2013年02月02日
毎日、毎日、仕事に明け暮れ、くたくただあ。
こんな状態じゃ、人生の価値なんて見いだせないぞ!
打破するんだ、俺は。
しかも、1分でやってみせる。
俺と同じで、背中に鉄板を入れているような同僚。
ため息をついて、椅子に沈んだ。
「ちょっと聞いた話なんだけど・・・・。」と、コーヒーを差し出す。
「ある男がやってきて、公園のベンチに腰掛けたんだ。
今の俺たちのような感じだったのだろうな。
ふと前を見ると、賢そうな犬が座っている。
男は思わず、同じベンチに座っていた少年に声をかけた。
『君の犬は、人に噛みつくかい。』
『僕の犬は、人に噛みついたりしないよ。』
男は安心して、犬の頭をなでた。癒されたかったのだろう。
バウ!
その犬は、男の手をがっぷりと噛んでいた。
男はびっくりして少年に言ったんだ。
『君は、噛まないって言ったじゃないか(>_<)』
少年は・・・・・
『だって、その犬、僕の犬じゃないもの。』
と、答えた。」
同僚は、口を半開きにして、さらに椅子に沈んでいった。
しかし、目は確かに笑っていた。
この一分間は、仕事を忘れて,楽しんでくれたに違いない。
そんな手応えが、自分の価値の証なのである。
今日した仕事なんて記憶に残ることはないが、
こんなバカがプレゼントした一分は、しばらく笑いの余韻を残すだろう。
私とて、あのまなざしと沈んだリアクションで旨い寝酒を楽しめる。
アメリカ人は、日常茶飯事、こんな会話をしているから、
仕事につぶされることなんて無いのだろうな。
このジョークは、NHK第二放送「ラジオ英会話」で紹介されていたものです。
同番組から、もう一つ。
「ある男が、後部座席にパンダを乗せて、街中を運転していた。
警察官がそれを見つけて、車を止めた。
『パンダを動物園に連れて行きなさい。』
『わかりました。』
と、男は答えて、発進した。
翌日、警察官は、同じ男がパンダを後部座席に乗せて運転しているのを見つけた。
警察官は、すぐに車を止めさせて、男に、
『昨日、パンダを動物園に連れて行くように言ったじゃないか。』
と、問い詰めた。男は、・・・・・・
『はい、それで、今日は図書館に連れて行きます。』
と答えた。」
ニヤリとしましたか?
Posted at 2013/02/02 13:03:04 | |
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雑感 | 日記
2013年01月28日
先日見たDVDは、「カエル少年失踪殺人事件」。
初めてこのタイトルを見た時は、一瞥して好きなジャンルじゃないなと判断した。
たまたま見ることになったのは、韓国のサスペンス映画がおもしろかったので、似た映画を探していたら、この作品が引っかかったと言うわけ。
結果としては、イメージしていたものとは異なり、良い意味で裏切られた。
まず、視界に入った文字は「カエル少年」。
「カエル少年」ってどんな少年なの?
頭に浮かんだのは、カエル風のモンスター。
「グエムル」みたいなモンスターパニックものか、ベロのような妖怪か?
