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のんびりドライバーのブログ一覧

2013年01月17日 イイね!

大島渚監督、安らかに

2013/1/15 映画監督大島渚氏の訃報にショックを受けた。

まだまだ映画を撮り続けるだろうと思っていた。

体調を崩していたことも知らなかった。


1999年 「御法度」が遺作だそうだ。


本日、改めて「御法度」を鑑賞。3回目くらいかな。かなり解読が難しい。
いろんな人の感想を読ませていただき、それを参考に私個人の解釈を述べることにする。

解釈は人それぞれなので、自分の考えを押しつけるつもりは毛頭無い。
こんな風に考える人もいるのさ。

ネタバレ満載だから、読む人はそのつもりで。

















では、テーマから。

この作品のテーマは、「粛清」
同じ「しゅくせい」でも、「粛正」とは違うよ。似てるけど。

「厳しく取り締まって、不純・不正なものを除き、整え清めること。」

特に、解釈は賛否あるだろうが「不純な」がこの作品に合うかな。




前振り

性同一性障害を持つ主人公が、自我に目覚め、それ故に,淘汰されてしまう話です。
現代なら,カミングアウトできても、幕末ではこうなっていくのでしょう。





私的解釈によるストーリー(割愛箇所あり)

主人公加納惣三郎は、若く美しく腕の立つ剣士。彼が、新撰組に入隊するところから話は始まる。
(たぶん、何不自由ない裕福な生活をしていた彼が家を出て、男社会(しかも豪傑揃い)の新撰組に入ったのは、自分の性に目覚めたからであろう。)

同期入隊の田代彪蔵は、惣三郎の美貌に心を奪われ、積極的にアプローチ。
しかしながら、惣三郎は、その世界をまだ知らず拒み続ける。

その関係にうすうす気づいた土方歳三は、女を知ることで衆道(男色)から遠ざけようともくろむが失敗に終わる。

新撰組の湯沢藤次郎によって、惣三郎は衆道の道に引き込まれる。湯沢は、田代を斬ってでも、惣三郎を自分のものにすると心の内をぶつけるが、何者かに斬られ命を落とす。

湯沢の亡骸のそばに落ちていた小柄から、田代が容疑者として浮かび上がる。

隊長近藤勇は、これ以上新撰組の規律が乱れることを防ぐために、惣三郎に田代を始末させるよう、土方歳三と沖田総司に命じる。

土方と沖田が物陰で見張るところに、惣三郎と田代がやってくる。

*二人の対決は、ここでは記さない。(私のオリジナルの解釈だから)

惣三郎と田代は粛清され、この映画は終わる。




惣三郎と田代の対決

多くの鑑賞者はたぶんこんな風に思っている。つばぜり合いでの惣三郎のつぶやきに動揺した田代は、そのスキをつかれて惣三郎に斬られたと。

私は,こう考える。

惣三郎は、田代を斬ってはいない。惣三郎のつぶやきは、「斬られた振りをしてくれ。」であったはずだ。

なぜ、そう思うか。

ラストで、沖田が、土方を残し、対決の場所に戻る。その後、霧の中から男の絶命する叫びが聞こえてくる。それは、惣三郎のものではない。田代の声に聞こえる。

惣三郎が本当に愛していたのは田代だ。他藩の剣士と斬り合いで頭を割られ、瀕死で運ばれていく惣三郎は、すがりついて自分の名を呼ぶ田代の愛に気づき、心を許したのだろう。でなければ、あのエピソード(他藩の隠れ家に切り込みに行く)も瀕死で運ばれる場面も必要ない。

二人は新撰組を抜けて逃げようとしたのではないか?

沖田が斬ったのは、田代。

惣三郎を斬った(斬る)のは、土方である。桜の木は、惣三郎の象徴。




謎の解釈

ならば、誰が湯沢を斬ったのか?

沖田ならあり得る。


この物語には、性同一性障害と思われる人物は,もう一人いる。

それが、沖田総司だ。

惣三郎の対役である。

共に、美形。腕は立つ。新入りとお局

お局が、自分を脅かす新入りにやきもきして、亡き者にしようとするのは世の習い。

沖田の性同一性障害をほのめかすシーンも出てくる。

土方に対して、必要以上に素足を出す。股ぐらを広げる。意味のわからない微笑を見せる。うきうきするような振る舞いや意味深な言葉の投げかけ(雨月物語の解釈など)を試す。

沖田は、湯沢を斬り田代の小柄を残すという罠を仕掛け、惣三郎が新撰組にいられないように仕組んだのだ。誰が、沖田を疑うだろうか。完全犯罪である。

テーマの粛清は、集団の規律を破った粛清は表向きで、裏にはライバルを亡き者にする粛清が隠れているのである。







男の同性愛は恐ろしいと言うが、本当はどうなんだろ。

はるな愛さんなら、わかるだろうか?















