
日曜日は茶臼山でスキーをしてきました。
ここは家族連れが多くて、リフト待ちでは僕のスキーウェアのカエルがカワイイとちびっ子に大人気でした(*^_^*)
一番下のゲレンデで親子が楽しそうにソリ遊びをしているのを見て自分も参加したくなってしまいましたw
4時間券が1500円という安さとスキーヤーのみというのが超魅力で、しかも10年以上長い付き合いの友人と二人で行ったので気を使うこともなく思いっきり楽しむことが出来ました♪
20本以上滑って、バカ話や真面目な話をリフトに乗りながらたくさん出来て良かった!!
三菱コルトを運転して行ったんですが、初めはハンドリングのダルさになかなか慣れなかったけどあれがあるおかげでピーキーでなくて疲れないんですね。なので雪道に入ってからは本当に楽チンでした。
今日は成人の日でしたね。
二十歳の頃は愛知に住んでいて、学校が終われば運送屋の仕分けのバイトに行き、稼ぐ為にたまに早朝もやってましたね~。寮生活で仕送りも少しだけあったからバイト代はガソリンと車のパーツにほとんど使ってしまってたけど頑張った分の使い道がはっきりしていて良かったなあ。社会人になるとバイトより稼いでいても自由に使えるお金があまりないなんて考えもしなかったです(^^ゞ
あの頃は忙しいといっても今からしてみれば大したことないな。。。
昼に職場の同僚が
「成人式をしてもう10年経ったけど僕は当時から何も変わってないですよ」
ということを話してきて僕も同じように感じました。
男性は特にそうゆうふうに思っている人が多いと思います。
最近、体力の低下は感じざるを得ないですけどね★
僕はあれから11年経ちましたが、確かに基本的な性格は当時から全く変わってないです。昔から周りの同年代より妙に大人びた思考回路だったので30歳になってようやく年相応になってきた気がします(笑
よく年齢詐称疑惑をもたれてましたwww
「人間はとっくに二十歳の時には完全に人格形成がされているよね」
ということをその同僚と話していて思ったのですが、
確かに10歳の時にクラスで嫌いだった奴と成人式で会ったら相変わらず嫌な奴のままでしたね(爆
結局のところ人間って、「身なり」と「体型」、「交友範囲」と「社交性」は10年経つと変わるかもしれないけど、
人に対する「思いやり」と「気配り」、「拘り」と「優しさ」は10年経とうが変わらないものなんですよね。
10歳の時から「良い奴」は今でもずっと良い奴のままだし、会えばすぐに当時の関係にすぐ戻って懐かしい呼び名で話すことが出来ます。20年経って「良い奴」の良いところがさらに熟成されてたりもします。
しかし、「嫌な奴」は20年経っても良い奴になるどころかさらに嫌な奴っぷりが熟成されてしまって残念なことになってたりも少なく無いです。
二十歳の時に世間は大人になったというけれどそれは年齢という数字だけの話であり、宝石に例えると実はまだ原石が出てきただけの状態だと思うのです。
歳を重ねるにつれてそれを磨いて削ってどのように輝かせるのかは本人の努力次第だと思います。
その原石がどんな宝石の種類なのかは二十歳の時には全く外に見えてない人がほとんどなのですが、ごく稀に「ダイヤモンド」の原石を持っている人がいて、たぶん僕が教師という仕事を経験したからかもしれませんがそれはなんとなく雰囲気で分かります。今はまだ荒削りですが、第一印象から他とは違う何かがすでに備わっている感じがして、苦労を重ねて経験を積んでいくと将来
「人間として大物」になりそうな予感がどこかするんです。
でも、二十歳の時はまだ自らがそんなすごい原石を持っていることすら気が付いてないですから自分磨きの方法を上手く引き出せるように導いてくれる人にこの先の人生で出会えて自分から知識を貪欲に何でも吸収するかどうかでも「ダイヤモンド」になるか「炭素の塊」のままかは大いに左右されると思います。
また、30歳になった時でもどんな宝石かを自ら見ることはできません。それはその人に会った時に各々が頭上に見えていて、見る人によってもきっと種類が違う可能性が高いです。誰でも同じ種類の宝石が見える人はどんな人にも分け隔てない対応が出来る素晴らしい人だと思います。
現在30歳になった自分はまだまだそれが出来ないから日々努力をしてダイヤモンドでなくても安いチープな宝石でもかまわないから
「どんな方と接してもいつも同じ一つの宝石が相手に見えるような人」
になりたいですね。