カエル少年とは、「カエルを捕りにいった少年」のことであった。
つまり、カエルを捕りに行った少年が、神隠しにあったかのように失踪し、その後殺されていたことが判明した事件を扱った映画だ。
テーマは、「虚構」だと思う。
序盤で、大学教授が講義をするシーンがある。細部までは定かではないが、こんな感じの例をあげていた。ある宗教団体の教祖が、人類の滅亡の期日を予言した。信者はその日が訪れることを恐れた。しかし、その日には何も起こらず、人類の滅亡はなかった。信者はどうしたか?自分たちの祈りが通じたのだと喜んだ。教授はこう解説する。人は、一度信じたものは、事実をねじ曲げても信じ続けようとする。信者は、教祖の預言が外れたと認めないのである。
主人公は、番組の制作者だ。ドキュメンタリー番組で賞を獲得するが、その映像はやらせによって作られたものだった。視聴者が本物だと信じればいいと考えている。これも虚構と言えるだろう。
失踪した子の親も然り、子どもが見つかるならばという思いで、虚構の世界を作り上げる。
様々な切り口で、虚構について表現されている。
主人公・教授・子を失った親を、誰が責められるだろうか。
私達は,誰でも、程度に差はあれ、自分に都合のいい「事実」を人に差し出している。
ちなみに、この映画の原題は、「子ども達...」(韓国語)
英語表記では、「CHILDREN...」
これらも、映画の内容には合っていないと思うなあ。
Posted at 2013/01/28 21:00:37 | |
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映画 | 日記
2013年01月27日
北海道は、集中的に降る大雪に頭が痛い。
平年の雪ならば、2,3日おきに中程度の雪が降り、除雪したら、2,3日雪の降らない日が続く。
こんな風にサイクルが規則的だと、除雪は大きな負担にはならない。その都度、ほどほどに雪かきして、休憩できる。さらに、積み上げた雪は、自らの重さで圧縮されて雪山は自然に低くなっていく。だから、次の除雪では、低くなった雪山の上にまた積み上げれば雪捨て場にはそれほど困らない。
ところが、今年の天気は意地悪だった。降らない期間が長い分、一度に降る雪が半端ではない。都市部で一晩に50センチ降れば、一般的な住宅では、雪を積む場所を探さなければならない。積んで積んで雪山が高くなるほど、身体への負担は増加する。腰が辛くなる。肩が張ってくる。
雪を積む場所が無い家庭のなかには、融雪槽というものを設置して雪を始末している。玄関先にマンホールのような開閉式の穴を開け、そこに雪を落とし込むのだ。穴の中には、雪を溶かす仕組みががあり、穴が雪で一杯になることはない。解かす仕組みは、地下水型とヒーター型。地下水型は、穴の底に地下水を噴出させ雪を溶かす。ヒーター型は、放り込まれた雪をヒーターで溶かしてしまう。ここ最近は、灯油代が高騰し、融雪槽を持っているのに使わない家庭も増えているそうだ。
我が家と同じように融雪槽を持たない知人に雪の始末をどうしているか教えてもらった。
知人はなかなかのエコ上手である。いつも感心するアイディアを授けてくれる。
その1
雪をタッパのようなものにぎゅうぎゅう詰め込んで冷蔵庫の一番上の棚に置くそうだ。すると、昭和の初期の冷蔵庫のように上部から冷えた空気が降りてきて庫内を冷やしてくれる。このようにすると、メモリを弱に設定しても充分冷えるので、電気代を節約できるそうだ。
でも、焼け石に水じゃないとたしなめると、
その2
もちろんそれだけでは、雪は全然減らないから、外に出た時に、バケツに雪を詰めて来るそうだ。
その雪をどうするのかというと。洗い物をする時に、シンクに乗せて、洗い流す水がかかるようにする。当然、食器を洗う水は、温水だから、雪はどんどん溶けて流れていく。まさに、室内融雪槽である。
このアイデアをうまく使えば、風呂場や洗面所、トイレなどで、どんどん雪を溶かすことができる。
横着者には出来そうもないが、マメな人なら意外に大きな節約に結びつくかもしれない。
知人の発想に恐れ入った。
Posted at 2013/01/27 21:03:33 | |
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雑感 | 日記
2013年01月26日
崖っぷちの男(MAN ON A LEDGE)
予告を見て、借りることにしたDVD。
最後まで飽きずに楽しめる、いわゆるジェットコースタームービー。
映画の楽しみ方には、「突っ込み」がある。漫才のあれである。
映像やストーリーのあらを探し、発見してすっきりする。
リアルに作っている映画は、本当に起こった出来事で自分の身のまわりでも起こりそうな気がする。
反面、ダイハードのように、できるわけないだろと突っ込みたくなる映画は楽しい。
この映画も、序盤シリアスにスタートしておいて、徐々に「ぼけ」が見え隠れしてくる。
「せっかく食器の指紋を拭き取っても、素手で窓枠をつかんだら意味ないだろ」なんてね。
でも、そんな小ネタをしょぼく集めていても、終盤のワンシーンですべて粉砕される。
こんなのありえねえ!
小ネタはどうでも良くなった。
テーマは「絆」だが、これもどうでもいい。
頭を空っぽにしてサスペンスを楽しんで、終盤で大笑いすれば、料金以上の満足はありそうだ。
途中から、気になる人物が出てくるが、これは作り手のトリックなので、見事に引っかかって、ラストシーンでやられたと思うべし。
ちなみに、自分がこのDVDを借りることにした決定的な理由は、赤い下着であったが、そのようなシーンは0.1%しかないので、予告を見た方は過度な期待をしないように!