Posted at 2013/01/17 01:05:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2013年01月15日 イイね!

評判良くないけど

いや、いや、いや・・・・・、ブログを読んでくれた方が意外に多くて光栄です。(内容にがっかりした方がいたら、ごめん。)

今回は、DVDの感想。

「ブレイクアウト」

原題の「trespass(不法侵入)」より、邦題の方がふさわしいと思う。

ほとんど、ストーリーには触れないで、吹き散らかします。


自分としては、見終わって、掘り出しもんだったと満足してたけど、ネットでの評価はそうでもなかった。ちょっとがっかり。でも、自分がよけりゃ、他人の評価は関係ないさ。


まず、ニコラス。
好き嫌いがないというか、この人、出演する映画を選ばないのだろうか?
あの顔では肉体派には見えないのに、アクション映画に出たりする。
最近では、「キック・アス」に出てたな。評判は良かったが、なんであんたが出てるのって思った。
まあいい。
今回のは、ミスキャストだったとは言わない。ダイヤモンドのディーラーだから。
宝石を奪いに来た犯人との駆け引きで手持ちのカードを使い果たした後、自分の命で家族を救おうとしたところは画面に引き込まれたぞ。
緊迫した演技が良かった。うまくなったな、ニコラス。

次、ニコール。
気のないふりして、ババンバン・バンバンババババ、ババババン・・・・。
画像と映像がこんなに違うなんて。
画像で見たなら、変な顔。映像になると、心臓がドクッ・ドクッと速くなる。
表情の変化がそそるのか、目力で魅了されるのか。
清楚な奥様かと見せかけておいて、なかなかやるな。序盤の逃亡で階段から飛び降りたところ、ただの奥様じゃないと感づいた。
泣き顔の裏で犯人のスキを狙う狡猾な女猫と最後まで愛する人を守ろうとする母親の役を矛盾無く演じきった。この女優、凄い。

最後に、ジョエル。
この映画を見て、彼の経歴を調べてみた。
えっ、もう70を越えているの。
えっ、私のお気に入りの一つ「フラットライナーズ」の監督だったの。
ご高齢にして、この編集。まだまだいけますね。次回作楽しみです。

全般的に言うと、小さな肩すかしが、たくさんあっていい。
映画をたくさん見ていると、ストーリーの定石が自然に頭に入ってしまう。
だから、このシチュエーションでは、次はこうなるだろうってわかっちゃう。
しかし、これを何度も裏切ってくれるんだ、この映画は。
それだけで,次どうなるんだろうってわくわくする。
だから、ハッピーエンドなんだか、落ちがあるのか、最後までわからないのさ。偉いぞ、ジョエル。

テーマは、○○なんだろうけど、つまらなくなるから書かない。
「96時間」より、私の中では評価は上さ。






Posted at 2013/01/15 13:04:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 音楽/映画/テレビ
2010年06月26日 イイね!

因果応報、人の世の常なり

「アウトレイジ」を観てきた。

仕事が終わって、車を飛ばす。上映館が遠すぎるよ。高速使って2時間半もかかった。
さらに、上映開始時刻が21時。帰宅できないじゃん。
しょうがないと、宿を予約。これで、深夜運転を気にせず、映画を楽しめる。

これほどの出費をかけて鑑賞した結果は、

「まあ、いっか。」

てな感じ。

なんで、この映画を作ったのかな?
思い当たったのが、原点回帰。

北野武監督が、漫才コンビ「ツービート」のビートたけしとして、世の中に認められたことは周知の通り。
「赤信号、みんなで渡ればこわくない」とか「おばあちゃん、いいかげんくたばってください」のような毒ガスギャグで若い世代に支持されてきた。
漫才というのは、世の中のことをおもしろおかしく表現して笑いをとるのが商売。
だから、彼は、「世の中って、こういうものさ。」という視点で、事象を切り取っていく。
そして、切り取った事象を漫才の手法で料理して客に出す。
だから、それぞれのカットに落ちがつく。
たとえば、相手やくざに発砲しようと構えていたら、後ろから来たやつにあっさり撃たれておだぶつとか、カモったと思っていい気になって取り立てに行ったら、はめられていたとか、たけしの漫才パターンがたたみかけるように炸裂する。

