2010年06月30日
人生は山登りに似ている。
急な坂道が続くかと思えば、延々と平らな道が続く事もある。
登っている筈なのに、時には下り坂にも出会う。
歳が上だからといっても、経験にも同じような差があるわけでもなく。
若いからと言って、初心者ということも無い。
山頂についてほっと一息つくのか、その後ろにあるさらに険しい山に再び挑むのか。
道半ばにして行倒れるか、あと少しのところで崖から谷底に転落してしまうのか。
それを知っているのは当人だけである。
山頂から蔑んで笑っている奴には笑わせておけばいい。
脚を引っ張る友がいるならば、登るペースをあわせればいい。
小さい山は一人でも登れるかもしれないが、大きい山は一人で登りきる事はできない。
出来ると思うのならば、やってみればいい。
その判断が出来るのは当人だけである。
ただし、知っておいて欲しいのは、山頂にたどり着く事がゴールと言うわけではないということ。
登る過程で迷子になるかもしれないし、実は別の山を経由しないと登れない山なのかもしれない。
その知識と経験は、身の回りに溢れているはずで、時間をかければ必ず準備は整う。
だから、もし途中まで登って迷子になっても諦めないで欲しい。
道を引き返すことと、諦める事はまったく別物だから。
道を引き返すことで、蔽っていた霧が晴れて、本当に登るはずだった山の道が見えてくるかもしれない。
掻い摘むとこんな感じですが・・・。
説教の時は、毎度毎度何時間もかけて、こんな話をされていました。
そして、重要なターンをする都度、その話を思い出していました。
ここ数ヶ月もずっとその話を思い出し考えに耽る毎日でした。
その当時は、チャレンジもトライ&エラーも履き違えていたのかもしれません。
だから、ボタンの掛違えなんていつでも起こるし、修正なんてのは無意味な事。
その方向性にこだわるしかないと思っていました。
弾道計算をする上で、着地地点を見据えて飛び立つ。それが、人生・・・と。
師匠と言いますか・・・。先生と言いますか・・・。教授と言いますか、大先輩と言いますか・・・。
その彼が数週間前に亡くなられていたそうです。
彼は、志願兵から始まり、商社マン、ディレクター、写真館館長、写真好きの痴呆老人として、一生を全うしたそうです。
どうして、最後に肩書きとして「写真好きの痴呆老人」と載せるか、それには理由があります。
写真館を閉める時に当人が言っていたからです。
「写真の味は、ピントがあっている部分とあっていない部分が混在して、各々を引き立てるところにある。」
「全てが主役の写真が存在しない様に、引き立て役がいない写真ほど淋しいものも無い。」
「人がボケるというのは、その一生の上で、最後に味を付け加えてるんだよ(笑)。」
葬式後に配布と言う事で、一枚のポストカードが我家にも届きました。
宛名以外に何も書いていないポストカード。
北海道では結構有名なあの「霧の摩周湖」を撮影したポストカードでした。
しかし、その写真は摩周湖なのか何なのかわかんないくらいガスった、まさに霧の摩周湖・・・。
変わっているところといえば、請求書のように一枚めくれるようになっているところ・・・。
それをめくると衝撃でした。
まったく同じアングルから撮影された、快晴の摩周湖。撮影日は2000年の9月。
そして、撮影日の下にタイトルが書かれていました。
「さぁ 今来た道 勇気を持って ひき帰せ」
これ程の贈り物があるでしょうか・・・。
10年も前に予測していたとは言いませんが、10年も前に己の風味について考えていたのかと言うと、こんな洒落た演出はこの世に存在しないと思いました。
そして、10年目にして、今年の9月。
ワタクシ、摩周湖に参ります・・・。感無量でございます・・・。
駄文ですが、この文章とともにご冥福を心よりお祈り申し上げます。
Posted at 2010/07/01 01:06:43 |
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