Posted at 2013/01/26 12:51:33 | |
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映画 | 日記
2013年01月18日
私が他人と関わりを持つ時、判断材料になるのは先入観。たぶん9割以上を占めていると思う。
表情とか、服装とか、しゃべり方、仕草なんかで、この人はこんな人だろうと勝手に思い込んで、好き嫌いを決めている。
第一印象ではその人の人格までは見通せやしないのだから、もしかすると良い関係になれる人を遠ざけ、利用するために近づいてきた人に親切にしているかもしれない。
その落とし穴について考えてみた。
まず、初対面のときの状況。
他人が困っている状況にあると、なぜかその人はいい人に見えてしまう。何とかして悪い状況から救いたくなる。
困難なことに一生懸命努力している姿を見ると、応援したくなる。
自分は絶対に間違っていないと突き進んでいる人には、引いてしまう。
自分のためにやるんだと言う人には、やってみればと傍観してしまう。
これらは、一面しか見ていない判断だ。
自分は間違っていないと断言していても、一人になった時、本当に正しいのだろうかと迷っているかもしれない。
悪い状況にいるのは、その人に非があって、改めないからそうなっているのかもしれない。
人の一部分しか知らないで、その人すべてをわかったような錯覚を「先入観」と言うのかもしれない。
詐欺なんて、先入観をうまく使った犯罪だ。
しかし、悪意を見破れれば、その人の人間性を理解することができるだろう。
でも,一般人とかけ離れた思考をする人の人間性は理解できるのだろうか。
えん罪という法律を執行する側の過ちがある。
状況証拠と自白によって、推理を事実とでっち上げ、犯罪者の烙印を押す。
よほど専門的な知識と不屈の意志、さらに、支援者がいなければ、いったんつけられた印象を白紙に戻すことはできない。日本でも、えん罪により人生を台無しにされた人はいる。
ある人物が、身に覚えのない容疑をかけられた。
見つかったのは、不利な状況証拠ばかり。
弁護士を頼んだ。
弁護士は、容疑を晴らす証拠を探し奔走する。
しかし、何者かが証拠を隠そうと暗躍しているようだ。
優秀な検事が選ばれた。
状況証拠を集め、裁判に臨む。
証人が,法廷で言う。
「彼は悪魔です。犯人に違いありません。」
しかし、証人は何も見ていない。
弁護士は、容疑者に疑念を持つ。
「本当のことを言え。」
容疑者は、訴える。
「あんたまでそういう目で見るのか。俺にはあんたしか頼れる人はいないのに。」
裁判は進む。
ついに容疑者は、
「みんながそう言うなら、そうなのかもしれない。自分はそうじゃないと思うが、償いをしたい。」
と自白する。
最終弁論
陪審員が、有罪・無罪を判定することになる。
検事
「彼以外には実行不可能だ。犯人は彼しかいない。」
弁護士
「証拠ならあります。見てください。」
裁判長・検事・陪審員・傍聴者の目が集中する。
証拠は無かった。
弁護士は続ける。
「見たと言うことは、皆さんが有罪と確信していないからだ。疑わしいだけでは、有罪にすることはできない。」
判決
容疑者は、「無罪」。
真犯人は・・・・・・
テーマ
「人は、先入観や一時の感情、自分の立場や利益によって相手を判断するゆえ、過ちを起こす。」
もうお気づきの方もいるかもしれないが、ある映画の紹介です。
「ある人物が、身に覚えのない容疑をかけられた。」のところから、ストーリーが始まっています。
犯罪の内容はわからないようにしましたが、この映画を見た人には「あれだ!」とわかってしまったかもしれませんね。
私は、自分の先入観で勝手に人物を判断してしまい、あらゆる可能性を考えることができなくなっていました。「やられた!」って思いましたよ。後味悪かったな。
見てみようと思った人は、先入観から、ミスリードされないように気をつけてね。
監督は確信犯だから。
この映画の題名は、・・・・・・・
2011年 韓国映画
ソン・ヨンソン 監督
ハ・ジョンウ、チャン・ヒョク、パク・ヒスン
「依頼人」
でした。
Posted at 2013/01/18 21:23:03 | |
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