
地震で津波が起こり「壊滅」の文字がTVから流れ一時はどうなるものか!と思いましたが、色々ネットで情報を収集してまとめると
・建物は多くが破壊されているが人的被害は少なく避難生活も安定
・自衛隊も来ている
・ここへ行く道路が2つしかなく(道路も寸断されている)孤立している
ぷっちょんのぼにょぉーん 1日も早く元の生活ができることを祈って・・
---追記---
<地震後、6日目>
ネットで母と姉の生存確認の名簿を見つけました。
あとは父と兄と親戚と大勢の友人、知人・・・
2011/3/16 お昼12時
---追記---
<地震後、7日目>
3/16 ぐーぐるでお昼頃、母・姉にいる所を見つけ、
まだ、直に話はしていませんが、
母と姉はデイケアサービスの館内にいる模様です。
隣には病院もあって鮎川を一望できる高台です。
きっと津波が来て町が崩壊してくのを見てたかな・・
(地震時の状況)
地震時、母は家にいて
姉は自宅から自転車で5分の職場にいたそうです。
姉は防災無線で津波情報を聞き、急いで自宅に帰り母と合流。
(この直後、母にケータイすると今から逃げるところだと・・それだけを聞きすぐ切りました)
その後、ほとんど何も持たず、近所の方たちと一緒に高台へクルマで避難。
---追記---
<地震後7日目>
2011年03月17日 13:35 mixi情報
かーちんとねねぇはあったけーどごで
まんまとかちゃっこ飲んだりすてるっぺ
よながはしょうぼーがきゅうきゅうで光らせてくれっからっだいじょうぶだっぺよー
訳すと
(母と姉は暖房が効いて暖かくしていられる
おにぎりを食べたり、お茶を飲んだりできている
夜は消防署が非常電源で少し照らしてくれているとのことです。)
まだ、直に話はすていませんが・・
よーかったよ(@⌒ο⌒@)b
---追記---
<地震後、8日目>
いとこから連絡が入り
不明だった兄の安否確認ができました。
家の近くの小学校に避難していると思われます。
ありがとうございました。
3/18 pm8:00
---追記---
<地震後、9日目>
たった今、姉から電話がありました。
母も姉も元気だとのことです。
ご心配をおかけしました。
ありがとうございました。
2011/3/19 pm1:21
---追記---
<地震後、10日目>
姉からの電話。
ケータイを充電するのは1人30分。
今日は5分くらい話して切れちゃった!
町の様子を見ると復興なんて考えられないみたいです。
2011/3/20 .pm0:00
---追記---
<地震後、11日目>
やっと、安否が不明だった兄から電話が入りました。
石巻市内の中心部の職場(1F)にいて、
あっという間に冠水してきて屋内に閉じ込められ、
3回潜ってやっと屋外に出たそうです。
そして2時間さまよい泳ぎ、やっと胸くらいの水になり避難所へ着いたそうです。
服は濡れたまま2日間過ごし、学校の生徒のジャージを借りて乾かしたそうです。
もちろん、家やクルマも・・・
お金や衣類、自分を証明するものは一切持っておらず・・
歯磨きセットを頂いたときは、すごく嬉しかったようです。
復興は至難の業。
2011/3/21 pm10:00
---追記---
<地震後、12日目>
すでに、住んでいた住宅も瓦礫になり・・・
今は途方にくれています。
母の弟や親戚がこっちへおいでよと言っても
ワタシが狭いけどうちにおいでよ~と言っても
これからのことを考えると石巻市がいいらしく離れようとしません。
仮設住宅には住めるのでしょうか?
でも、生活用品がありません。
0 からのスタートです。
あの町は破壊されました。
これからどう復興するのか!
見守りたいと思います。
2011/3/22 pm11:00
---追記---
<地震後、14日目>
未だ、父の安否は不明です。
2011/3/24 pm
---追記---
<地震後、3週間>
父も元気らしいという情報が入りました。
2011/3/30 pm
---追記---
4/1(土)にやっと姉のauが使えるようになりました。
それまでは母のdocomoだけが基地局が来ていて使えていました。
しかし、兄のケータイが水没(海水漬け)のため、母のケータイを兄に渡していたので、
ほとんど連絡が取れない状態でした。
母と姉は石巻市・鮎川に
兄は石巻の中心部にいます。
---追記---
某クロネコ☆から荷物が送れる連絡が
呑んだくれにぃーさんwから連絡が入り、
早速、3月31日(土)の夕方、物資を送りました。
まぁ10日くらいで届けばオkくらいの気持ちで・・
ところがなんと、
翌日の4/1(金)に届いたと連絡が入りました。
最初は郵◎局で荷物が送れると情報があったので、
重い荷物をうんしょうんしょと持って行ったら、「ゆうパック」はまだ取り扱っていないと
ナンデストε=ε=ε=┏(゚ロ゚;)┛ガガーー゙ッ!!
