
昨日の宣戦布告を受けてから、戦闘準備をしているわけですが・・
服装:長袖・長ズボン。下着はトランクスやめてボクサーで締めていきますw
グローブ:ゴルフ用のグローブに決定!ステアリング握った感触もいい感じ♪
オイル類:MT・エンジンオイルは今日交換した。点検も異常なしの万全な状態。
走行会におけるマナー&注意点:Hさんに教わった。次期タイヤはフェデラルになると思われ・・w
あとなんかあったっけ???
あ!!ヘルメット!!!
工事現場のヘルメットはムリだよね・・致命的な出費・・orz
どうする俺wwww
俺「おい!おとん?ヘルメット持っとるじゃろ!?」
親父「あ?どうしたんな?」
俺「バイクのヘルメットどっかに転がってないんか?」
親父「なんな~?おめえ車か?」
俺「なんか、急にサーキット行く事になったから貸してくれ!」
親父「ほんなら取りにけ~や」
つーわけで、一年点検の待ち時間が長かったので、代車の「ムーブカスタム」で親父の経営する店に向かいました。
なんか嫌な予感がしたんだよね・・仕事も遊びも中途半端が大嫌いな人なんでね・・
なんつーか、一流以外興味ないというかなんというか・・
んで、店に着いて奥から親父が取り出してきたのが
コレ!!
↓
「アーーーーーーーーーーーーーライッ!!」
思わずメタル的にシャウトしてしまったw
まあ、正直嬉しい悲鳴というか期待どおりwww
親父は20代の頃に2輪でサーキット走ってたらしく、現在はバイクは手放し最後に残ったのが、このAraiのヘルメットでした。SHOEIも有名ですが、なんかAraiの方が通っぽいよねw
俺「あのさ~まさかアライだったりとか期待してたけど、予想どおりじゃったわ」
親父「当たりめえじゃろ。ずっとバイク乗ってた頃はこれ使っとったわ。しかもな、コレ有名なバイクレーサーのレプリカなんで。名前覚えとらんけどな。」←覚えとけよw
しゃーないので、自分で調べてみた!
どうやら「マイケル・ドゥーハン」って人のレプリカらしい・・
以下『ウィキペディア(Wikipedia)』参照
↓
マイケル・ドゥーハン(Michael "Mick" Doohan, 1965年6月4日 - )は、オーストラリア・クイーンズランド州・ブリスベン出身のオートバイレーサー。1992年以後のエントリーネームはミック・ドゥーハン。1994年から1998年までロードレース世界選手権500cc5年連続チャンピオン。
1987年にTT-F1世界選手権日本ラウンドにプライベートチームから出場、3位入賞し注目を集める。1988年スーパーバイク世界選手権日本大会第2レースで優勝。ちなみに日本ではこの年まで「マイケル・ドーハン」と呼ばれることが多かった。1989年、同郷の先輩ワイン・ガードナーのチームメイトとしてロスマンズ・ホンダチームに加入し、ロードレース世界選手権500ccクラスに本格参戦を始める。1990年に500cc初優勝、1991年ランキング2位となるなど徐々に頭角を現し、ホンダの新エースとしてチャンピオン候補と目されるようになる。
1992年シーズン、ホンダはNSR500に不等間隔位相同爆方式のニューエンジン(通称ビッグバン・エンジン)を搭載し、エースライダーとなったドゥーハンに託した。このニューマシンを駆るドゥーハンはヨーロッパラウンドで4連勝。シーズン半ばにしてポイントを大きくリードし、初タイトル獲得を予感させる。ところが、オランダGPでの予選走行中に転倒を喫し、右足に重症を負ってしまう。以降4戦を欠場し、強行出場するも最終戦でヤマハのウェイン・レイニーに僅差のポイント逆転を許し、王座への執念は実らなかった(レイニーはタイトル3連覇達成)。翌1993年も後遺症に苦しんだが辛抱強く戦い続け、イタリアGPで復帰後初優勝を挙げる。
シーズンオフに右足の再手術を受けて臨んだ1994年、右足のフィジカルダメージも癒え、自ら開発と熟成に尽力したNSR500とのマッチングは他を寄せ付けないベストパフォーマンスを発揮。デビュー6シーズン目にして念願のワールドチャンピオンを獲得する。以降、岡田忠之、アレックス・クリビーレらチームメイトの挑戦を退け、1998年までタイトル5連覇という偉業を成し遂げる。特に1997年は15戦中12勝の年間最多勝記録をマークするなど、ドゥーハン専制時代を築きあげた。あまりに続く勝利の山に、「走る前から結果がわかってしまうつまらないレース」と言わしめるほどの圧倒的な強さを維持し続けた(なぜかスタートだけは上手いアレクサンドロ・バロスが邪魔になり、他のライダーがバロスを抜く間にトップのドゥーハンが安全圏まで逃げると言うレースが多々あった事も事実ではあるが)。
しかし、タイトル6連覇のかかる1999年シーズンの第3戦スペインGP(ヘレス)の予選走行中、高速コーナーで激しく転倒し右鎖骨、左手首、右膝を骨折する大怪我を負う。これがきっかけとなり引退を表明。グランプリの"帝王"は第一線から退くこととなった。引退後はホンダ・レーシングのGPアドバイザーなどを務め、バレンティーノ・ロッシ、加藤大治郎らをサポートした。
スマン。長くなったw
"帝王"??シューマッハみたい人か?w
しかもホンダのマシンを駆っていたとの事でゴキゲンだZE!!
なんかもの凄いヘルメットを
借りた貰ったw
親父「まあ、かぶってみ?かなりキツイから手で広げて被るんじゃ」
俺「なんこれ!?びくともしねえ!!」
親父「アホか?バイク乗っとってヘルメットグラグラしてたら死ぬじゃろうが」
ごもっともでwww
バイクもヘルメットも日本が世界一!!
全然親父と違って、バイクには関心がなかったのですが、話を聞いていると興味が湧いてくるよね~♪
そんなこんなで
父親は偉大でしたwww
Posted at 2009/05/01 20:39:23 | |
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