2009年01月29日
中途半端は、性に合わない。
確信犯的に、冒頭でおちゃらけた主要人物が、後半、引き締まってくる傑作もないことはない。
でも、コメディなら一貫して馬鹿をやってほしいし、ホラーに笑いはいらない。
ハードボイルドなら、非情に徹してほしい。
そんな無念さを感じずにはいられないのが、
「ドッグ・バイト・ドッグ」
せっかく、ぞくぞくするような冷酷かつ苦痛な名バイオレンスシーンがあるにも関わらず、父親への甘い思慕や青春ものような恋描写のせいでハードボイルドの鉄則「弱みを見せたときが死ぬとき。孤独に生きるしかない。」が崩壊している・・・
・・・・と思っていたら、
(@_@)
意表を突かれたよ。
許す。すべて、許す。
どん底の生活をしていた男が、電話の使い方や車の運転を知っていたことも。
かかとに釘を刺したままで歩いていることも。
いい大人が、子供のように泣きじゃくることも。
ご都合主義で、簡単死んだり、しぶとく生きながらえたりすることも。
私は、このエンディングで全部チャラにする。
後になって、浅いようで深く、深いようで浅く考えられた因果応報に気づき、意味のないような死もエンディングに結びつく細い糸だったと感心した。
Posted at 2009/01/29 22:31:37 | |
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雑感 | 日記
2009年01月25日
先週は、体力的にくたびれた。
金曜は、病院でカウンセリング。苦手な上司とどう関わるかを考えた。
その後、旭川に繰り出し居酒屋をはしご。
翌土曜日は、スポーツクラブで体を動かしてから、足つぼマッサージへ。
本日、日曜日は、特に予定なし。
目覚ましも、ストーブのタイマーもOFFにしてあるので、時刻がわからないし、ストーブを止めるためにベッドから出る必要もなし。
トイレが我慢できなくなるまで、ベッドでぬくぬく。幸せだなあ。
トイレに行ったついでに、ストーブのスイッチを入れ、部屋を暖める。
10時に、朝食。
小鍋で、冷凍してあった雑穀ご飯を梅干しと一緒に煮込む。
どんぶりに移してから、鮭フレークをかけて、テレビを見ながら遅い朝食。
繰り返されるオバマさんの就任演説。
昼過ぎにまた一眠り。あー気持ちいい。
3時過ぎに、頭はすっきり。
さあ、何をしようか。以前なら、もっと寝ていたと思うけど、行動を始めようとするエネルギーがある。
久しぶりに、温泉に行ってみるか。
着替えと文庫本を持って、アウトバックへ。
日は西に傾いているが、まだ空は青い。立春前だが、春の空色だ。
小一時間で、目的地「中小屋温泉」に到着。
90年の歴史を持つひなびた一件宿だ。
受付で、500円を払い、浴室へ。
ここが好きなわけは、露天風呂がぬるいこと。長時間浸かっていられる。
露天風呂は、温室のように、ガラス戸で囲まれている。扉を開けば、外気が流れ込む。ガラス戸の向こうには、林が見えている。
浴槽の大きな石にもたれて目をつぶる。時間が過ぎるのを忘れて、ぼーっとする。
たまに入ってくるほかのお客の話に、地元の暮らしを想像する。どこも若い者の働き口に頭を悩まされているみたいだ。
さらに、お客が来たので、独占していた場所を譲って、内風呂へ。
内風呂は、露天風呂よりは温度が高い。ここでは、浸かりながら足を伸ばして難くなった筋肉をほぐす。
湯上がりは、畳の上でごろりとなりたいところだが、ここには広間がない。そこが残念。いつか宿泊して、部屋でごろりと横になりたいものである。
玄関横のベンチで、ノベライズ「相棒」を読んで、汗が引くのを待つ。
「相棒」は、3冊目だが、時間つぶしに重宝している。
とっぷり暮れた夜道を充実した気持ちで引き返す。
夕食で軽く飲むために、串カツと晩酌盛りを購入して帰宅。
コンビニで、コミック「酒のほそ道」を買った。サブテーマが、春の酒肴スペシャル。料理と同じで、季節を先取りをしているようだ。
晩飯が済み一息ついていたら、NHK「天地人」が始まった。個人的には、時代劇らしい重さに欠けているので好みではないが、ちまたでは評判がいいようだ。今後、「篤姫」のようにヒットするのだろうか?