インタビューで、早撮りについて尋ねられ、「自分は漫才出身だから、リハーサルはしない。」ということを言っていた。この映画は、漫才作りを下地に作られたようだ。
役者は、漫才の呼吸だから、間を取れない。台詞回しは間をとることで、観客に台詞の意味を再確認させるのだが、つぎつぎと含みのない言葉を連発していく。きっと演じていて、つまらなかったと思うな。
実際、ツービートのマシンガントークのごとく、映画のテンポの速いこと。観客は、深く考える必要なく映画のテンポに乗せられてエンドロールまで運ばれていく。

私にとっては、「キッズリターン」や「HANABI」「アキレスと亀」のような作品が好きだから、物足りないのだが、監督は実験してみたかったのだと解釈した。そう、手応えを感じていた「アキレスと亀」がこけた二の舞を踏まぬように。

監督を深く理解しテーマを忠実に表現してくれる北野組の役者を外し、監督のイメージをくどくど説明しなくても十分観客をスクリーンに釘付けにできるベテラン・実力のある俳優を起用したのは、漫才型の映画がどのくらい通用するか試すためとある程度の集客を確保するための戦術だろう。この映画が当たったら、北野組のベストメンバーで、彼の集大成とも言える映画に挑戦するかもしれない。勝手な思い込みなのだが、黒澤明監督が、自分の集大成「乱」を作る前に「影武者」を撮ったのとダブルのだ。

題名とエンドロールから気づいたが、この作品は海外向けの作品である。配給が、ワーナーブラザースだから横やりがあったのかもしれないが、明らかに外国人が読むことを意識してスタッフロールを日本語・英語の二本立てにしたのだ。「ドールズ」や「座頭市」では、浄瑠璃や古典一人芸をスクリーンに登場させて、外国人の日本芸能文化への反応を試してきた北野監督。今回は、漫才の呼吸が外国人に受け入れられるかをテストするつもりらしい。



内容に触れることにする。
この映画は、やくざ映画であって、やくざ映画ではない。やくざ社会の抗争の形をしているが日常生活のよくあるできごとのコメディである。監督は言っている。「暴力とお笑いは、紙一重である。」と。だから、犠牲者がはまってしまう場面には、その間抜けぶりに思わず吹き出してしまうだろう。

テーマは、「因果応報」だな。自分の取った行動には、遅かれ早かれ必ず結果が訪れる。印象的なのは、侮辱に対しては、死がその報いになっているところ。見終わった後、こいつが殺されたわけは、あの侮辱した振る舞いだなと納得できる。愛人が殺されるのは、巻き添えだから、かわいそうだけど。確かに、私達の日常は、因果応報の繰り返し。ちょっと挨拶をしなかったことで、冷たくされることなんて珍しくない。ひどい時には、不用意な一言で、職場にいられなくなるようなことにまで発展しちゃう。

集団劇なので、因果関係が絡み合っている。そこを整理できないと、この人誰?何で殺されるの?ってなことになるかも。

この映画を楽しむには、出演者に知っている人を当てはめるといい。あの人は、このタイプだな。嫌なやつだけど、こんなやつがのし上がるんだなとか、義理に厚いやつだけど、だから貧乏くじを引くんだろうなあなんてね。

あとは、海外の評価ですね。農耕民族は、村社会だから、この因果応報の仕組みを感覚的に理解できると思うんだけど、他人に無関心、嫌いな人とはつきあわなければいいという欧米の人たちは、侮辱されたことを根に持って復讐する感覚がわかるかなあ。分かるなら、他人の国に行って、土足で踏み荒らしたり、正義の名の下に侵略したら将来どんな報復があるか分かりそうなものだけど。勝ち組・負け組、金持ちと貧乏人の二層化が進んでいる現代。いろんな国の人に、因果応報という視点で、この映画を観てもらいたいですね。

役者さんは、ネットで読むほど凄みのある演技はしていませんでしたよ。「ミンボウの女」に出ていた伊東四朗さんの方がずっとこわかったです。最高にこわかったのは、「ブラックレイン」の松田優作さんでしたね。最初から最後まで、彼が出ているシーンは息が詰まりそうでした。






Posted at 2010/06/26 13:21:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2010年05月29日 イイね!

主題こそ、作品の命。

許しませんよ、わたしは!

