10月28日でみんカラを始めて15年が経ちました。
今年も残すところあと2ヶ月程度ですが、色々あり過ぎた年になりそうです…
Z3シリーズがデビューした1996年頃、初めて見たスタイルに惚れ込み、それからいつかは所有したいと毎月発行されるCAR雑誌のアフターパーツを立ち読みしながら妄想にふけっていました。
2003年に生産中止になり、それから2004年中古市場を探し、程度の良いブラックのZ3 エディションⅡに出会いました。
それから、2004年ドイツに長期出張に行くことになり、当初仕事先だったシュッツガルトからニュルンベルクに仕事先が移った際のことです。
昼食は、近くにトラック運転手で賑わうドライブインがあり、そこまで徒歩で通っていました。
仕事先からそのドライブインまでの途中にBMWのディラーがあり、食事後の帰り道に展示されている車両を時々眺めていました。
そんなある日、Z3が数台並んで展示してあるに気が付き、自分の愛車と本国仕様の何処が違うのか気になり、食事の帰り道に立ち寄りました。
その時に出逢ってしまったのです。
そして、それが始まりの日でした。
自分の愛車と明らかに異なるオーラを放っているEvergreen colorに身を纏った後ろ姿の一台のZ3ロードスターに…
それはそれは、リアからの眺めは最高で、上品な緩やかな曲線を描きながら深リムのブっといタイヤを丸呑みしてしまっているオーバーフェンダー…
パフォーマンスの高さを惜しげもなく、誇らしげに主張している4本のテールパイプ…
そしてBMW特有の車種を表すZ3のエンブレムは何処にも見当たらず、ただそこには///Mのマークのみが、勲章の様にこの位置に付けないと言わんばかりにエンボス加工がされた位置に鎮座していました。
暫し後ろ姿に見惚れていましたが、フロント側も気になり、前に移動したその瞬間、またもやヤラれてしまいました。
そのフロント側から見る光景は、まるで猫化の獣が牙を剥き出しにして、後ろ脚を踏ん張り、低い姿勢で今にも獲物に襲いかかる様な雰囲気を醸し出していました。
それまでZ3シリーズにM社が手掛けた車種の存在があるのことは何となく知ってましたが、価格もさることながら自分には身分不相応だと思っていましたので、今まで一度も見る機会がありませでした。
しかし、その日を境にその車の虜になってしまい、来る日も来る日もそのディラーに通っては眺めていました。
平日は、ほぼほぼ通っていたので、そのディラーの営業マンが不憫に思ったのか声を掛けて来て、室内の鍵を開けてくれ運転席に座らせてくれました。
センサーパネルには戦闘機のコックピットの様な3連メーターと発射ボタンの様なスイッチが並び、シフトブーツはクロムリングフレームに囲まれていてマニアチックさが漂っており、シフトノブは手触りの良い上質な革が使われていて、更にシフトパターンの中央に///Mマークが刻まれていました。
座ってハンドルを握った瞬間から戦闘モードに入ってしまいそうな、やる気満々の室内に興奮してしまいました。
ディラーの営業マンは、興奮している私を見て、更に驚かすつもりだったのか、キーを渡しエンジンをかけてみろという仕草をしました。
私はシリンダーにキーを差し込み、クラッチを踏んでシフトがニュートラルであるのを確認したあと、キーを恐る恐る回しました。
セルの回る音と共に足元から地響きのような振動と太く力強いエキゾーストノートが後ろから響き渡り、明らかに私の愛車とは別物だと感じました。
エンジン音を聞いた私は更に興奮して、図々しくもその営業マンにボンネットを開けて欲しいという仕草をしていました。
その営業マンは軽くうなずいて、私が座っていた左下に手を伸ばし、何かレバーのようなものを引きました。
そして、ボンネットの方へと私を手招きをして、少し浮いたボンネットに指を差し込み、一気にボンネットをめくり上げました。
そこには今まで見た事の無い迫力のある威厳に満ちた直列6気筒が唸りをあげていました。
私の愛車のプラスチックなヘッドカバーとは違い、重量感のあるメタルカバーがヘッドを覆い、そこには『BMW M Power』と刻まれおり、神々しさを醸し出していました。
綺麗に湾曲した6本のインマニが更にこのエンジンの魅力になっており、メカメカした中に優雅さが感じ取れました。
狭いボンネットにギッシリ詰まった部品の数々が機能美に満ちており、正に『The Engine 』という芸術品を見た気がしました。
約半年近いドイツ出張を終え、帰国してからも、あの衝撃が寝ても覚めても忘れられず、パソコンとガラケーを駆使して個体を探し回りました。
存在を知れば、それが関西方面だろうが、東北方面だろうが、逢いに行きました。
それから、探すこと約1年…
今の相棒の存在を知り、店の開店と同時に訪れ、営業時間いっぱいいっぱいまで掛けて隅々までチェックし、試乗までさせてもらいました。
それでも、まだ良い個体があるんじゃないかという迷いがあり、結局、中部地区にあるその店舗に2回も足を運び、迷いましたが、これも運命的な出逢ってと感じて迎え入れることにしました。
中部地区からローダーに乗って、我が家に納車された時は『瀬戸の花嫁』を口ずさんでいました。
迎え入れることを決めてからは、暇さえ…いや忙しくても、ドレスアップの為のパーツを探しまくっていました。
如何せん生産中止から約5年が経過していましたので、パーツの殆どは在庫限りでした。
それでもずーと憧れていて欲しかったHAMANNやAC SCHNITZERのパーツはほぼ手に入り、速攻で取り付けをしました。
本当に速攻で、納車当日にドック入りをさせたのでノーマル状態の画像が見つかりません。
既にパーツは揃えてあった物もあり、1ヶ月程度で戻って来ました。
また一段とエレガントになって帰って来た日は祝杯を挙げたのは当然のことでした。
