイヤハウスの空きが気になって、ノーマルの足は好きだったので、当時通ってたショップの人のBNR32と同じ仕様にしてもらいました。その人の奨めもあり。)
・HKS パワーフロー(当時の通称キノコですね。吸気効率が格段に上がりましたが、パイピングの強化が不十分で、これまた交換直後に少しだけ負荷をかけての加速時に、2速から3速にシフトチェンジした際、エンジンルームの左前で「ポンッ!」という結構デカイ音が。その後全く過給しなくなり、アクセルがスカスカに。インタークーラーのイン側のパイプが見事に外れていました。。。)
・レカロ SR(詳しいモデル名は忘れましたが、中が赤で周りがグレーのツートンのタイプで、4点式のベルトで体を固定すると、オートポリスでの走行会でも体がブレず、安心して運転できました。左右の“おにぎり”を回すと、リクライニングもしましたし、サイドのレバーで前にも倒せましたので、2ドアのBNR32では便利でした。)
と、主要な部分はこういったところだったと思います。その他にも、ブレーキ関係なども含めてこまごまと交換していました。また、ここには書けない“武勇伝(?)”もあったりしますが、結局約2年乗って、ローンが残らない金額で売る事ができたのには、自分自身でも当時のBNR32の人気の高さに驚きました。
以上、ふとBNR32を思い出す機会がありましたので、まとめてみました。
また乗りたいなぁ~。無理か。。。
Posted at 2013/01/19 12:43:07 | |
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