普通の郵便でなら届くと。
まぁー結論、
やはり
某クロネコ☆さんサイコーヾ(≧▽≦)o
これからもよろちくお願いします。ペコリ
---追記---
4/4(月)
母と姉のいる避難所は、
電気は昨日からやっと点くようになりました。。ガスと水道は未だに止まっています。
ここは石巻市の中心部からかなり離れているため、ボラさんは来ていません。
自衛隊の方々と避難をしている動ける方が協力して
物資の作業や食事の配膳など色んなことをやっています。
姉とケータイ中も「今から物資を運ぶから一旦切るね」とか話が中々進みません。
でも、いつも愛想がなく、偏屈な姉が人のために動いているせいなのか
活き活きした声で話していますw
仮設住宅申し込みをしたと聞きました。
着工が5月中旬だそうです・・・
今、色々なところで全国から支援して頂き本当に感謝しております。
避難所で暮らしている家族も皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
どんな形にせよ何か1つでもご協力頂いていることに感謝です。
これをご覧の方々に本当にありがとうございます。
ワタシ自身も普段と同じ生活にするように心がけています。
この文章を読んでいる貴方はきっと被災していない方だと思います。
節電、節水、節約も大切ですが、
被災していない人から普段の生活を取り戻しましょう。
花見やクルマいじりやお祭りに花火もにやって日本を元気にしていきましょう!!!!
そうやってジワジワ活性してその輪が震災の地域までヾ(≧▽≦)o
---追記---
<地震後、1ヵ月> 2011.4.11
地震・津波から1ヵ月が経ちましたが、4/3から電気だけは復旧したものの
他のライフラインは未定の鮎川です。
第2避難先の状況を知りたいが市役所自体が被災しており、
職員の方々も被災しているので情報を把握していない・・
この先の見通しが立たず、途方に暮れています。
そろそろ避難生活に飽きた姉は「ゲームがしたいw」らしい・・・
鮎川の人々は情報が乏しいため、今回の被災の全容がわからず知りたいと言っております。
---追記---
4/13から
やっと
待ちわびた
水が出たそうです。
ぼそ これで大量の紙コップはならんにゃ(* ̄∇ ̄*)
---追記---
《-ぷっちょんの本音ょぉーん》
2011・5/2深夜0時
いつも元気なぷっちょんでつが、
テレビでの津波。瓦礫。被災された方のインタビュー。
を見ると目に涙を浮かべてしまいます。
超ドライアイなのぼろんぼろんではなく、じゅゎじゅゎくるのですがw
地震後、1週間で体調を崩し母は・・・
やっと遮断されていた道路が遠回りで開通したので
石巻中心部の病院へ行き、回復・・
そのときいとこのクルマのガソリンがない時期で帰りはタクシーでした。
なけなしの1万円を支払い元の避難所へと帰ってきました。
こんなことは、2度と起こしてはダメだと
ぷ)草原の家まで来る?
母)仮設住宅入るからここにいないと入れる確立低いから。と
避難している家族や親戚、友達も電話で話すと明るい。
なにも辛さなど忘れているように話す。
それがワタシには何よりの希望になる。
被災していない方が楽しめばそれが復興になるそうです。
どんどんビールでもレジャーでも温泉やクルマいじりしてください。
---追記---
被災して約3ヶ月。
6/3に母と姉はとうとう親戚の家へStayすることになりました。
そしてなんと!姉が合宿免許を取ると言い出しました。
ワタシに一任されてクルマ(中古)を買いに行き、SUBARUのVivio(silver)にしました。
乗った感覚はまるでおもちゃに乗ってるみたい・・・
そしたら、石巻から依頼されているクルマが3台も置いてありました・
まだ、免許トッテないのにw 気分はもうクルマに乗っています。
---追記---
6/3(金)に石巻の中心部にある親戚の家へ引越し。
避難所に来たときはほとんど荷物はなかったが
出るときは小さい箱に20個近くあったそうだ・・・・
(全部が皆様から頂いた物資です・・)
果たして石巻では仕事はあるのか?
でも、免許取得した気分で姉は機嫌がいいw
クルマも もう少しで届くかにゃ(陸送)
ぇ!ぷっちょんが運転して持ってけーって?