小説にしても、絵画にしても、音楽にしても、もちろん、映画にしても、作り手のメッセージがその作品の命なのです。

映画好きの私としては、作り手が伝えたいメッセージを、映像や台詞やストーリーから読み解くのが一番の楽しみで、自分なりの結論が出た瞬間、この映画を理解できたと満足します。

ですから、どんなに演技が良くても、映像に迫力があっても、ストーリーがおもしろくても、主題がダメなら、受け入れられません。どうせなら、全部ダメな方がその程度の映画なんだと納得できます。

そんな私を、深く深く、深海まで失望させてくれたのが「グリーンゾーン」。
スタッフや役者が真剣にやっているだけに、映像の完成度とストーリーの無意味さのギャップが腹立たしい。



この後は、ネタバレに継ぐ、ネタバレですから、

見る気が少しでもある人は、

決して読まないでください。

見終わって、少しでもおもしろかったと評価している人も、不快になるだけですから、読まないでください。

すでに見ていて、何らかの不満がある人はご覧下さい。


































































まず、何なのこのストーリー。

小説は、読んでいないけれど、映画の上ではくだらなすぎ。

イラクにおいて、開戦の口実となった大量破壊兵器を探す精鋭部隊。
探せども、探せども、見つからない破壊兵器。
それはなぜか?
調べ始めるマット・ディモン。
なぜか?
なぜか?
なぜか?
分かったぞ!
国防総省の官僚の一人が戦争を始めるために偽情報をねつ造したから。
ジャーナリストもそれを信じて報道していた。
マットは言う。
「本当のことを言わなくちゃダメだよ。」
チャンチャン。

こんなの子どもの世界じゃ日常茶飯事じゃ。
Aは、Bが嫌いである。
Aは、Cに言う。「Bがおまえの悪口を言っていたよ。」
Cは、問答無用にBをボコボコにやっつける。
最後に、Bが言っていないことが分かる。
Cは、Aに言う。
「本当のこと言わなくちゃダメだよ。」
チャンチャン

米軍は確かめもせずに相手を殴る子どもと同レベルだというのが主題なのか!!!
映画化する値無し。

映画化するなら、1官僚の責任にするんじゃなくて、
その流れを作った大統領とブレイン、軍の上層部、黒幕らを、観客の前にさらすのが本筋だろう。
そして、戦争を止められなかったのはなぜか、を観客に突きつけなくちゃ。

この映画は、NASAが総力結集して作った三輪車のようなものだ。大人が乗る必要なし。






Posted at 2010/05/29 19:33:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記
2010年04月18日 イイね!

評判、悪!

休日の午前中にランニング。午後から時間ができた。

と言うわけで、ゆとりの時間を映画鑑賞に。
(車に朝刊を積んでいて良かった!)

テレビのコマーシャルで興味を持っていた作品、

「シャッターアイランド」

を鑑賞。


今後見る予定の人は,読まないでね。






















ネタバレあり。




































精神を患った者がどのように周囲を見ているのかを、スコセッシはこう理解したんだな。

自分とほとんど変わらないところが大変興味深い。

患者は、環境や自分に関わる人々を自分の経験と知識で把握し、その場に応じた行動をとる。


しかし、経験が本物でなかったら、その人間は虚構の世界で生き、現実の世界では異常者と見なされる。

経験が本物でないとは、自分で創り出した脳内の経験のことである。

たいていの人間は現実の経験を記憶するが、トラウマを抱える患者は現実を受け入れることができず、想像の世界を現実として記憶してしまうのだ。

だから、頭の中には、二つの現実が存在する。

そのほとんどが、創り出された記憶だが、治療によって、現実がフラッシュバックする。

そのフラッシュバックは、睡眠時に現れる夢のようなものである。




健常者としては,現実を認識させたいが、現実は患者にとって絶えられない記憶である。

治療することが、患者の幸せになるとは限らないのだ。

絶えがたい現実から逃れられないことを悟った時、人間は死を選ぶこともある。


この映画は,どんでん返しで驚かせるミステリーではない。

私達も精神分裂症の患者も変わらないことを気づかせようとしているのかもしれない。


この映画の分析は、2回見ないと私には難しいな。








Posted at 2010/04/18 22:25:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画 | 日記

プロフィール

27年度のマラソン(豊平川10キロ棄権、洞爺湖10キロ棄権、千歳JAL10キロ完走、美瑛ヘルシークオーター完走、納沙布岬ハーフ予定、北海道マラソンファンラン予定...
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