
すいません。サボっていました、いや逃げていました(反省)。
前回の更新の予告通りサボった期間中の出来事を書きます。
最後の更新直後に試練に匹敵する非常にショッキングなことがありました。
教え子(S選手)が県内の強豪クラブに引き抜かれました。
無事高校に合格した翌日の出来事です。
「○日から○○○○で練習することになりました」
S選手は非常に才能のある子でした。
春のジュニアオリンピックでジャパンオープン(北島康介選手が世界記録を更新した大会)の標準記録を切り、オールドルーキーな僕を日本最高の舞台にコーチとして連れて行ってくれました。
夏の全国中学では前年4位の得意種目でまさかの予選落ち、必死でメールで励まし何とか別の種目で4位まで挽回しました。
「国体はまだ厳しい…」という声を必死の練習で覆し、クラブ初の国体代表選手になりました。
…とここに載せきれない位の思い出を残してくれました。と同時にオールドルーキーな僕の指導力を引き上げてくれました。
そしてこれから…というときの移籍(引き抜き)の話でした。
サッカー・野球のようなプロフェッショナルならば「お金」との引換えに…ということもアリなのでしょうが、水泳のようなアマチュアの競技の場合はどうにもなりません。
名声・名誉・実績…全て美味しいところだけもっていかれます。
「どこかでオレは間違っていたのだろうか」「もっとしてやれることはなかったのか」などと自問自答しているうちに「俺が悪いのか?」「悪いのは俺だ」とさえ思うようになりました。
しかしその答えは出ぬまま「本人の希望なら…」という建前の前に僕はほぞを噛むしかありませんでした。
正直なところ、潰れないで頑張って欲しいというのが精一杯です。
僕の上司は「トップ選手の9割は一度は移籍する。それがお前の担当した選手だったということ。だから気にするな」とフォローして頂いたものの、思い出すのも辛い出来事でした。
その直後に引き抜きの話と4月から担当が変わる話をチームメイトに伝えました。その中には1週間ほど急に練習に来なくなり、「代わって欲しくない」と泣きながら僕に訴える子も出てきて一苦労しました。しかしこの頃から選手の間でも、「自身の為」以上に「最後の日まで僕と一緒にやりたい」と急速にチームが一体になり雰囲気が良くなってきました。
3月下旬のジュニアオリンピックには1名(前述の泣きながら訴えた子)しか出場できませんでした。結果はお世辞にも良いとはいえない成績でした。「もっとしてやれることが…」と悔しさ一杯の僕の前に「タイムは良くなかったけど気持ちよく終われました」と(同じ会場で大泣きした1年前とは違い)笑顔で戻って来ました。翌日頂いた色紙に「僕に会えて良かった。私に勇気をくれました。ありがとう」と書いてありました。その夜自宅に戻って僕は久し振りに大泣きしました。
4月になり僕の元に右も左も分からない選手のひよこ達が入ってきました。
「兄貴がやっているから」という理由ではじめる子もいれば、僕が何度となく自宅にTELし(僕や親に)口説かれて入ってきた子もいます。
この子達はこれからいくつもの苦楽を共にしていきます。責任重大であり楽しみでもあります。そして引き抜きされない体制(チーム)を作っていくことは、僕への宿題になります。
4月19日(日)は久し振りにマスターズ大会に出場。50mバタフライで30秒切りを狙いましたが、惜しくも30秒20で次回へお預けになりました。
4月12日(日)は残念なことがありました。詳細は書けませんが立ち直るには少し時間が掛かりそうです。
今朝、出勤途中にセリカが66,666kmになった画像を載せておきます。
Posted at 2009/05/04 15:11:30 | |
トラックバック(0) |
水泳 | 日記