それからも妄想は続き、ネットを徘徊しながら廃盤パーツを探し求めておりました。
そんな中、廃盤になっていたHAMANNのテールランプが見付かり、更にフロントバンパーまで入手出来たので、更なるドレスアップを計画しました。
リアバンパーは気にいったメーカーもなく、HAMANNのリアデフィザーを活かしてながら、ワンオフで改造することにしました。
塗装もボディ1色にならないように何処々にガンメタのパーツをは配置してアクセントを付けてみました。
この直後に中国上海駐在を命じられ、相棒にはたまにしか会えず、その寂しさを紛らわす為に2008年みんカラを初めました。
それからも更に妄想は尽きることなく、無いものねだりを始めており、廃盤商品の再製造を懇願したりしていました。
しかしそれも叶わず、それからはワンオフを考える様になり、可能性のある所にアポを取っては足を運ぶことにしました。
その物とは…カーボンボンネットです。
過去には、海外のチューナズメーカーや国内では3Dデザインさんも販売をしていました。
しかし、何処も廃盤になり、対応してくれないので、国内で有名なVARISさん出向き、製造の直談判をしました。
その結果、ワンオフは対応するが、サイズが通常の市販車に比べると大きいので、型代だけで150万から200万、場合によってはそれ以上と言われ愕然としました。
それでも諦められず、帰国の度に何度か足を運びました。
元々カーボンパーツには興味があったので、製造工程を見せてもらったり、材料や品質に対する拘りなどを聞いているうちに益々作ってもらいたくなり、型代を分割払いに出来ないか等、色々なネゴジェーションをしました。
不憫に思ってくれたのか、当時の専務さん(現社長)が、希望者を10名集めたら作ってもいいよ、と言って下さいました。
それからwebサイトの掲示板を使って呼びかけをしたり、オフ会で会った方々に誘いをかけたりしました。
しかし、2009年11月になっても、まだ8名しか希望者が集らず、焦っていました。
そんなある日、VARISさんからカーボンボンネットを作って下さるという連絡を受けました。
それは、私が掲示したサイトを見て直接VARISさんに問い合わせをして来た方々が居たからだそうです。
やっと念願叶ってのカーボンボンネット!
この時の喜びは、ひとしおでした。
それからもVARISさんには無理を言って、リアウィングのマウントを作成してもらったり、ボンネットのダクト、サイドステップ、リアデフューザーと特注のオンパレードをしてしまいました。
2011年約4年間の中国上海駐在のミッションが終了し、帰国。
それからオープンカーであるが故に剛性が足らないことを改善したいと思い、ロールバーも考えましたが、乗り降りが不便そうなので却下。
他に手立てもなく悶々としていました。
そんな時に2010年に復刻されたi Ding power BMW E36-M3/S3 V2 LIMITEDの記事を目にしました。
このご時世にチューニングカーとは云え、1990年代のベース車両が1500万〜2500万で販売とはオタマゲである。
何がそんなに凄いのか気になり、早速電話したら「一度見せに来なよ!」と、めちゃめちゃ気軽に誘ってくる井手社長にビックリしながら電話を切りました。
ボディー剛性の相談を兼ねて、敷居の高そうなi Ding powerの門を叩くことにしました。
後日、井手社長を訪ねて横浜まで足を運びました。
まず、第一印象としては、やばそうな車両ばかり!
話も何だからと言われ、いきなりE36-M3/S3の助手席に乗せられ、Go!!
近傍をぐるーと回ってる間、何か話し掛けられていましたが、あまり覚えていませんでした。
それよりもこの車両に乗っている間、こいつがどんだけ化け物なのかに鳥肌が立っていました。
井手社長が常々言っている言葉通り「五感に訴える数値には表せないフィーリングを技術で表現することをチューニングの基本理念に掲げ、トータルチューニングの追求を日々実践しています。」を形にするとこうなるんだと感心していました。
それからコーヒーをご馳走になりながら、談義をさせてもらいました。
まずは、個体が10年以上経過しているから劣化部品を交換して初期化することを進められ、そこから始めることにしました。
ブッシュ類をはじめ、交換部品は全て純正。
チューニングカーを扱っているのだから、強化品を勧められるのかと思いきや純正部品が1番パフォーマンスが高いと言われ、先日乗せてもらった車両のことを思い出すと今までの自分の弄りが如何に虚しい行為だったのか、思い知らされました。
リフレッシュした相棒はまるで別人ように生まれ変わりました。
ああー、これが初期状態なんだ。
まずは、原点に還ることが大切なんですね。
次のステップとして、ボディー剛性の処理をしてもらい、見違えるようになりました。
そして…悪魔の囁き
E36-M3/S3の助手席に乗せてもらった時からの忘れられない感覚が蘇って来る。
アクセル踏んだ瞬間にスルスルとまるでフリクションロスが少ないバイクの様なリニアな加速が背中をシートに押し付ける。
それでいて、まだ余裕のあるエンジン音…
一体どこまでも回るのか計り知れないパフォーマンスに鳥肌が立ち、身震いする。
思わず「気持ちいい〜!」と素直に叫びたくなるほどのワクワク感は何歳になっても忘れられないものなんだと感じずにはいられませでした。
そして2013年、ついに禁断の誘惑に負けてしまいました。
それから出張ベースで行った先のフィリピンで、いつの間にか駐在を命じられ、しかも2019年からコロナの影響で3年間帰国出来ずじまい。
最近、少しは余裕出来たかな…
みんカラを始めて15年間、あっという間でしたが、化石燃料が尽きるまで、相棒と付き合って行こうと思っています。
以上