
実はF1マニアのペヤング
そんなペヤングにとって、とても嬉しいニュースが入ってきました。
なんと怪我をしたマッサの代役としてシューマッハでは無く、ルカ・バドエルが次選からフェラーリのステアリング握ることになりました。
誰よそれ?
と思う人のためにバドエルについて少し書きます
ルカ・バドエルは1992年に国際F3000を当時最年少の20歳で制して、翌年1993年にスクーデリア・と言う弱小チームからデビューしました。
遅いクルマで最高位は7位とけして悪い成績では無かったんですが、F1はそんなに甘い世界ではなく94年はテストドライバーとして1年過ごすことになりました。
95年にこれまた弱小チームのミナルディーからF1復帰、この年の最高位は8位
そして96年フォルティと言うチームから参戦、しかしクルマはF3000のシャーシをF1のレギュレーションに合わせただけのお粗末な物、しかも資金不足のチームはその年の第10選イギリスGPで撤退してしまう。
そして97年バドエルはイタリア人と言うことを生かし、イタリアの名門フェラーリのテストドライバーになり、レギュラードライバーの座を狙うことにする。
しかし今も昔もフェラーリと言うチームは、とにかく開発能力が無くても速いドライバーを、レギュラードライバーに(ライコネンがいい例)
そして別に速く無くていいから、ある程度開発能力がある、できればイタリア人のドライバーをテストドライバー(ニコラ・ラリーニ、マルク・ジェネ、バドエルがいい例)
と完全に固定して、たとえレギュラードライバーが怪我をしてもテストドライバーにはチャンスは来ないと言う伝統があります。
なんとバドエルは13年と言う長い期間もフェラーリ在籍したにもかかわらず、フェラーリでレースでたのはゼロ。
しかし1999年フェラーリのサポートで、ミナルディーからフル参戦することになりました(その年はフェラーリのサードドライバー兼ミナルディーのレギュラードライバー)
そしてその年奇跡が起こりました(正確には起こりかけた)
その年のヨーロッパGPは豪雨が降った、と思ったらすぐに晴れてあっと言う間乾くと言う難しいコンディションでした。
そのなか天候を上手く読んだバドエルは、その年最弱のミナルディのマシンで終盤4位を快走しました。
しかし神様のイタズラかあと少しでゴールと言う時のエンジンブロー
F1での入賞を経験が無かったバドエルは、リタイアするなりすぐにコースサイドに止まったマシンのサイドポンツーンにもたれかかり、人目もはばからず悔し涙を流した。この時、コースマーシャルが「次があるさ」と声をかけたがバドエルは「俺には次がないんだ」と返しました。
その年を最後にバドエルはF1のレースからは離れ、フェラーリのテストドライバーに専念することになります、あれから10年が経ちました。
そしてついにバドエルに二度と無いと思っていたチャンスがおとずれました。
果たして念願の初入賞はできるのか?
初表彰台はあるのか?
泣いても笑っても今年38歳のバドエルにとってラストチャンスでしょう。
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モータースポーツの雑学 | 日記
Posted at
2009/08/13 23:32:29