「天地人」が終わったら、寝よう。
Posted at 2009/01/25 20:38:34 | |
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旅行 | 日記
2009年01月18日
たまに、「あなたなら、どうする?」と問いかけてくる映画に当たる。
「ゴーン・ベイビー・ゴーン」
も、その一つ。
監督・脚本 ベン・アフレック
主演 ケイシー・アフレック
共演 モーガン・フリーマン、エド・ハリスほか
幼女失踪事件を追う私立探偵が行き着いた真相は、・・・・。
ネタバレ無しに感想を書くのは、無理みたい。
未見の人と今後見る可能性のある人は、ご遠慮ください。
オープニングまもなく、「人を形作るのは、自分以外のものである。」と意味深な台詞が打ち込まれる。また、「この街で生きるのは、オオカミの群れの中にいる羊と一緒だ。」とも言っていた。
オオカミの群れの中に、子羊を見つけたらどうするか?
連れ出す。or そのままにする。
私に力があれば前者を選びたい。
では、オオカミの群れの中にいる羊が、オオカミが産んだ羊ならどうする?
そのままにしておけば、オオカミに食われるかもしれない。もしかすると、生き延びて羊からオオカミに変身するかもしれない。
もし私が前者を選び、羊の群れに、その子羊をゆだねたらどうなるのだろう?
大きくなって自分の正体を知ったとき、私に感謝するのか?それとも、なぜ余計なことをした!と恨むのか?
オオカミが産んだ羊ならば、手を出さぬべきだ。たとえ、群れに喰い殺されても。
子どもは、親を選ぶことができない。
子どもにとって、望ましくない親が存在するとき、周囲に何ができるか?
法の下で、あなたの親はこの人しかいませんと、その子の不幸を見ぬふりするか?
法を犯してでも、安全な場所に連れて行くか?
社会では、自分の行動に責任を持たなければならない。
原因を作れば、必ず結果が訪れる。
良心に従って、命を落とすこともある。
我欲のせいで、身を滅ぼすこともある。
原作名は『愛しき者はすべて去りゆく』だそうだ。
子羊と子羊を救おうとする者は、オオカミの社会で生きることはできない。
Posted at 2009/01/18 21:24:53 | |
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映画 | 日記
2009年01月17日
ふらりと、シネコンに寄ったら、先行上映をしていた。
予告編で、楽しみにしていた作品
「007 慰めの報酬」
カーチェイス、スタントアクション、ボートチェイス、徒手格闘、ボンドガール、派手な爆破、ガンファイト、ハイテク、スカイチェイス、海外ロケ、しゃれた会話、悪役との対決など、007のお約束はそのまま。
でも、そのシーンにかける力の入れ具合は相当なもの。
カメラワーク、美術、セット、仕掛け、スタント、カット編集など、それぞれのプロがその技術を尽くした気迫が画面からほとばしってくる。
アクションシーンばかりではなく、どのシーンも目を離せない。
1時間46分、ドキドキしっぱなしでした。
ただ、テーマについては、これまで通りかな。
復讐がストーリーの柱だから、やられたらやり返すってかんじ。
ボンド映画は、サーカスと同じで、ハラハラドキドキと美女を楽しむものだから、これでいいのだ。
007シリーズは、おきまりのシーンが詰まったおせち料理映画ですが、今回のは一流ホテルのシェフが腕によりをかけて作った豪華な一品でした。
Posted at 2009/01/17 22:16:06 | |
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映画 | 日記
2009年01月16日
公害問題と環境問題の違いを述べよといわれたことがある。
公害問題とは、水俣病や四日市ぜんそくのように、被害者と加害者がはっきりしている問題である。それに対して、環境問題とは、温暖化による異常気象のような被害者と加害者が区別できない問題だそうだ。区別できないというより、誰もが被害者であり、加害者でもあると言った方が納得できるかもしれない。
この映画を見て、環境問題と同じような環境悪が浸透しているように感じた。社会秩序の崩壊によって心理的外傷を負ってしまい、発作的に反社会的行動を起こす一般人が増えていないだろうか?