そしたら乗る前からボコボコやん(=゚ω゚)ノ。♪
姉いわく「こっちではそんなクルマばっかりだw」
まだ、一切の資金は届いておりません。
どーなってるのでしょうね・・・
---追記---
6/10(金)
午前0時半にこちらを出発して
翌朝の7時頃に石巻に到着。
親戚の家から母を乗せて8時半出発。
夕方5時草原に到着。
15歳で親元を離れて・・年。
姉が免許取得するまでの親孝行ダス(=゚ω゚)ノ。♪
---追記---
7/4(月)早朝
母を仙台駅まで送ってきますた。
ホームには兄と姉が迎えに来ていました。
兄と姉「いやーご苦労だったにゃー」
ぷ「いぇいぇそんなことはありません。母が家事全般やってくれてましたので・・タスカリマシタ」
ワタシのしたことといえば・・・?
あり? んん~~~? あり?
まぁぇぇじゃないかωωωω
そんで帰りに母の荷物を入れたバックが空いたので
いっぱいお土産を積んできますた(σ^д^)σYO!!!
<笹かま2箱><ずんだ餅2箱><牛タンせんべい1個><牛タン肉味噌2個> wwwぷ
で姉の合宿免許は無事取得しますた。
免許取って1度乗ったらしいのですが、
救急車が来てちょービビったって・・w
それ以来、乗っていないそうデス(llllll´▽`llllll)
みんカラに《SUBARUのVivio(ベージュ)》が
石巻に登録した際はよろちくにゃぁ(@⌒ο⌒@)b
---追記---
8/17(水)
午後に姉から携帯が入り仮設住宅の入居が決定した模様
(ちゅうかお盆まで全員入れるって聞いたけど・・・)
閑静なところらしい
閑静=・・・・だよw
たぶん、コンビニとかないんだろーにゃー( ̄∀ ̄)
ってことで9月下旬入居予定だす
っ9・9・9月下旬~~~~?!
---追記---
9/7(水)
やっと仮設住宅に引越しダス(σ^д^)σYO!!!
9月下旬だったのが、あまりにも遅いと姉が抗議し行った。
その結果、9月上旬を勝ち取ったのだ!(;☆ω☆)
なんと引越しには男性2名、女性4名!!!!の方々がテキパキしてくださったみたいダス。
たぶん、地元の被災者で引越しのお手伝いをしている方々と思われる。
この日はこのteamで計6回の引越し作業があるそうな。。。
姉曰く
「裏にすぐ山があるから津波来たら山ににげよ!」だそうだωωωω
何より親戚に気を遣わないのでやっと気楽に過ごせそうだ・・・・・・
---あれから2年追記--------------2013/3/11--------
仙台や気仙沼、南三陸町など大きな都市しか報道がみれませんが、
この鮎川地区を含む沿岸の小さな地域はもう復興の見込みがまったくないようです。
復興を目指す建物も一切建てられていません。
航空写真で見ると区画だけが残っています。
一瞬、瓦礫の山は撤去されたように見えますが、歩道だけは確保され、
瓦礫はそれまで民家だったところにごちゃごちゃ運ばれている状態です。
でも、100年くらい過ぎるとここにも人が住むのかな~
家族は鮎川から石巻市内の仮設住宅で今も何もかわりなく暮らしています。
でも、60歳を過ぎている母は何か月にも及ぶ避難所生活のストレスにより、
この地域のご年配方々特有の訪問介護を受けているみたいです。
今住んでいる仮設住宅のトイレにやお風呂には歩けますが、
震災前のように歩くことは困難になりました。
兄も避難所生活のストレスにより、胃に潰瘍ができてしまい、
何度も血を吐いたみたいです。
本人曰く
「オイラってデリケートだから♡」と普段デリケートの欠片もない兄の言葉。
姉は働く意欲をなくし酒に溺れていますwwww
父は震災後から身体のバランスを崩し
仮設住宅ではなくずーっと療養生活をしています。
同級生のイクミは震災で住んでいたところは、ほぼ被害を免れまいたが
職を失い、働くところはなく家賃だけが発生する・・・
また、同級生のケンズは今までやっていた店が流され、
借金で立て直し、また頑張るしかないと。。
同級生のユウは津波で海に流され3日間彷徨い、家に帰ることができたけど
その悪夢からまだ覚めず精神的に立ち直れていない。
この地域の方々は、ある一部の方を除いて働く意欲がなくなってしまいました。
これは復興に多大なるマイナス要因になっていると感じています。
家族が仮設住宅に入ってからは1度も会っていません 汗
だって寝るところないんだもん(*'ω'*)
-ぷっちょんのぼにょぉーん2
ワタシは田舎はどこへ帰ればいいのでしょう?
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