
物心ついたとき親父は白のブルーバード410に乗っていた。東京から仙台までガソリンが足りなくて菅生のあたりでガス欠になり難渋したときのはシルバーのブルーバードUだったかもしれない。まだエアコンが付いてなくて、なんかエアコンつけるとパワーが落ちるんだとか言い訳がましくいっていたのを憶えている。その後三菱からギャランΣ/Λが出てクリーム色のシグマに乗り替え、さらに先日書いた茶色のシグマ・バンに乗り換えた。
私が親父の運転で乗った記憶はないのだがブルーバードの前、独身時代の親父は赤いサニークーペに乗っていた。そのクルマは親父の妹に譲られしばらく残っていたので、叔母の家のクルマという記憶にはある。サニークーペのさらに前。親父が免許を取ってはじめて所有したのが2代目クラウンだったという。銀座で書店を経営していた親戚から下取りにも出さずに譲ってもらえた中古車だったからいい加減あちこちボロが来ていて、以後親父に甚大な中古車アレルギーを与えたトラウマカー。安月給の若造のくせにクラウンの修理代に税金じゃあそりゃたまらんだろう。どうもお袋の父親=母方の祖父がプリンス・グロリアに乗ってたので見栄をはって対抗したみたい。そういうとこは血筋だなあと思わざるを得ない。
祖父さんは免許自体持っていなかったので、祖父の家(いまの実家だ)には駐車場がなかった。路上駐車もいまほどうるさくなかったし、夏休みや正月に上京すると鉄門を全開にして玄関先に頭からつっこんで駐車めておけばそれで済んだもんだ。
さらに曽祖父までさかのぼると、この人の場合はショーファーで自分で運転する必要がなかったので免許は持ってなかったはずだが、むしろ運転手というもの自体が特殊技術者だったんではないかと思われる大正3年には家業のホテルに少なくとも1台は自動車があったらしい。T型フォードが中古で現役だった時代である。どこのメーカー、車両だったのかは残念ながら不明。
高祖父はとなるともう宿泊客の送迎が人力車なのだ。人力車どころかいろは坂開通前で籠担ぎも現役だったらしい。
時は流れて21世紀。次のファミリーカーはなんにするかなあ?ホンダがオデッセイで巻き起こし日産の初代エルグランドで定着したミニバンブームにはかなり抵抗を感じたがステップワゴンは結局便利だった。いまのHVブームはやり過ごしてやはり次のEVの先頭、日産リーフ狙いだろうか?
Posted at 2009/08/02 21:49:43 | |
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