誰でも良かったと言った殺人犯、無差別に破壊を楽しむ放火魔などは、普通の人と同じような生活していた。現代社会では普通に暮らしている中で、心が蝕まれていくことがあるのだ。私は、そのような環境を「環境悪」と名付けた。
その環境悪を極めてわかりやすい状態にしたものが戦場である。戦場は、特殊な状態と言われそうだが、いつ不幸に襲われるかわからない心理的緊張に常にさらされている日本社会は戦場に似たものがあるのではないだろうか。
前置きが長くなったが、今回の映画は、
「告発のとき」
「クラッシュ」のポール・ハギス監督。
主演、トミー・リー・ジョーンス
共演、シャーリーズ・セロン、スーザン・サランドン
かつて軍警察に所属していた父親が、イラクから帰還した直後に失踪し、ばらばら死体となって発見された息子に何が起こったのかを突き止めるミステリー。
息子はなぜ殺されたのか?
金がらみではない。
恨みからでもない。
女も関係ない。
仕返しでもない。
ここからは、私の個人的な解釈。
テーマは、難しいな。
原題は、「In the Valley of Elah(エラの谷)」。
女刑事の息子に、名前の由来を教える場面で、語られる。
デイビッドという名前は、ダビデ王に由来しているそうだ。
ダビデ王が、子供のときに、戦士ゴリアテを倒した話は、有名なエピソードらしい。戦士ゴリアテは、無敵の巨人。エラの谷にやってきては、自分と戦う戦士を求めたが、誰も戦おうとしなかった。ただ一人ダビデは、「私が倒します。」とゴリアテに挑む。ダビデが放ったパチンコの石は頭部に命中し、ゴリアテはあっけなく倒れる。ダビデの勝因は、恐れに負けず狙いを外さなかったことだった。
エラの谷というのは、ダビデとゴリアテが戦った戦場。
この三つが何を象徴しているか?
エラの谷=イラク
ダビデ=アメリカ軍兵士
ゴリアテ=イラク国民
とは、考え難い。
この映画には、シンボリックな小道具が登場する。
それは、「アメリカ合衆国国旗」。
この映画で初めて知ったが、国旗を逆さまに掲揚すると特別な意味になると言う。
それは、緊急信号。「助けてくれ!」「もうだめだ。」と周囲に伝えるのだ。
オープニングで、移民にそのことを教え、正しく国旗を揚げさせた主人公は、エンディングで、揚げ方を変えてしまう。祖国を信頼し、大切な息子を祖国に捧げることをいとわなかった父親の意識を変えたものが重要である。
私は、
ゴリアテが「アメリカ合衆国社会」
ダビデが「アメリカ国民個人」
エラの谷が「アメリカ合衆国」
と考えた。
アメリカ合衆国の政策が、環境悪を生み育て、若者が心を蝕まれていく。この映画では、戦争が環境悪であったが、貧富の差や虐待・銃社会・薬物もその類である。強大な敵であるが、勇気を持って立ち向かうべきだと、ハギス監督は鼓舞しているように感じた。
環境悪の問題は、日本においても深刻である。
会社を維持するためには、弱いものを切り捨てる。法に触れても見ぬふりをする。誠実に生きるのがつらくなってくる。
自暴自棄になって、犯罪に走る者が増えてきた。
対策を立てられないどころか、自分自身を守ることすら厳しい。
シャーリーズ・セロンやスーザン・サランドンの役柄にも、ハギス監督はメッセージを込めていたと思う。このあたりを、考えるとまた大きな発見があるかもしれない。
Posted at 2009/01/16 22:23:49 | |
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映画 | 日記