
あれも乗りたいこれも乗りたい。スーパーカーブームがすぎてから、17歳でベストカーをはじめて読むまで(S13シルビアのスクープ号だった。)まったくクルマに興味はなかった。親父は日曜農場での農作業に便利だからと三菱ギャランシグマバンに乗っていた。まともなカーステすらついてなくて、たぶんシートもひどいもんだったはずだが特に不満は感じなかったくらい、興味がなかった。自宅には当初駐車スペース自体がなくて、月極を借りてたのだが年を喰って農機具だの肥料だのを運ぶのが面倒になったらしく、後年庭の一角を重機で掘削って1台分の駐車スペースをでっちあげた。
免許を取ってあてがわれた最初のクルマはU11ブルーバード。当然SSSじゃなく1800ccのLXってなんにもついてないグレード。色はシルバーっていうよりもろにグレー。樹脂バンパーは黒。鉄ッチンむき出しでホイールカバーすらついちゃいない。センターパッドのでっかいビニール張りハンドルのダサさが当時ですら嫌になった。まだ車検がうるさかったので交換するって発想はなかった。
大学のサークル仲間と遊びに行き出すとすぐ、あ~!もっとカッコイイクルマが欲しい!と思うようになった。当時は早生まれのやつが高校三年で免許取る前に親にS13買ってもらっちゃったぜ!なんて時代。バブル真っ只中。プレリュード、ソアラ、70スープラ、Z32、R32GT-R、FD3Sと男の子の興味を引きまくるクルマが次々登場した時代。でも友達のクルマもギャラン(VR4じゃないやつ)、カリーナ、スターレットターボ、S13、赤いファミリア、古いアウディ90、ローレル…派手な先輩ですらソアラの5ナンバーのVXとスープラGTAがいた程度で、カーマニアにはまずなりそうもない環境。
丹沢の山ン中にマフラーを落っことしてきたりU11ブルをボロボロにして親父にボッコボコにぶん殴られて、修理するのも保険使うのもバカらしいと次にあてがわれたクルマがU12ブルーバード。日産ディーラーでリベルタビラかこっちどちらかで選べといわれて文句の言える立場でなく。今思えばリベルタビラのほうがまだ装備がマシだったのだが、プアマンズローレルとかスモールスカイラインとかそういうのだけは死んでも嫌だったのでブルにした。これまたなんにもついてないグレードだったけど、当時全盛の4HTでなくてもブルーバードはそこそこスタイルがよかったのと、バイト収入が増えてカーステレオ程度なら自力で揃えられるようになったので実用車としてはそれなりに満足していたものだ。でもまだオートウインドウもオートエアコンもなきゃ3ATだわホイールカバーだわ、高速100km/h超えるのが必死だわで、あ~!もっとカッコイイクルマが欲しい!
で、当時大体からしてどんなクルマが欲しかったのよ?と思い出すと、家族兼用ならR32スカイライン4HTのGTS-t、でもって自分用ならFC3SRX-7が憧れだったんですなあ。FCは高校生の頃から人気があった。当時、マツダの車は当たりハズレが酷いらしいとか先輩の7の塗装がもう劣化退色したらしいとか、無免工房の間でマツダ車に乗るのはかなりの覚悟がいることと認識されていた。
TVCMはやたらと4WSをアピールしてた気がする。第一印象はポルシェ924そっくりだなあ。値段が案外安かった、安いグレードがあったので無理したら買えそうな気がしてしまう車だった。学生ローンで自費でS13あたりを買うやつがポロポロ出てきてたし。
まあ結局就職してS14買うまでそのブルーバードで我慢するわけですが、(発売前にはんこ突いちゃったS14Q's。同じ予算ならS13K's買っておけばよかった。)でもっていままで運転したことのあるロータリー車はRX8だけなのですが、一度はRX-7。それもFC3Sの前期型に乗っておきたいなあと。丸テールじゃなく格子の、鼻先が丸い、サイドラインが黒の白いFC。THE・昭和!ってカンジのやつ。これが探すともうホント生き残ってないんだよね。カブリオレはまだ数があるんだけど、なんだよ昭和6○年式『後期仕様』って。余計なことすんなあもう!よっぽどハチャメチャにイジリ倒した個体でもない限りはほとんど潰されちゃってるみたい。後期型がいいっては聞くけどね。だいたい私はマイナーチェンジの改悪デザインはほとんどどんなクルマ、メーカーのでも全部嫌いなので、FCも前期のエクステリアがベストだと考えています。どっかに在庫ありますかね?
Posted at 2009/07/21 10:14:25 | |
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